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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集03『束の間の日常』

 あれから早くも3日が過ぎた。リアンとカレンはどうにかこうにか試験をやり終えたようである。リアンは燃え尽きた灰のような顔をして遠い眼差しにため息を添え、カレンは俄(にわ)かに続いた徹夜の日々のために眠い目をこすっている。
「はあ…、どうにか終わったのですよ。」
「そうですね。無事かどうかは分かりませんが、とりあえず日程だけはこなしました。」
 そんなことをこぼしながら、二人は互いの健闘を称え合う。二人は、試験準備で忙しい合間を縫って『アーカム』と連絡を密にしており、そのため煉獄に向かうシーファたちの準備状況については概ね把握していた。なんでも、創世年紀三部作の解読を進めていく中で、アッキーナが『煉獄門』の隠し場所についてヒントを見つけ出したらしく、今は、それが指し示す場所が現世の地図ではいったいどこにあたるのか、それを調べているのだそうだ。そこは、今では忘れられた南東のはずれにある秘境の村落らしく、その名を『魔界村』というらしいことまでは明らかになりつつあった。その具体的な座標について、貴婦人とアッキーナが夜を徹して調べてくれているのだと聞いている。
 ミリアムとユンは、出発の為に必要な武具や消耗品の調達に勤しんでいるらしい。シーファとアイラは相変わらずいまいちかみ合わぬままで、あれこれと世話を焼こうとするアイラをシーファが少々持て余すということが続いているのだそうだ。しかし、そんなこんながありつつも、出発に向けた具体的準備が着々と進んでいることは確認されていた。

* * *

 今日は試験の最終日であり、午前で試験日程は終了した。午後からは、全学をあげての夏学期弁論大会決勝戦が開催される予定となっている。
「午後からは弁論大会の決勝ですね。どんな名演説が飛び出すかたのしみです。」
 そう言って微笑みかけるカレンに、
「そんなのどうでもいいのですよ。試験は終わったのです。このままどこかに繰り出すか、寮室に二人でしけこむのですよ。」
 遠い眼で青空を仰ぎながら、リアンがそう悪態をついた。初夏の風がもう随分となまめいている。本格的な夏の到来ももうすぐだ。汗を誘う南風(はえ)を手でかわすようにしながら、カレンが応える。
「もう、そんなことを言ってはだめですよ。ライオット先輩もここまで勝ち残っているそうですから、弁論を聞きに行きましょう。さあ!」
 そう言って立ち上り、カレンはリアンの華奢な手を引こうとするが、お姫様は随分とご機嫌斜めらしい。
「それはなんとも面倒な話なのですよ。私はこのまま寮に帰って、ベッドに海に沈みたいのです。」
 その声はまさに疲労困憊という様子だった。
「もう、馬鹿言ってないで、行きますよ!」
 そうして、カレンがぐいと手を引っ張ると、リアンはよろけるようにして立ち上がり、大きなあくびをした後、仕方なしというような顔で、弁論大会の会場になる講堂へよろよろと足を進めていった。
 昼食を済ませたばかりで、腹は満てていたが、しかしそれは眠気を誘うばかりで、蒸し暑い講堂に集まって、これといって興味もない堅苦しい話を聞こうという気にはどうにもなれないといった面持ちである。
 講堂に入ると、すでに多くの教職員と学徒達がそこに集まっていた。幸い座席はどこでもよいらしく、後方の適当な空席を見つけて二人はそこに座した。講演の開始を待つ間も、講堂の中は実に蒸し暑く、窓は開け放たれてはいたが、自然の風だけでは到底追いつかない熱気に支配されている。演者は、各学年各学科の予選を勝ち抜いてきた代表10名ほどで、そこから今年の優勝者を選ぶという、そんな段取りであった。
 開演ブザーのあと、司式の教職員の説明があってから、学年の低い順に代表者が登壇して演説をぶった。テーマは実に様々であったが、今年度とりわけ聴衆の関心を惹いた演者が2名いる。一人は、我らがライオット・レオンハートであり、男子学徒でありながら、女学徒用の制服をきっちりと着こなし、化粧も万全にして臨んだその雄姿は、多様化する性自認と社会や公共におけるその存在と行為の自由について雄々しく語って見せた。彼は、確かに生まれ持った性別という意味では男性であるが、女学徒の制服に身を包み、それらしい仕草で語る姿は女性そのものであり、性別が外見に基づく一面的印象に支配されるものではないことをその身をもって証明していた。特に、「衣服が性別を決めるのではなく、衣服の中のもっと核心的な自己認識こそが性別の最も重要な始まりであり全てである」というライオットの主張は、多くの学徒達の心を打ったようで、彼が弁論を終えるや、講堂中が割れんばかりの拍手喝采に包まれたのである。リアン、カレンは彼と馴染みであったが、これほどまでに信念と自信に満ちた彼の姿を目にしたのは初めてのように思えていた。まるで別人の演説に聞きほれるような、不思議な感覚に囚われて、周囲と一緒に大きな拍手を送り出している。

