見出し画像

歴史の上に立っとるわ

バンドとしては2年ぶりに全国各地を回った。北から順に、札幌仙台名古屋神戸広島福岡。色んな街に行った。ライブが終わると、すぐに片付け、マイクのウインドスクリーンを洗い、ギターをしまい、次の街へ向かう。機材車に揺られながら、明日のことを考える。窓の外の星を見上げるなんて歌にあるようなことはしない。ただ、疲れ果てて寝ているか、運転しながら前の車だけを見ている。2年前には当たり前だった、日々の風景。

よく行く街には行き慣れた店がある。仙台の寂れた中華食堂、広島のサインに埋め尽くされたつけ麺屋、天神の商店街のうどん屋。どこも2年前の記憶、もしくはそれよりずっと前の記憶のまま頭の中に残っていた。私たちは車を降りて、久々に開くRPGゲームのように街を歩く。ここを曲がればここに出るはず、いや違った。断片的な頭の中のマップを頼りにしてフラフラと、頼りないパーティーは歩き出す。知らないようで、知ってる街を。

札幌の狸小路という商店街から少し外れたところに2階建ての喫茶店がある。だいぶ昔に初めて札幌でライブをした時に見つけ、以来ライブ前は必ず行くようにしている。朧げな記憶を頼りに、辺りをうろちょろしてやっと見つけることができた。何もかも変わってない店内で、トイレのドアを開けると相変わらず和式便所。そうそう、ここは和式やったんや。ドラマチックな再会や、汗まみれの感動ストーリーもいいけど、私はこういうことが堪らなく嬉しい。2年間、東京のマンションの一室で曲を作っている間も、下北沢でライブの打ち上げをしている間も、札幌の喫茶店の和式トイレが、和式トイレのまま生きてたことが。

変わってるものと、変わらないもの、バンドをやっているとその両方が見えてくる。札幌でライブをすると、距離をとるためフロアに均等に置かれた椅子に座って、昔出したTシャツを着て待ってくれているお客さんがいた。あれは多分、バーカウンターの上に立って、埃まみれの天井を掴みながら歌った日に売ったもの。そのライブハウスは今年の3月に、なくなってしまった。



福岡、薬院のUTEROでライブをした。対バンは神戸の仲間SLMCTと、熊本の学生がやってるデュビア80000ccというバンド。これまた2年ぶりの福岡、前来た時にいたドラムが抜け、サポートの大見がドラムを叩いている。客席を見渡すと、あの頃、足繁くライブに来てくれていたお客さんがいた。ここ何年かで作った新曲ばかりのセットリスト、変わってるものと変わらないものが交錯しながらライブは進む。全てこの地で、鳴らしたかったものたち。

「記憶が揺れる」という歌詞を歌った瞬間、本当に色んなことを思い出した。この博多の街にライブを観に来ていた高校生の頃。バンドを組んですぐに出演したロカビリー色の強い北九州のライブハウス、客は親二人とヤンキーの友達一人。デュビアと同じように学生の頃、カート引きずりこのライブハウスに来たこと。ポリープ手術直前声が枯れそうだった福岡でのライブ。つい最近、インタビューで「バンドを組んだ頃の曲です」とかなんとか語ってた私。

自分が言った言葉に引っ張られるように、記憶が揺れる記憶が揺れる。待てや、こんな走馬灯みたいなもんはもっと売れた時にやってくれ。小さなライブハウスで回想することじゃないやろ。気持ちとは裏腹に、福岡という土地にまつわる色んなイメージが頭を走り回る。


演奏してるけど体は浮かび上がって、その時、強く感じた。大それたこと言うようやけど、今ステージの上に立っとるんやなくて、歴史の上に立っとるわ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?