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泣きたいときになければ人間じゃない

泣きたいって
人生で泣きたい、って思う瞬間は昔合った気がする。
今はそれほどの情緒性はなくなってしまったけれども。
辛いって気持ちが弱くなってるかな?気持ちの整理がうまく出来るようになってきたから、辛くても心が張り裂けるような場面がなくなってきた。
泣きたいときに泣かない、って強がって偉いってイメージもあるけど場合によっては蓋を閉めてしまって心と対話できる機会を逃してしまうこともある。
精神、心との対話は若いほど溌溂と動いているから自分を知るのにちょうど良い。
泣きたい、って時もいろいろな感情の中で思うもので、辛いときが多いと思う。
喜んで泣けるってそれはその瞬間自体に大きい価値があることでそんな瞬間がたくさん訪れてくれることは人生の豊潤さがどんどん膨らんでいく結果に繋がっていくからわどんどん増やせたらなって思うこと。
それとは逆に辛いときに泣かない、って言うのも逆に大事なんだけどそれが心を閉ざすような手法を取ることはダメかなぁ、って思っている。
泣いている時って意外と人生で大事な事が起こっていたりするから、後々であのタイミングがって事を思えたりするもので。
意外と時間が経って生きていくと心が摩耗するのか鈍くなっていくのか、「感じない」って方向に行っちゃうこともあって。
そんなことになる前に泣いてた事とか心の整理が出来たことを脳裏で思い出せると心が軽くなったり自分で乗り越えられるきっかけになったりする。

心って
心に蓋をするとどっかで爆発して精神が壊れたりするからあまりおすすめは出来ない。
若いうちは辛いときに泣きたいときに泣いてって徐々に成長を進められることが良きかな。
泣かない人が感動で泣くのは面白かったりするけどね。
情緒性がないように見えて完璧に見えるのになんか思い出して泣いてる人を見るとなんか、あぁ、良い瞬間を見ちゃったな、って気になったりする。
意外と泣く瞬間って面白いからね。
とても人間的な面を見られるわけで。
情緒溢れる彼、彼女、を見たときにバカにするような人間ではありたくないな。
そんな心を自分に感じ取ったら削り取るきく心の整理をするよね。
人らしく人間らしくってなかなか若い感覚ではあるけどさ。

人間らしくって
人間らしくないなら機械が生きていればいいのだからさ。
人間は機械的な面も持ち合わせてるから、
人間的な一面を見れたときにちょっと喜べるよ。