* * *

 その日、聴衆の関心を大いに惹きつけ、ライオットと雌雄を争った者がいた。その名を、エリシャ・スピーシーズという。彼女は、今年になってアカデミーの高等部第1学年に転入してきた編入生で、桃色の髪に、美しいアメジストの色の瞳を持つ女学徒だった。『生命と食』と題されたその弁論は、生きるために人間が他の生命を食むことの是非を正面から問うもので、多くの聴衆に自省と熟慮の機会を提供する卓越したものであった。ここに、その全文を紹介しよう。


『生命と食』

高等部第1学年
エリシャ・スピーシーズ

 生きるためには何かを食まねばなりません。それは明らかなことです。しかし、人の身勝手で、他の生命を害し奪うことは本当に許されるのでしょうか?剰(あまつさ)え、近時我々は、長く続く慢性的な食糧難を克服するために『魔術的捕食動物』なるものを人為的に錬成し、自らの手で生み出したその命を、自らの命を長らえるために、消費することを始めました。ある種が、その保存のために別の種の命を作り出し、生産し、消費するなどということがあり得てよいのか、私はその点に大きな疑問を感じるのです。
 我々が、何者かを食まなければ生存を維持できないのは既に述べた通りです。しかし、そのことと、生殺与奪を思うままに弄んでよいということとは歴然と意味が違うのだと、訴えなければなりません。特に、消費され消尽される対象が均しく命を宿し、苦痛を感受できる場合はなおさらです。そのことは、誰かを生かすために、ここにいる私たちの誰かの命が何者かに消尽されてもよいか、という問いに組み直すことで容易に理解できるはずです。この問いを投げかけた時、多くの人は、「人間の命と捕食動物の命は別だ。創造主によって特別の命を賦与された人間には、生殺与奪を選択する権能がある」と主張します。しかし、それは本当でしょうか?我々人間と、彼ら捕食動物を分ける境界線は一体どこにあるのか、それを真正面から問えば、正々堂々と答えられる人は、実はわずかだと思うのです。
 生き物の、生き物たる所以(ゆえん)は、まず第1に自己の生命に対する認識があること、第2に苦痛を含めた感情と感覚を備えていることだと定義することができます。そして、この定義に照らすならば、人間のエゴイズムと身勝手によって哀れにも創生された、『ムシュラム族』、『ポルガノ族』、『魚人族』、そして『スピーシーG』は、我々人間や、自然界に生存するその他の動物と何ら変わるところはないのです。

魔術的捕食動物『スピーシーG』。これを乾燥したものを粉末にしてパンなどに練り込むと、栄養価を著しく高められるということで、近時盛んに加工食品に用いられるようになった。外観から嫌う者も多い。

