もどかしくて贅沢な時間 「不妊」がくれた第2のモラトリアム

今日も一歩も外に出ないまま夜になった。

会話を交わす相手も夫ひとり、という日がほとんどなのだけれど、今日は夫も出張で帰らないので、まったく言葉を発さないまま眠るかもしれない。
そのこと自体は苦痛ではない。
高校・大学で放送部界隈のファンキーでフレンドリーな仲間に感化されさえしなければ、私は元来ひとりぼっちで充実したライフを満喫する、ソロ充であったに違いないのだ。
そんな人間だが、縁あって数年前に伴侶を得た。
そして今、30歳、不妊治療の真っ最中である。

不妊治療は、自然排卵に任せたタイミング法⇒薬による排卵誘発をともなうタイミング法⇒人工授精⇒体外受精⇒顕微授精、とステップアップしていく。費用もステップアップする。1周期あたりの費用は、タイミング法で6千円、人工授精2万円、顕微授精50万というところ。
私は今人工授精のフェーズだけれど、排卵が上手く行かないので、体外受精も検討するように説明を受けたところだ。

それなりにショックを受けている、と思う。
それなりというのは、私は元々子ども好きなほうではなく、見知らぬ赤ちゃんの写真を見ただけで「かわいい!」と思える人間ではないからだ。猫のほうがずっとかわいい。
友人の子どもを見ても、写真を見ただけなら感情はほぼ無だ。(直接会って、動いているのを見るとかわいいと思わないでもないが、未知との遭遇というか割れ物というか、どう接していいか分からないという気持ちが正直強い)
なんなら結婚もしないかもしれない、と思ったので、食いっぱぐれないように工学部に行ったくらいだ。
そんな人間ではあるが、夫の子どもは欲しいなと、なぜか自然に思えたので、妊活に取り組むことにした。当時27歳。正直、1年以内くらいにはできるだろうと思っていた。まだ若いし、って。
保育園の4月入園に合わせて、ちょうど育休が1年くらいになるよう調整しようと思い、妊活を休んだ時期もあった。
そんな間にもプロジェクトが忙しくなり、帰宅時刻が日付を超える日が続いた。生理が2ヶ月以上来なくて、「もしかして」と期待したのもつかの間、「卵巣が弱っているね」と産婦人科の先生に言われた。

ああ、と思って、私は会社を辞めた。
理由は「不妊治療に専念するため」と伝えた。それは理由の一つでしかなく、仕事そのものが精神的にも体力的にも背負いきれなくなって逃げだした、ということは誰よりも私が知っている。
辞めるときに偉い人に言われた「(子供ができないのは)相性だと思うけどね」という言葉にはひそかに傷ついたけれど、後ろめたさのほうが勝って怒る気にはなれなかった。
不妊という大義名分を持ち出して会社を辞めることで、未来の女性社員と就活生には不利益になるだろうなと思った。でも、自分が一番かわいかった。

そうして専業主婦生活が始まった。
終電で帰り、朝はねのけた毛布を拾って寝て起きて仕事に行くだけの生活をしていた頃は、専業主婦になった自分の姿をよく夢想していた。
毎朝掃除機をかけて、シーツを洗って、外に干して、手の込んだ料理を作っていちばん温かい状態で夫に出そう、と。
できなかった。1ヶ月もたなかった。私には専業主婦が務まらなかった。すぐに着る服を畳むのは耐え難かったし、好きだと思っていた料理が毎日のタスクになると全く楽しくなかった。
承認欲求の強い私は、賃金という分かりやすい評価を失くして、夫にそれを期待してしまうのだった。十二分に優しい夫に、それ以上を求めてしまう。作った料理は「おいしい」と口に出して欲しいし、共働きのときは一緒に配膳してくれたのに、今は食事を並べてもゲームのきりがいいところまで辞めてくれない姿を見て、恨めしく思った。自分のメンタルが良くない傾向にあるのを感じた。
それで求職活動を始めて、求人サイトを見るのが日課になった。街に出かければ、目に入る建物と求人票が結びつくぐらい眺めていた。
けれども実際に応募できそうな求人はほとんどなかった。退職と同時に通い始めた不妊治療専門クリニックに週1、2回行く必要があったからだ。私は科学を信頼している。専門家に適切な薬を適切なタイミングで投与してもらえれば、子供はすぐにできる気がしていた。そうではないことを、数字で知っていても。

元々の職種がIT関係の端くれだったこともあり、なんとかリモートで働けるアルバイトの口を見つけた。コアタイムはあるものの、急な通院のときなどはそちらを優先させてくれて、とてもありがたい。何より今までの経験を多少なりとも生かせて、仕事の内容も面白い。
けれども扶養内のパートである。103万の壁、130万の壁、をめちゃくちゃ調べた。源泉徴収の出る1月になると、夫のものとつい比べてしまう。自分から投げ出したくせに、前職を辞めなかった自分の年収を想像してしまう。来年の春に育休から復帰する、元同期の家に遊びに行き、違う世界に来てしまったことを実感する。

私は、「好きで好きでたまらない仕事を、不妊治療で泣く泣く手放した」身ではない。
「不妊を口実に体よく退職して、家事もままならないうだつの上がらない奴」である。
その事実からはどうあがいても逃げられないのである。
卵管造影と人工授精は痛かったけど、炎上プロジェクトよりは辛くない。

今は空いた時間で、好きな勉強をしたり、絵画教室に通ったりしている。高校生たちが部活や進路や修学旅行についておしゃべりしているのをBGMに、黙々と鉛筆を動かす。鉛筆はカッターで削る。カッターの刃が木に食い込む感触も、手にべったりと着く鉛筆の粉の香りも、大人になってからの日常生活ではとうてい味わえなかった「実感」を伴っていて、贅沢な時間である。

あとどれくらい不妊治療を続けるか分からないけれど、実っても実らなくても、この生活はいつか終わりになる。期間限定、2度目のモラトリアムだ。
もし子供ができなかったら、今後は私が夫を扶養に入れられるぐらい、稼いでみたいという野望がある。夫にも仕事について思うところは色々あるみたいだから。彼さえよければモラトリアムをプレゼントしたいと思っている。
一度逃げ出した人間に、社会の評価は厳しいかもしれないけれど。
モラトリアムを満喫してエネルギーを補充した今、どう転んでも笑って生きてやろう、という心持ちなのである。

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