言葉の重さの正体
そろそろ、リスクを背負う人の言葉の重みをみんなと分かち合いたい。
---
新刊が出たら購入する著者が2人いる。
「イシューからはじめよ」の安宅和人氏と、
「ブラック・スワン」のタレブ氏の本だ。
書店で平積みされる本や売れ筋ランキングをみて、世の読者がどういう情報を求めているのか妄想したりするが、それをもとに買うことはない。
だが、この2人の新刊だけは継続して買っている。
安宅和人氏の「シンニホン」はここで書いたので、
タレブ氏の本に触れつつ、リスクを背負う人の言葉の重みについて話したい。
自分は批評家になっていないか?
言うまでもなく誰もが個人で自由に発信できる時代だ。
気に入らないことや批判したいことがあれば、自由に意見を公開できるし、相手に投げつけることもできる。個人的に感じているのは、自分が制御できない領域に対してネガティブなコメントを寄せても現状は大きく変わらないので、何かを変えたければもっと良いやり方があるのではないかと感じる。精神衛生上、吐き出す必要があるのなら、相手を傷つけない前提でした方がいいと思うが(そういう精神状態にあるのは別な問題があるかもしれない)、そこで消耗するくらいなら自分の制御できる領域で意見をもって何か試してみるほうが建設的だし、ポジティブな気持ちになれると思う。そう思って外野だから言えることを言ってしまっていないかと気にしている。
「自分は批評家になっていないか?」と。
批評家にならないために
批評家にならないためにどうすればよいか。
僕の答えは「リスクをとる」ことだ。
自分の時間や資産など何かしらの資源を熱量を込める対象に投下する。
それが「リスクをとる」ことだ。
リスクをとって得た考え、行動はリスクをとっていないそれとは別モノだ。
「この人は何にリスクをとって生きているのか」を推測すると、吐き出される言葉の重みや意図の解像度が高くなるはずだ。
開魚した🍤氏のブロゲにも、最近それ(吐き出される言葉の重み)を強く感じるのだ。
タレブという知の巨人
作家、トレーダー、研究者、哲学者という複数の肩書をもつ
ナシム・ニコラス・タレブという人物がいる。
2019年に「身銭を切れ」という本を出した。
原題は”Skin in the Game"で、成果を得るための投資したり資源を投下したり、高い地位にいる人が事業を成功させるために自費をつっこんだりする意味らしい。
この本のなかでも、口を酸っぱく身銭を切ることの大切さを説いている。
システム的な生存(今の盤石な生活システム)を脅かすリスクは定量化できないので、リスクを避ける方法として、その人がその信念を貫くために身銭を切る行動が重要だと促す。
結果的に、その人が冒すリスクを察すれば信念の重さが見えてくる
ということだ。
「合理性は、ある人の考えや“信念”ではなく、行動によって決まる」
とアツい言葉も書いてあった。
全然詳しく説明できてないので興味がある方はぜひ読んでみてほしい。
過去の「まぐれ」「ブラック・スワン」「反脆弱性」もめちゃ読み応えあり。分野横断的な知的読み物。
なにとぞ。