ドラッグコートについての学び
おおた社会福祉士会&おおたTSネット合同勉強会に参加。
2021年1月21日19時00分~21時00分
☆今日の投稿はメモ書き程度で、文体めちゃめちゃです。あしからず。
テーマ
地域の中で薬物依存回復訓練プログラムが広がることの意義と課題〜「薬物問題」ではなく「社会保障の問題」へ〜
講師 丸山泰弘氏 (立正大学准教授)
まずは自分の感想。
話を聞き、ジョン・ハリのTED動画を思い出した。
https://www.youtube.com/watch?v=PY9DcIMGxMs&feature=youtu.be
私は孤立こそが依存症の大きな原因だと話してきましたが、現代社会では孤立は深まりつつあると考えています。
何だって?現代社会は、歴史上最も「つながっている」社会じゃないか?
そう思われるかもしれません。
私は、次のように考え始めています。
「つながり」と私たちが呼んでいる物、もしくは「つながり」と思い込んでいる物は、人間的な絆のマネごとでしかないのではないか、と。
A lot of us feel like that, and it might sound weird to say, I’ve been talking about how disconnection is a major driver of addiction and weird to say it’s growing, because you think we’re the most connected society that’s ever been, surely.
But I increasingly began to think that the connections we have or think we have, are like a kind of parody of human connection.
Howard S. Becker『アウトサイダーズ』より
「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、 彼らにアウトサイダーの レッテルを貼ることによって、逸脱を生み出すのである」 (Howard S. Becker『アウトサイダーズ』)。 の何が逸脱であるかを規定する「規則」は、自然にあるものではなく、「つくられる」ものである。
つくられた規則は、 万人に平等に適用されるとは限らない。(→Selective Sanction)の逸脱者というラベルを人に貼り付けることが、次の逸脱を生み出すというメカニズムがあるということである。
「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーの レッテルを貼ることによって、逸脱を生み出すのである」
(Howard S. Becker『アウトサイダーズ』)。
①何が逸脱であるかを規定する「規則」は、自然にあるものではなく、
「つくられる」ものであるということ。
例:初恋を何十年と持つことを、純愛とするか、ストーカーとするか。
②つくられた規則は、万人に平等に適用されるとは限らない。→Selective Sanction
例:いつも宿題をしてこないAと優等生のB、叱られるのはA。
③逸脱者というラベルを人に貼り付けることが次の逸脱を生み出すというメカニズムがある。
例:役割を演じてしまう。タバコやバイクで停学になった少年が、自他のレッテルにより不良になっていく。
①②は薬物事犯によく当てはまる。
反省させるほど再犯率が高くなる。
では、世界は薬物政策をどうしているか?
刑事司法の中で薬物依存とどのように向き合うのかを考える
「ドラッグコート」(アメリカ)
薬物の蔓延は公衆衛生や社会保障の問題であるとし、非刑罰化による薬物依存対策を考える「非刑罰化・非犯罪化派」の 活動(ヨーロッパ·カナダ)
ドラッグコートとは何か
単に刑罰としての拘禁刑を科すだけでは、 薬物犯罪は減少せず、過剰拘禁を激化させ、刑事司法制度の破綻をきたした。
ドラッグコートは、1980年代にコカイン乱用者の著しい増加により、 刑務所における酷い過剰拘禁問題に苦しんだフロリダ州デイド郡の第9巡回裁判所(マイアミ 市)の関係者が1989年から始めた裁判
薬物使用が止まらない背景には「やめたくてもやめられない」という薬物のコントロール喪失があり、その根本原因である薬物依存症の対応を刑事司法制度に取り込めば、薬物事犯者は減少するはずだと考えた。
裁判手続の中心に薬物依存症治療を据えたドラッグトリートメント·コートが出現した。
裁判官が法廷で治療プログラム終了時 までの期間(1~3年間)集中的に監督し、 プログラムの全過程を終了した被告人に対して、手続を終結させることにより、刑務所での拘禁を回避する革新的な裁判制度である。
問題解決型裁判所
ドラッグコートモデルの裁判所は総称し て問題解決型裁判所と呼ばれる。これらの裁判所は特定の犯罪ないし問題 に特化した専門性の高い裁判所であるというだけでなく、犯罪行為を裁くのではなく、その行為の原因となる「根本原因」を治療・除去することにより、真の問題解決を企図するという姿勢を共有している。
医療的な側面からの諸問題
「医療関係者は、倫理規約による医療行為をすることが定められており、いかなる場合であっても、患者個人の利益が優先される医療行為をする義務を負っている。」Adrian Barton。
だが、
「もし、薬物使用者が強制されて治療の現場に来た場合、患者の機密に関しては、 刑事司法システムと情報を共有しなければならないのか」
と疑問を呈している。
「犯罪」をする人は自分とは違うモンスターなのか?
「刑罰」を厳しくすることが「犯罪」を予防することになるのだろうか。
多くの犯罪で同じことが言えるのではないだろうか。
国際的には、治療的な介入を刑事司法でやるのか、 社会保障の問題としてやるのかが大問題となっているところ、日本では意思の問題や刑罰でどうにかなると言っていること自体が問題である。
ドラッグコート制度は、従来の伝統的な刑事裁判に比べれば、人道的で、医療的で、 福祉的であるとされる。
しかし、どうしても刑事司法の枠の中で行っていることの矛盾が発生する。 ソーシャルワーカーの役割がとても重要になっている。
営利目的の所持の場合もあるので、どうしても、所持を発見したら刑事司法の捜査の対象になってしまうから。
というわけ(?)で、ありのままで、そのままでいられる場、「つみ☆げしゅ」を開催します。