 彼らには、自己認識があるのみならず、仲間意識があり、群れの意識をもちます。彼らの自己防衛の意識と、生存への、ごく当たり前の希求が、しばしば人間の生活領域との境界線上において軋轢を生じることは、今更言うまでもありません。彼らにも、生み出された生命体として、この世界で生き続ける権利が、また、幸福を追求する固有の権利があるのだと、私は主張したいのです。
 彼らが、人間の窮乏を満たすために生み出されたのだという呪わしい前提が我々の認識を歪めますが、彼らが均しく生命であることには何の疑いもありません。もし仮に、彼らが、彼らの生存の為に人間は捕食され消尽されるべきだと主張し始めたら、みなさんはどのように感じますか?おそらく、強い嫌悪感と抵抗感を覚えることでしょう。しかし、まさにそれと同じことをみなさんは彼らに日々強いているのだと知って欲しいのです。
 彼らを飼いならし、収穫し、調理し、そして食材として日々消費します。当たり前のことのようにしてそれらの悪行はなされますが、それは文字通りに悪行であり、もしも立場が入れ替わったならば、絶対に許しえないこととして人間が烈火のごとく怒るであろう、そんな悪行なのです。彼らは生きています。そして、苦痛を感じ、仲間の喪失を痛感して打ちひしがれるのです。その精神的働きは、我々人間のものと、これっぽっちも変わりません。彼らが、我々と同じ高尚な精神構造と機能を保有する生命体である以上、彼らの命を人間の都合で蝕むことは直ちにやめるべきだと私は主張します。さもなくば、いつの日か、我々人間が、何かより大きな力を持つ存在によって捕食され消尽される立場に置かれるに至った時、その身を守るための理論的な正当性を失ってしまうのです。
 生きる権利は、苦痛を感じることのできるすべての存在に等しく享有されなければなりません。何人も、それを否定することはできないのです。まして、彼らを美食の対象にするなどもっての他です。この世で、彼らを美食の材料と見る者は、必ずや冥府において、均しく暴食の罪に問われることになるでしょう。悪魔は喜んで、そうした者の身を堪能して舌なめずりすることだと思います。
 創世年紀にも記されている通り、暴食は罪です。それが、我々と同じ生きとし生ける存在に向けられたものであるならばなおさらです。今からでも遅くはありません。苦痛を感ずることのできる存在は、均しく生きる権利を持ち保護されるべき、という原則を打ち立てて非道な消費を止めましょう。
 私は、そのことに気づいてから、肉食を全て断ち、菜食主義者として生きる道を選択しました。ここにいるすべての人々に、私と同じ選択をしてほしいと願いますが、それがすぐには難しいこともまた事実です。ですからせめて、まずはみなさんが食卓に迎えている、魔術的捕食動物について、彼らの命と生きる権利について考えるところから始めて欲しいと思います。そして、できれば彼らの命を守るために、彼らを食物として買うことを止める不買運動を始めてもらえればと、強く求めます。
 我々が、命を天から授かるのは、すべて生きるためです。誰かに食べられ、消費されるためでは断じてありません。幸い、彼らを捕食しなくても人間には命を繋いでいく方法が別にいくつもあるのです。他に選びうる選択肢があるのに、敢えて、自分の欲望に忠実な方を選ぶというのは、端的に言って傲慢かつ悪辣です。ここ魔法アカデミーに集う方々は、そうした傲慢と悪辣を信奉する方々ではないと信じています。
 もし仮にそうであるとしたならば、必ずやその報いを受ける日が来るでしょう。それは、悪魔的で凄惨なものとなるはずです。しかし、私はそうなることを望みません。ここにいらっしゃる全ての方々が、分別をもって私の話を理解して、振る舞いを正してくださることに期待します。他の生命を奪う選択をしないで生を紡がんとする、その神聖で高潔な決意は、必ずや称賛に値するはずです。その努力は決して無駄にはなりません。努力と改善こそが、人間の最大の美徳です。
 すべての生き物が、均しく生きる権利を享有し、互いに害することなく幸福を追求できる社会こそが理想なのです。そのことを強くお伝えてして、私の訴えとさせていただきたいと思います。みなさんの賢明を信じています。
 ご清聴戴き、ありがとうございました。


 エリシャの演説は会場割れんばかりの拍手をもって評された。魔法社会の誰もが、人間の欲求を補うために、自らの手で生み出した命を自ら消尽するというその行為に、いいし得ぬ罪悪感を感じていた。彼女の弁論はその情を、言葉でもって赤裸々に明らかにしたのであったのだ。彼女の言葉に共感する者は多く、菜食主義者になるという極端な決意表明こそ少なかったものの、魔術的捕食動物をもう買わない、もう食べないというコールはあちこちから上がった。それくらいの熱狂をエリシャは巻き起こしたのである。だが、そんなエリシャの姿に違和感を感じる者が、その場に若干名いた。

