欲しい情報にたどり着けない
そろそろググっても欲しい情報にたどり着けないことについて話したい。
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Google検索には平素より大変お世話になっているのだが、ここ数年でGoogle検索の精度が落ちているように感じている。
具体的には内容の薄いまとめブログや広告など表面的な情報をまとめたサイトがSEOで勝つようになって欲しい情報を見つけるまでの時間が増えた。
Googleの使命である「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスして使えるようにすること」は素晴らしい。Googleが悪いわけではなく、アルゴリズムを悪用したりシステムの穴をつく利用方法が一定数いると推測する。
誰かに訊く前にググるが普通だった
社会人になってから分からない用語や理屈の分からないことはまずはGoogleで検索して、自分なりの言葉で理解してから、それでも分からないことを先輩に相談するとかそういう感覚で育った。
だから、後輩に対しても「まずは検索してみた?どんなことが書いてあった?」と言ってしまうし、Googleで検索したほうが良さそうなことは誰かに訊くのを避けたりしていた。
それは得られる情報に対して「誰」より「情報そのもの」の精度のほうが重要だったし、まわりに迷惑をかけずに学ぶ手段だった。
ググっても分からない答えを「誰」かがもっている
でも最近はちょっと変わってきた。
ある専門分野に詳しいヒトがいれば、そのヒトのブログをチェックしたりTwitterをフォローしたりと、ヒトに紐づく情報を求めることが多くなった。前からそういうスタンスはもっていたがGoogleで調べられる情報の質が下がったことで、相対的にヒト依存の情報の価値が高まったと思う。例えば、近所のカフェの営業時間やテイクアウトのメニューを調べるならInstagramで検索するし、地震とかよりタイムリーなイベントがあればTwitterで検索をかけたりもする。
変化点は?
Webサービスをはじめとしたインターネットの楽しさは、いつでもどこでもだれとでも自分が欲しい情報を探したり双方向で繋がることができる、といったところだと思っている。自由度が高い分、情報の真偽を見極める能力が必要だし、さまざまなリスクもある。
ところが最近はマネタイズが進む中でサービスの中心が「ユーザ」ではなく「広告主」にシフトしつつあるのかもしれない。自由度が下がり、検索連動型広告だけではなくページ遷移のあいだにも広告が入るようになったり、広告を目にする機会も増えた。
というわけで「ググレカス」なんて言葉も既に死語で、まずは自分のアタマで考えようとかTPOに応じたWebサービスの利活用が重要になっているのかもしれない。選択肢が多いということは逆に不便になったような気もする。
DuckDuckGo
👆のようなことがあり、広告減らしたいとかGoogle検索で個人情報が追跡されているのなんだか気持ち悪いという思惑でDuckDuckGoというユーザーの個人情報を追跡しない検索エンジンを試しにつかいはじめました。
個人情報を追跡しないので、例えば「カフェ」で検索をかけて近場のカフェが検索結果に表示されることもなくなった。毎朝このアヒルが迎えてくれる。
インターネットを使うときに根本にあるのは「自分が得たい情報をすばやく入手したい」という欲だと思う。Amazonで多数の高評価レビュー商品を買うと、レビュー投稿でAmazonギフト券プレゼント!と書かれたカードが入っていることも増え、これもシステムの穴をつく売り方で良い買い物だったのか分からなくなって悲しい。
経済をまわすため、より良いサービスを生み出すためのマネタイズは必要だと理解しているが、もっともっと純度の高いピュアな情報をすばやく得たい。一方で自分にぴったりの情報を提供してもらうためにはこっちの情報開示が必要でトラッキングが必要なことも分かってるけど、自分の情報が抜き取られてることへの気持ち悪さも拭えない。
と思う最近である。
なにとぞ。