共感を得られにくい『死恐怖症』
こんばんは、初めまして。
皆さんは死について悩んだことはありますでしょうか。
私は中学生くらいの頃から、死についてずっと悩んできました。
いつか来る絶対的な死と、その後の永遠の無。二度と意識が戻ることが無く、自分の思考がそこで完全に止まってしまう恐ろしさ。
しかし両親や友人に悩みを相談しても「そんなに若くて健康なのに、どうしてそんなことを悩むの?」と不思議な顔をされてきました。
最近になって知ったのですが、世の中の死恐怖症の人はしばしばこのような孤独や疎外感を経験をしているようです。
『死』への恐怖は自分の人生にとって何よりも切実で辛いものなのに、周りの人にはその重みが全く伝わらない孤独感。
それどころか相談した相手から「何でそんなよくわからないことで悩むんだろう?この人は精神に異常を抱えているんじゃないだろうか」と訝しんで見られている気がしてくる。
そんな辛い体験を経て、自分の死恐怖症というものを隠すようになり、まるでそんな悩みなど最初から持っていないかのように社会生活を送るフリをしていく……
そういった経験を送った人の話が、ブログやツイートを検索すると見つかりました。
時には「へー、死ぬのが怖いんだ?私はさっさと死にたいけどなー」と返されて何も言えなくなるケースもあるようです。
同じ恐怖症を抱える人にしかその真剣さ・切実さは伝わらないのでしょう。
一方、最近はTwitterのトレンドに死恐怖症が載っているのを2回ほど見かけました。(有名なVtuberの方が死恐怖症に悩んでいるとおっしゃっていたり、ゲームのスキルにそういう名前のものがあったりしたのが理由だそうです)
その際に、『こんな話で悩んでいたのって自分だけではなかったんだ!』とつぶやく人もちらほらいる様子を見かけました。
死恐怖症を誰にも共有できず孤独を感じている人は、私だけではなかったらしいと知った時、人生で初めて仲間を見つけた安堵感で気持ちが軽くなりました。
それなら、私が感じた苦しみや葛藤、それに対する向き合い方についてまとめておくことで、いつかそれを見つけた誰かも安心できるかもしれない!
そんなことを考えて、この文章を書き始めました。同じ悩みを誰かと分かち合うことが出来たら嬉しいです。
そういえば、生活に支障が出るレベルで死恐怖症や永遠恐怖症に悩む人の割合は数万人に1人程度ではないかという話を見かけました。
これが事実だとすると、現実では同じ悩みの人とはまず出会うことが無いであろう一方、日本人1億人の中では1万人程度が死恐怖症ですので、インターネット上でなら探せば見つけられそうな気がしますね。こういう時、インターネットのある時代に産まれることが出来て本当によかったなぁと思います。