第26回 宮沢賢治と、陸羽132号の出会い
農薬チランチン
宮沢賢治において、陸羽132号の当初の出会いは記録上、『水稲苗代期ニ於ル #チランチン ノ肥効実験報告』から始まると考えている。今のところ、私の探し方にもよるのだろうが、大正十四年(1925)六月の肥効実験がそれに当たる。大正十四年、#陸羽132号 が岩手県の奨励品種に採用された時期で普及としてはこれからだった。特段花巻農学校時代の宮沢賢治はこの時点、#陸羽132号 の普及に努めたように思われない。
では、チランチンとは何か。大阪毎日新聞 1925.6.1(大正14)によれば、農薬とのこと。ドイツ、リービッヒ博士をして発明せしむるに至ったのであるとある。チランチンに種子をひたし、陰ぼしにして後、播種すると、種子についているバイキンを殺菌し適度の刺激を与えて発芽機能を促進し作物のねばりをよくし、茎を丈夫にし、発育に要する栄養分を充分に吸収せしむるので馬鈴薯などは肌が美しく肉質がちみつになり、大根の如きもジアスターゼを多分に含んで甘味が多くなるとのことだった。しかし、後、毒性が強いため販売中止になった。
チランチンの実験
以下は、八重樫次郎より依頼があったとされる、肥効実験のレポートである。はなはだ簡素であり、チランチンにも陸羽132号にも多くを期待していない様にも見える。
終わりに
それでも、#陸羽132号 が宮沢賢治から確認できたことと、岩手県において、#陸羽132号 が奨励品種になった時期が大正十四年であることに矛盾は感じられない。むしろ整合性はとれていると思う。より丁寧に、宮沢賢治の農業は見ていきたい。