熱狂的に聴衆を引き付ける弁論をしたエリシャ・スピーシーズ。

「ねぇ、リアン。彼女、似ていませんか?」
「カレンもそう思ったですか?確かに、匂うのですよ。あの弁論内容にも通じるものがあります。」
「どうやら私の気のせいではないようですね。彼女の動向には今後注意を払いましょう。」
「わかったのですよ。」
 演台に向かって仮初の拍手を送りながら、リアンとカレンはそんな言葉を交わしていた。二人にはどうにも気にかかることがあるらしい。

 結局、弁論大会の行方は、聴衆の投票の結果、僅差でエリシャがライオットを抑えて優勝ということになった。会場は熱狂冷めやらぬ間に解散となり、みな口々に感想を述べながらその場を後にする。エリシャも、彼女を褒めそやす同級生たちに取り囲まれながら、高等部棟の方へと姿を消していった。

 まもなく6月に至ろうかというこの時期の陽射しは一層暑さを増し、嫌に気温を高くしている。リアンとカレンもまた、講堂を離れて寮棟へと場所を移していった。

* * *

 ところかわって、ここ『アーカム』では、いよいよ『煉獄門』探索の準備が最終局面を迎えようとしている。それぞれに荷づくりを済ませ、地図とにらみ合う、シーファ、アイラ、そしてミリアムとユン。貴婦人とアッキーナもその場にいた。

「それじゃあ、その『魔界村』ってところに、『煉獄門』が隠されているんだね?」
 そう訊くミリアムに、アッキーナが応える。
「ええ、そうなのですよ、っと。でも、『魔界村』自体が秘境中の秘境で、一般的な地図には記載がありませんからね。」
「さっきの話だと、ダイアニンストの森を、『ディバイン・クライム山』 に向かうのとは違う道を通って真東に抜けた先に広がる荒野の向こうに『魔界村』があるんだよね?」
 ユンがそれまでの話をおさらいした。
「その通りです。そこは一般社会からは隔絶され、すっかり忘れられた秘境です。たしか、朝陽丸という騎士が統べていると言われています。」
 そう言って、アッキーナが地図上を指でなぞった。
「『煉獄門』は厳重に隠されている筈です。『魔界村』の人々ともおそらく言葉は通じると思いますが、うまく協力を取り付けられるかどうかがまずは課題となるでしょうね。」
「でも、未開の原住民という訳ではないんでしょ?」
 そう訊いたのはシーファだ。
「はい。そう言う訳ではありません。しかし、彼らが外界と関係を絶ってからもう数世紀の時間が経っているとも言います。まして、探し求めるのは禁忌中の禁忌である『煉獄門』。ですから、彼らがそれについて知っている可能性さえ、微妙と言えば微妙です。」
 アッキーナがそう応えた。一同、表情が曇るが、ここまで来てやらないという選択肢はない。
「とにかく、明日、タマンへ向けて出発しよう。」
「早ければ、3日の内には『魔界村』へ入れるよ。」
 ミリアムとユンはそう言って日程を再度確認した。

「忘れ物などはありませんか?この店にあるものなら何でも持って行って構いませんよ。」
 貴婦人がそう勧めてくれた。とは言っても、この店の商品の大半は呪われていてそのまま使うことはできない。結局、自分たちで用意したものが頼りという状況に変わりはなかった。

「エバンデス婦人、今夜もう1晩、ここで休ませてください。明朝、発ちます。」
 そう言ったのはアイラだ。彼女はシーファに視線を送るが、いつものようにシーファがそれに応じるといったことはない。なんともぎくしゃくした空気が二人の間には立ちはだかっていた。

「それはかまいませんよ、アイラさん。よく休んで、きっとシーファさんの心を取り戻してください。」
「ありがとうございます。」
 貴婦人とアイラがそう言葉を交わした後、めいめいは割り当てられた部屋に戻って早々に身体を休めた。

 神秘の空間では、体感覚と時計以外で夜を知る方法がなかったが、既に、時刻はゆっくりと22時を回ろうとしている。明日は早い。床にはいり布団をかぶると、宵闇が瞬く間に、少女たちの意識をその懐の内に捉えていった。月と太陽が、交代に備えてゆっくりと地平を境に回転していく。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集03『束の間の日常』完


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