みんな大好きです!
もえさん紹介ありがとう!
ヒラである僕がフィナーレを飾る理由は完全に僕の我儘のせいですね。
5月に留学に行く予定だった私は夏iwに参加することができなかったのですが、みんなのnoteを読んでて書きたくなり、委員長にわがまま言いました。ごめんなさい
結局留学の予定が夏になり、もえと一緒に夏iwができて僕も本当に嬉しいです。
もえとはショートリで初めて話したけど、よくわからない韓国語を会話の中に織り交ぜてくるだるい人です。でも意外としっかりしてる面もあって、なんというかiwの母って感じですね、さすがクッキングママと呼ばれるだけあります。
ちなみにさん付けして呼ばないとすごい睨まれるので、72期のみんなは気をつけましょう。
そんなもえやけんと、それより前に書いてくれた全員のnoteが良すぎてプレッシャーがすごいです。大トリを書いちゃっていいのかと言う気持ちもありますが、たかとみたいに高いハードルを高く飛べるよう頑張って書きたいと思います。
お前ドイツ行くんちゃうんかい!というツッコミは心のうちに秘めておいてください。
ぶっちゃけこのnoteを書くってなった時に一番悩んだのは題名です。みんなかっこいい題名つけてるなーと思い、自分もめっちゃ考えたけど無理でした。
なので自分のiwに対する想いをストレートにぶつけてみました。きもいかもしれませんが本当にみんなのことが大好きなんです。
そんなiwが大好きな自分について話したいと思います。
自己紹介
初めまして!iw71期の宮崎竣です(フィートリデイ)
自分語りをする前に少し自己紹介します
趣味:映画鑑賞、音楽を聴くこと、サッカー観戦
バイト:磯丸水産、シンフォニークルーズ
兼サー:KVF(バレーボール🏐)
学部:法学部政治学科、🇩🇪語
mbtj:ENTJ
好きなもの:味噌汁、日吉キャンパスの中庭、空いてる電車、iw
嫌いなもの:パプリカ、勉強
身長の話をするという謎の流れを断ち切ってくれた成良に大きな感謝をしたいと思います
みんなからははやおって呼ばれてます
中3の時、転校した時に苗字が宮崎だからという理由で呼ばれだしたあだ名なんですけど、自分でも不思議なくらい気に入っちゃって、自己紹介の時もラインの名前もインスタも全部はやおにしてます。そのせいか、かれこれ5、6年ははやおって呼ばれ続け、自分のことを本名で呼ぶのは家族くらいになりました。(これまじ)
もはや自分の名前ははやおなんじゃないかって思うレベルですね。
特別感、優越感を感じたい人はしゅんって読んでみてください。他の人にしゅんって言っても伝わらないから気をつけてね
ところでみなさん「人たらし」って日本語知ってますか?
僕、まだあんま仲良くなってない人に人たらしだねって言われることが多いんですよ、しかも女の子に。これって脈アリですか?
どちらにせよ、褒めてるのか貶されてるのかわからなくてモヤモヤしてます。誰か教えて下さい
でも自分が新しい人と触れ合うことが好きなのは自覚してます。というか他者と仲良くなるのが人よりちょっと得意だと思ってます。その理由は自分の中で明確で、色々な場所に行き、色々な人と触れ合ってきたからです。
僕の生まれは神奈川県ですが、育ちは色んなところです。今までのnoteを読んだみんなはこんなことじゃもう驚きませんね。
僕は小学校1年生の時に初めて海外で暮らしました。フィリピンに3ヶ月間という短い間だったけど、自分の海外に関する興味を駆り立てるには十分過ぎる時間でした。小学校2年生の時にはオーストラリアの現地校に通い、初めての長期留学を経験します(たまたまみくの高校の付属小学校に通ってました、世界って狭いよね)。そこでもっと海外の楽しさを知り、小学校4年生ではカナダに留学しました。そこで一生の友人に出会うわけですが、話すと長くなるので割愛します。
中学3年生の夏に再びカナダに渡航し、高校に入学しました。そこを卒業してイタリアの大学に進学するつもりだったのですが、コロナの影響で日本に帰国せざるを得ない状況になりました。なんでイタリア?って思いましたよね、自分でもよくわかりません。
帰国後は日本の高校に編入し、それなりに楽しく、てきとーに高校生活を送ってました。大学はとりあえず日本の大学に行こうと思い、母と姉が慶應だったからという理由でなんとなく慶應を目指し裏口入学をして今の自分に至ります。
とまあこのように、僕はこれまでの人生あんまり努力をしたことがなく、てきとーに生きています。何もわからないうちに留学に連れていかれ英語ができるようになり、高校も偏差値の低い高校に編入したおかげで学年1位をずっと取れていました。そのせいでどう考えても身の丈に合ってない大学に紛れ込んでしまいました。
