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シンメトリーは美しい

そろそろ、シンメトリーは美しい話をしたい。


経済学やマーケティングの考え方に「情報の非対称性」というのがある。
詳しい説明は平素よりお世話になっているwikipediaを精読いただきたいのだが、
情報の非対称性 - Wikipedia

ざっくり説明すると、
「売り手」と「買い手」のあいだで「売り手」のみが専門知識と情報をもっている状態を指し、この情報の非対称性により、市場がうまく回らない状態に陥ることを説明している。

代表例として昔のアメリカの中古車市場。

買い手が「欠点のある中古車」と「欠点のない中古車」を見分けにくい中古車市場では、品質の良い商品であっても他の商品と同様に低い平均価格をつけられてしまい、だんだんと良質な中古車は市場に流通しなくなる傾向があることを分析し、これを「売り手」と「買い手」の間における情報の非対称性が存在する、としている。

この情報の非対称性の概念からは、
・情報の質と量をもっている側が有利 (当たり前にそうだよね、と思える)
・その有利な状況が市場に浸透していくと、市場としては有利な側に不利益を被っていく構造ができる (結果損する、という気づき)
という学びがある。

この情報の非対称性、ちょっと違う角度でみると異なる学びがあることに気づいた。

先述の例では「売り手」と「買い手」という売買の流れのなかの登場人物だが、職種の違う者同士や人生のバックグラウンドが違うもの同士の会話のなかで、情報の非対称性を感じる瞬間がある。

例えば、「製造業のエンジニア」と「ITのエンジニア」で会話をしているとそれぞれの業界業種で当たり前なこと/当たり前じゃないことが違うため、
①他分野のフレームワークを横展開できる
②その業界のことを知らないからこそ奇譚のない意見やアイデアがでてくる
瞬間をときどき体験する。

自分が考えるべきテーマとはまったく違う本を読んでいると、偶然か必然かそのテーマにつながる示唆が得られることもある。セレンディピティというのかもしれない。

とにかく、情報の非対称性は「売り手」と「買い手」以外のあいだでも存在し、その非対称性が生む結果は非対称性が起きる構造によっても違う、ということが言える。

フランク・ロイド・ライトのシンメトリー哲学のように非対称性な情報が対称になっていく様は気持ちが良かったりする。
シンメトリーは美しい。
フランク・ロイド・ライト - Wikipedia

なにとぞ。

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