欲望について

全ての人が自分が思う最高の欲望に従って動くべきだと思い、そこに貴賎はないと思う。

たまたま自分の欲望が、音楽や映画、暗渠など知らないことを知りたいということだっただけで、たまたま合法的だった。そのたまたまについて想像力を働かせるべきだと思う。それが性行為だという人も勿論いる訳で、それが自身の欲望だと信じてやまない人について、どうこう言うのはお門違いというか、醤油が好きな人に対して、マヨネーズはどうなんだと声を荒げるようなことだと思う。

別に、互いの合意の取れていない性行為を助長したい訳ではない。そんなものは存在してはならないものだし、断固として反対する。ただ、人の欲望についてとやかく言うことは、ある程度の想像力が行き渡ってからであるべきだと思うのである。

一個人の意見としては、性行為なんて成立してしまえば、同じゴールについて突き進む行為であり、会話や、音楽を聴いている時の恍惚感にはどうしても及ばない。ただ、こんなものは一個人の意見であって、日本の冬なんて沢山着込めば凌げるくない?みたいな意見を自分が信じれないように、千差万別あるものだ。耐えきれない欲望というのがあるし、俄には信じがたいが、モテたいがためにバンドをやっている、という人はある程度存在する。全くもって意味が分からない。こんな奴らと同じ職業をやっていると思うと、ゾッとする。モテたいだけが動機ならもっといい職業があるだろうと、自分の脳みそでは思う。ただ、これを見下してはならない。

稀に、バンドマンの先輩が、「女を抱かないとロックスターになれない」「魅力に欠ける」などといったことを、真剣に自分に語ってくるが、そんなこともその人に対してたまたま正義であっただけで、そうとは思わない。知ったこっちゃがない。自分にとって、例えば自慰行為などやれば簡単に解決する欲望が、一つの曲を使ってまで解決しない欲望だとは到底思えない。これは自分の正義であり、自分の欲望だ。これに貴賎はない。勝手にやってろ、俺も勝手にやってるから。

自戒として、誰も望んでないのに、自分の音楽の話や、まだ知らない知識の話を、相手が望んでないのに繰り広げることがある。これもたまたま合法的なだけだ。もし、自分が鉄道が好きだったら、どうしようもなく犬猫が好きだったら、どうしようもなく樹木のことが好きだったら。人生には如何様にも選択肢があり、その中のただ一つをやっているだけだ。そして、その話が合う人と話がしたいと思っている。こんなこと付け加えるまでもないが、なんのジェンダーも関係なくだ。

人間、好きなことをやればいい。危害を加えないように、というのは一種の想像力だ。それだけが必要だ。

ファンのことを呼んで、めちゃくちゃな飲み会をやっていたバンドマンを誰が責めれるか?たまたま、その人の欲望が異性と何かを起こしたい、そこにあっただけだろう。そんなことに腹立って何が楽しいのか?居酒屋に迷惑をかけるのは良くない。店の人や他のお客さんに迷惑をかけてはいけない。だからとはいえ、自分が好きなものが、自分が失望するものだった、それが分かった瞬間にそこから離れればいいだろう。あなたが好きなものが音楽だったんなら、この世界に山のように面白い音楽がある。あなたの好きなものが人だったんなら、この世界に山のように面白い人がいる。簡単に離れて、簡単に何かを好きになればいい。何かや誰かを自分好みに正すほど、人生は長くない。リシェイプされた物に溢れた「規則正しい」世界を生きていて本当に楽しいか?時間は有限で、選択肢は無限だ。世界はどう読み取っても面白い。まだまだ知らないことが沢山ある。

バンドでライブをやっていると、自分の思っても寄らぬゴールに辿り着くことがある。だからライブをやっている。それは酒に酔うことや、自分に酔うことや、色恋に酔うことで解決できない。だからバンドをやっている。すごくシンプルな話だ。ただ、この沸点も人によって違う。これが真面目か、クールか、チャラいか、社交的か、そんな言葉は自分の人生にとって一切の意味を持たない。ただ、自分のやりたいことをやっているだけだ。

自分が飲み会で真剣にやっている音楽の話が、誰かにとってのセックスの話かもしれない、恋愛の話かもしれない。ただ、そこに全く自分は興味がない。だからと言って、人の欲望に貴賎はない。

その想像力を懸命に働かせながら、自分は自分の欲望について動くべきだ。誰か何をしようがどうでもいいし、人は自分が何をしようとどうでもいい。

その当たり前のような残酷さを必死で受け入れながら、でもこの星のどこかに自分のことを分かってくれる奴がいるかもしれないという一縷の希望を持ち続けるんだ。

そうして初めて、人からしたら取るに足らない価値で塗れたクソみたいな人生を、生きていく価値があると思えるんじゃないか。

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