社会的な欲求の欠乏を甘く見てはいけない
人間のいちばん強い「欲求」って何だと思いますか?
よく言われるのが食欲、睡眠欲、性欲。俗にいう「3大欲求」。
でも、ぼくはこの分類は間違っていると思う。
どこがと違うかというと、3番目の「性欲」。性欲が毎日影響するほど強いときなんて、限定された(若いとき)時期だけじゃないかと思うんですよね。
人にもよるし。もともとそんなに性欲強くない人だって結構いるはずだ。
それくらいのモノを、3大欲求という「欲望の頂点」みたいな位置に君臨させるのはちょっと不自然な気がする。
たとえば60歳くらいになったときに、食欲と睡眠欲だったら誰にでもあるだろう。でも、性欲は減退するし、ほとんどなくなってしまう場合だってあるに違いない。
だから、人間の欲求の3トップがあるとしたら、3つ目は「性欲」ではないと思う。
それでは何か?
というと、「社会的欲求」だとぼくは思う。
人と繋がりたい(精神的な意味で)、人に認められたい、自分の話を聞いてほしい。それが社会的な欲求。
そういった「他者に自分という存在を認めてもらうこと」が人間には不可欠。その欲求は食べることや寝ることと同じくらい強いと思う。
ただ、社会的欲求は「表れかた」が分かりづらい。時間のスパンが長かったり、欠乏によって生じる現象が人によって違ったりする。
その点だと食欲や睡眠欲は「欠乏の症状」がわかりやすい。空腹でふらついたり睡眠不足でボーッとしたりする。
それは「肉体的な信号」として、ぼくらにダイレクトに訴えかけてくる。
でも、社会的欲求の場合は違う。その欠乏によって生じる症状は場合によって違う。
なんだか不安になったり、他人を信用できなくなったり、短期的な快楽にはしってしまったりもする。
ちょっと話が迷走するけど、ぼくはジャンクフードとかワイドショーも「社会的欲求の欠乏している人」の方がハマりやすいと思っている。(どんな関係があるのかはわからないけど)
欠乏がもたらす現象の「表れかた」が分かりづらいから、ないがしろにしがち。でも、社会的欲求の欠乏を甘く見てはいけないと思う。
それは人の精神を深いところから蝕んでいく。
貧困が日本でも問題になっている。
もちろん経済的な貧困も問題だと思うけど、もっと大変なのが「社会的な貧困」だと思う。
周りに安心できる他人がいない。心のよりどころがない状態。
それこそが貧困のいちばん大きな問題だという気がする。