会社からもらっているのは給料だけでなく「社会的欲求」だったのかもしれない
昨日書いたことの続き。
組織に属した働き方を卒業するときに考えておきたいことの一つに
「自分が会社から何を受け取っているか」について、もう一度考え直しておきたいと思った。棚卸し的に。
まずはお金をもらっている。毎月決まった額が給料として振り込まれるのは、会社とそういう契約をしているから。フリーになったらそうはいかない。
ただ、給料をもらう代わりに「自分の時間」を会社に差し出さなくてはならない。1日の半分近く(起きている時間のほとんど)を週に5日を丸々提供している。
自分の時間を「売り物」として組織側に提供している。これがぼくら労働者。
社会的な欲求
今回書いてみたいのは、会社から提供されているものがもうひとつあるかもしれない、と思ったこと。
それは「社会的な欲求の充足」。
人とのつながりとか、コミュニケーション欲とか、自分の話を聞いてもらいたい気持ちとか、承認欲求とか、そういうもの。
社会的欲求さえも、無意識のうちに会社からもらっていなかっただろうか? と考えた。
もしそうだとすると、これはとても危険なことだ。
なぜなら「支配」というのは、本人が支配されているとは思っていないときにこそ、最も有効に発動しているから。
ぼくは会社に、給料という金銭的な面だけでなく
「社会的欲求」という、組織で働くこととは本来関係ない部分まで、満たしてもらっていたのかもしれない。自分では気づかないうちに。
無意識だけど、「支配」はしっかりと効いている状態。
それは操られていることに自分では気づいていない人形と同じことだ。
「辞めたら大丈夫かな」となんとなく不安になるのは、金銭面以外でも会社に依存している部分があったのではないか?
もし本当にそうだとしたら、早急に考え直す必要があるとおもった。
ただ、社会的欲求の供給源というのは、すぐに手に入るものではない。
人間関係を築くのには時間がかかる。
「定年後に友だちもいなくて、抜け殻のようになってしまうおじさん」
は、人ごとじゃないと思った。
ぼくは定年ではないけれど、組織を抜ける面では同じで、
抜けたときに、自分ではしらなかった「実は会社に満たしてもらっていた部分」に気づいてバランスを失う。
そんなことになりたくはない。
矯正するなら今のうち。
生きていくのに必要な「コミュニケーション力」を身に付けなくては。
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