でも、そんな自分でも人と仲良くなる早さは自信あります。
小学1年生から高校1年生までの間に3カ国の現地校に通い、他にも親の教育方針?で色々転校を繰り返してました。
転校ばっかり繰り返すと自然とコミュ力が身につくんですよね。転校初日とかはやっぱりくそ緊張するけど、徐々に学校行くのが楽しくなっていきます。新しい人と出会って新しい友達作るのってまじで楽しいですよ。iwではこのことを本当に実感させられました。人と出会う瞬間が、自分の世界が広がってるって1番感じる瞬間だと思います。
かんたが言ってたけど本当に出会いって美しいんです。19年しか生きてませんが、これは胸張って言えます。
この性格があったからこそ、僕はiwという場所にのめり込んだのかもしれません。
自分にとってのiw
僕が初めてIIRという団体を知ったのは、慶應に合格してすぐのことでした。自分はAO入試だったので11月に合格発表があり、4ヶ月くらい暇でした。一緒に合格した友達と、どこのサークル入ろうかと話している時、絶対IIR入る!と言っているやつがいて、そんな団体があるんだな〜と思ってました。ちなみにそいつは今総務局で副局長をしています。めちゃくちゃ大変そうです、頑張ってね
大学に入学して、いよいよサークル決めるっていう時期に、その友達に連れられ対面新歓とプロジェクトあいみに行きました。
でも正直全く国際交流に興味がなかったです。興味がなかったというか、国際交流は自分の中で日常的なものだったので、わざわざサークルに入るほどか?って感じで結局入会しませんでした。その時の自分をぶん殴りたいですね、最初からiwに入ってたらどれだけ楽しい思い出が出来たんだろうなって今でも思います。
そんな僕がiwに入ると決めたのは1年生の9月ごろ、他のサークルで仲良くなったひろとに「お前留学してたし英語もできるんだからiw入ってみれば」と言われたのがきっかけです。あの時iwに誘ってくれて本当に本当に本当にありがとう、そんな恩人であるひろとには結婚式の司会を任せたいと思います。
iwには同じ塾でずっと仲良かったあゆとないる、他のサークルで仲良くなったひろととみく、なぜか知り合いだったたかとがいて、国際交流がしたい!って気持ちより、もっと友達増やしたい!っていう気持ちで、カラオケで1分間ずっと歌うという共感性羞恥心がえげつない動画を撮り、晴れてiwのチャージになりました。
今ではiw大好き人間になってるけど、その時は他のサークルの副代表になったり、iwにコミットする気は全くなかったです。というかiwどんなプロジェクトで、何をしているのかも知りませんでした。
実際、デイ遊びも2回連続でぶっちしました。クッキングのみんなごめん
全体会とかにも参加してなくて、同期全体での食事会で初めてみんなに会いました。みんなもう既に仲良くて、当たり前だけどめちゃめちゃ気まずかったです。でも、話してみるとみんないい人たちばかりで、この日がきっかけで僕はiwが好きになりました。デイ遊びとかエアビにちゃんと参加し、70期の先輩とも71の同期ともめっちゃ仲良くなってきました。
そんな僕はいつの間にかiwにのめり込んでました。自分でもびっくりするくらい居心地が良くて、ここが自分の居場所なんだなって。いつ行ってもみんなが笑顔で受け入れてくれるあったけぇ場所なんです。
こう思い返してみると、思いがけないところに自分の居場所ってあるものだね。
iwでの思い出
大学1年間の思い出は?と言われたら僕は間違いなくiwでの日々と答えます。みんなと関わった時間は多分2.3ヶ月くらいしかないけど、ほんとに毎日が楽しすぎてそれまでの記憶とか思い出が上書きされた感じでした。
特に2月のiw本番期間中の思い出は、一生忘れられない時間になりました。
2月8日の前夜祭、10日のゲストを迎えるウェルカムパーティーから始まり、25日のフェアウェルパーティー、27日の後夜祭で終わるまでほぼ毎日みんなと遊び尽くしました。
その中でも、ゲストと2泊3日で京都に行ったショートリ楽しかった。
募集してた時はあんまり仲良い人いないから行かなくていっか!とか思ってたけど、ゲストが来てみんなと色んなところ行ってるうちに日本人ともゲストともめっちゃ仲良くなっていって。やっぱり行けばよかったって後悔してたんです。
そんなとき枠が1つ空いたって朗報が飛び込んできました。
でも僕絶望的にお金がないんですよね、iirで1番お金がないって胸張れるくらい無くて、その時の所持金が5000円くらいでした。結局親に土下座してお金借りたのはいい思い出です。めーけんさんにもだいぶ我儘言っちゃいました。毎度のことですがめーけんさんいつもわがままばっかり言って本当にごめんなさい、めっちゃ尊敬してます!!!!
