『死恐怖症』と進路選択②
葛藤を抱えながらも、大学2年生の進振りの時期が来ました。
※進振り: 東京大学では最初の2年では教養課程として幅広く勉強を行い、そこで自分の適正を見極めたうえで3年以降の専門課程での進路を決める仕組みになっています。これを『Late Specialization』と呼ぶようです。
自分の人生をどのように決めると、最も後悔しないだろうか。
その後の人生、40歳の自分・50歳の自分・60歳の自分・余命3か月になった自分……色々な立場を想像して、何を選ぶのが良いかを考えました。
『数学や物理を学んでも、この世の仕組みについて自分が満足いく答えを知る可能性なんて0と言っていいんじゃないか』
『稼げる分野に進学して良い会社に就職して、幸せな人生を送った方がずっとマシなんじゃないか』
『余命3か月になった時、自分は後悔しないのか』
他の人から見れば、笑えるほどに愚かな葛藤だったかもしれません。
こんな思考回路で進路を悩んだ人など、周りにどれくらいいたでしょうか。
それでも私にとっては人生でも一番と言っていいくらい悩んだ選択肢でした。
結局私は情報系に進みました。
私にはネオ・ファウストの一ノ関教授のように、死恐怖症と向き合いながらも何も得られないまま人生を終える覚悟がありませんでした。
その代わり、ほどほどに仕事を頑張って幸せな人生を送れそうな情報系がきっと一番良いはずだと信じました。
実際のところ、研究室選びもその後の就職も希望通りの進路を選ぶことが出来、良い生活を送れています。 (また、研究者を選んだ友人がとても過酷な日々を過ごしている様子を見ると、自分にあの生き方は出来なかっただろうと思います。)
それでも、自分の選択が本当に間違っていなかったのかは毎日考えてしまいます。
今の仕事は単に自分の寿命を給料に変えているだけで、私の持つ死恐怖症については何の解決にもなりません。
果たして、どちらの世界線の自分が正解だったのでしょうか。