最高学府
今では日本だと東京大学がそれに値する場所として知られている。
学校制度が確立する直前の時代である江戸時代には、藩校とか私塾とかがあったりした。
さらにそれよりもだいぶ前、中世あたりくらいまでは、大寺院が教育機関的な機能を有していた。
京の都に対して南都北嶺なんて言われたけど、要するに比叡山延暦寺と奈良の興福寺が当時の最高学府だったと言ってよいのだろうなと。
ちなみに、奈良市を散策して回ったことがある人ならわかるかもしれないが、かつて平城京があったようなあたりなんかよりも、奈良公園周辺の方が現在ではずっと栄えている。
これは、平城京界隈が遷都から早くに衰退していったのに対して、現在の奈良公園周辺というのは中世では興福寺の勢力圏であったことと関係があると思われる。
何が言いたいかというと、まあ怖いことを聞くと無関係なことをアウトプットしたくなりますねというお話