第32回 没後90周年 賢治忌
はじめての賢治忌
今回、初めて、#身照寺 の、#賢治忌 に参加させていただきました。勝手が分からないので13:30からでしたが、12:30に入って御首題を頂きつつ待つことにしました。
小雨ではありましたが、傘はいるほどで、供養塔に行って、#如来寿量品第十六 をyoutube練習用を使いながら、なんとか読み上げました。↓普段、勉強用に使っているのはこちらです。
そして、待っていると直書きの御首題と、9月末迄の期間限定の切り絵の御首題を頂けました!秋らしいものですね🙏✨
そして、NHKの腕章をつけた方や、檀信徒さん、また自分と同じ賢治ファンがポツポツと集まってきました。カメラマンも増えていきます。清六さんの孫、宮沢和樹 さんも登場し一番前に座りました。
墓前供養会
13:30からということでしたが、13:20位から始まりました。団扇太鼓、大活躍です。
最初は分かりませんが、合掌はしていました。その内、如来寿量品第十六 が始まったので分かる範囲で唱えます。途中途中、#南無妙法蓮華経 お題目を何度も唱えます。日蓮宗の供養会が初めてなのでとても新鮮な気持ちで、賢治さん、また宮沢家に合掌していました。
一段落したところで、焼香が始まりました。まずは宮沢和樹さんからです。後は流れに任せて焼香して参りました。
檀信徒さんは後からでした。
檀信徒さんの着物には、御本山久遠寺の印が見えます。やはり、御本山への参詣も大事なのだろうなと感心しておりました。だいたい30名ほどであったかと思います。普段着で全然構わない雰囲気ですが、個人的には数珠は持参した方がいいと思いました。
ご住職からお話
あとは、ご住職からの挨拶、身照寺の縁起、また、#宮沢賢治 さんの想いについて14:45くらいまでお話がありました。
とても興味深いものがありました。一部更に見直しが必要かもしれないですが、部分を掲載します。
業の花びら
以前、NHK で放送した「業の花びら」に戻るのですが、大正十年には政次郎、賢治親子で既に宮沢家の改宗は決まっていたのかもしれません。そうでなければ、大正十一年、妹トシの臨終の際、政次郎からシゲへ、お題目で助けてあげなんしぇ、の言葉は出てこないと思います。この大正十年には、宮沢家はもう実質日蓮宗であったのでしょう。
終わりに
ご住職は、#宮沢賢治 の、世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。この精神で一人でも二人でも世のために行って、尽くしてくださいと言った趣旨のお話をしてくださったと思います。まさしく、政次郎、賢治親子の思いが詰まっている、#身照寺 であることを痛感致しました。皆さんも来年以降、ご縁がありましたら、#賢治祭 だけでなく、#賢治忌 に参加してみてください。いつも賢治さんはしずかにわらっています。
追記
花巻の一般市民目線でいけば宗教がネックなのか、#賢治忌 よりも、#賢治祭 なんですねー。(日蓮宗がネックなのかも?)宮沢和樹さんは当然両方出席ですが。お寺は当然布教が入りますからね。それでも賢治さんの精神に触れようと思うなら、自分は一度は #身照寺 ご住職のお話を聞いてほしいです。