ショートリの何が楽しかったのって聞かれると困っちゃうんですけど、とにかくする事なす事全てが楽しかったです。班に分かれてゲストに京都案内したり、夜中まで音楽かけて盛り上がったり。途中、鴨川の河川敷で過ごした時間は永遠に感じましたね。(クサすぎてごめん)
2泊3日の短い間だったけど死ぬほど楽しかった。
もちろんショートリ以外も楽しかったです。自分のデイ(クッキング)の本番ではゲストに材料が違う!これじゃ作れない!とめっちゃ怒られたの覚えてます、、、走って買いに行きました。他にも色々トラブルはあったけど、結果的に大成功で世界中の美味しい食べ物が食べれました。
自分はCPでもチフコミでもなかったから他のデイには参加できなかったけど、それでも最高に楽しい1ヶ月でした。
iwの素晴らしいところ
もう既にiwの魅力、素晴らしさは分かったと思うけど、自分からも言わせてください。
iwは本当に人が素晴らしいです。色々な経験ができるのはもちろんだけど、iwでしか出会えないかけがえの無い人たちが待ってます。
本当に様々なバックグラウンドを持っている人たちばかりで、そんなみんなに毎日刺激を受けまくりです。海外経験ありまくりの連中なんてゴロゴロいるし十何代続いてる茶道家の娘もいる、世界的ラッパーもいますね、話しかけたら自慢のラップを披露してくれることでしょう。浅草で人力車引いてる人なんて慶應に数えるほどしかいないやろ。
こんなにおもろい人たちが集まるサークル他にあります?みんな狂ってて頭おかしい人たちばかりです。(いい意味でね^^)
こう考えるとiwは黒色なんじゃないかなって思います。誰かが虹色って言ってたけど多分そんな綺麗じゃありません。わっさーごめん
黒ってあんまり良いイメージないけど、iwにはぴったりだと思います。様々な個性がぶつかり合い、混ざり、共存してる。他の色には染められない、入ったらもうあなたもiw色です。
そう考えれば黒も悪くない色なんじゃね?って思えてきます。
"Live a life you will remember"
訳すと「思い出に残る人生を送ろう」です。
このフレーズにピンときた人がいたら教えてください、多分仲良くなれます。これは僕が大好きなアーティスト、Aviciiの「The Nights」という曲の一節です。
聴いたことない人は是非聴いてみてね
自分は特に座右の銘とかないのですが、強いて言うならこの言葉に出会い、自分の人生の見方が変わったような気がします。
自己紹介でも言いましたが、自分は19年間なんも考えずダラダラ生きてきました。今もなんも考えてないですし、多分この先もなんも考えず生きていきます。そんなこと言ったら親に、将来のこと考えてしっかり考えて生きろ!って怒られましたね。
でもよく考えると、脳死で生きてても英語は喋れるようになったし天下の慶應ボーイにもなれました。要するに人生何とかなるんですよね。18単位落として留年ギリギリになっても口座残高が残り二桁になっても家追い出されそうになっても毎日楽しく生きてます。
なら、自分の思い出に残る道を選択しよう!って思ったんです。そんな僕に、凛の迷言「人生二分の二」って言葉はすごく刺さりました、多摩川に身を投げながら感謝してます。
もちろん、フル単してお金貯めて自分の信念や夢に向かってがむしゃらに生きていくのはめちゃくちゃかっこいいです、というか絶対そっちの方がいい。みんな単位はちゃんと取りましょう。
iwにいる人はほぼそういう人間ですね。頭おかしいけど、みんなくそ頭良いし実家太いし何かに向かって突っ走ってるかっこいい人たちの集まり。自分とは違いすぎて嫉妬心すら湧きません。
僕は残念ながら夢も信念もないし、後先考えられるほど頭良くないので、今を全力で楽しむことに全力を尽くします。でもそれで、自分が死ぬ前に「あぁ楽しい人生だったな」って思い出せる人生が送れたら僕はそれでいいんじゃないかなって思います。Aviciiがそう言ってるんだから間違いありません。
最後に
ここまで読んでくれた人、ありがとうございます。僕がどれほどiwを愛してるか伝わってたら嬉しいです。
色々な人のエピソードや言葉を拝借しましたが、最後は委員長のめーけんさんの言葉をパクらせてください。
「人生の変わる出会いをしよう!」
耳にタコができるくらい言っていますが、iwという場所でみんなに出会えて本当によかったと心から思ってます。
みんなまじで大好き!!!!!!
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