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蛭田亜紗子作小説「凛」を読んで①~タコ部屋、遊郭について~

〇はじめに

 私が大学院生の時、研究の一環で地元の取材をしている時にこの本に出会いました。私の生まれ育った土地に近い辺りで、大正から昭和にかけて実際にあった「タコ部屋労働」と「遊郭」が舞台となっています。当時は道内各地で不法監禁や暴力、虐待が横行する非人間的環境下での過酷な労働が行われていました。北海道開拓はこうした労働によって進んできた歴史があります。

 これまで、タコ部屋やその前身ともいえる囚人労働、遊郭の言葉は知っていましたが、学ぼうとはしてきませんでした。しかし、私が育った土地、親しんだ道路なども、そのような歴史の上に成り立っていると考えると放っとく気持ちにもなれず、この本をきっかけに少しずつ学び始めました。

〇小説「凛」について

 平成27年、大学生の上原沙矢は、旅先の北海道で出会った石碑、書物により、大正時代の北海道でタコ部屋と呼ばれる土工部屋で働いた男たち、娼妓として生きた女たちの存在を知る――
 昭和45年、国鉄職員の三浦は、常紋トンネル点検中、崩れかけた壁から人間の頭蓋骨を発見する――

 大正3年、知人に息子を預けて網走の妓楼へやってきた八重子は、息子の死を知り、過酷な毎日を過ごしながらも、妓楼の頂点に立つことを誓う。
 
同時期、帝大の学生の麟太郎は、半ば騙されて凄惨な労働環境であるタコ部屋に送られ、人生が一変する。

 ――彼らの存在を知った沙矢は、自分の将来の不安の中から一筋の光明を見出す。

というような内容です。大正時代の北海道で「タコ部屋」と「遊郭」で働く人々が描かれています。借金でがんじがらめにした上、決まった期間監禁状態で働かせ、理不尽な暴力、何をするにも搾取の仕組みがあります。八重子と麟太郎は過酷な毎日を過ごしますが、逞しく自分の人生を切り拓いていきます。大学生の沙矢など現代の若者が登場することで、現代社会の問題に対しても意識が向く点も印象的でした。

〇タコ部屋

 ここでは、タコ部屋についてまとめたあと、登場人物である麟太郎を振り返りながら仕組みを簡単に書いていきます。

・タコ部屋のはじまり

 明治維新後、経済発展のための未開拓地の開拓とロシアの南下政策に対応することを目的に北海道開拓が進められた。そのために必要な主要な道路、鉄道建設に、明治20年頃から囚人が動員されるようになった。作業員として囚人を使えば工事費用が安く済むという理由である。

 労働環境は劣悪極まりないものだった。囚人は鎖と重りをつけられ、粗末な小屋で寝起きし、粗末な食事、朝早くから夜遅くまでの労働、理不尽な暴力による支配などによって、多くの死者が出た。この過酷な労働環境が故に囚人虐待との批判が出て囚人労働は廃止され、代わって出たのがタコ部屋であった。しかし、その労働環境は従来の囚人労働と大差ないもので、多くの死者が出ることとなった。

・タコ部屋労働の仕組み~麟太郎~

 東京の帝大生の麟太郎は、本を買う金が欲しいと考えていた時に街の「北海道行人員募集」張り紙に出会う。張り紙の主である周旋屋に行くと、簡単で儲かる仕事だと甘い話をされて出発を承諾してしまう。当時、タコ労働者になるものは、このような周旋屋に半ば騙されて北海道のタコ部屋へ連れてこられた人々が多かったようだ。周旋屋は東京などで労働者を集め、タコ部屋業者に売っているのだ。

図2

 麟太郎は周旋屋に前借金として宿泊料や北海道までの交通費、食費など42円を借金したことになっている。しかし、周旋屋のピンハネ分や、見張りに払う額などを足して、実際は数倍の値段でタコ部屋業者に売られている。タコ部屋では、その値段に見合う以上の労働をしなければならない。

 タコ部屋業者は工事の孫請けに過ぎず、上部の元請から始まる搾取が、タコ部屋業者によるタコ労働者からの収奪、劣悪な労働環境の根源であった。これほどの収奪を行ってもタコ部屋業者の利益はあまり残らなかったと言われている。

図1

〇遊郭について

 遊郭について、登場人物である八重子の境遇を振り返りながら簡単に書いていきます。

・北海道の遊郭の存在

 当時、函館や室蘭、旭川、網走などに遊郭があり、家が貧しいなどの背景を持つ女性が働いていた。遊郭には、鰊漁の男や材木商、タコ部屋の期間が終わったものなどが通っていた。タコ労働を終えた者が稼いだ金をここで遊興に使い、さらに借金までして再びタコ部屋に戻ることも少なくなかったようだ。

・働く娼妓について~八重子~

 女工をしていた八重子は、ある無責任な男に通じられてしまい、息子を産む。男は母子のために家を借りるが、家賃を払えずにいた。八重子は赤ん坊抱えて働くこともできず、大家の紹介で養子に出すことにした。八重子は里親に渡す金と滞納分の家賃の分を、大家の知り合いの周旋屋から前借金し、網走の遊郭へ売られた。その際、楽な仕事で借金を返すことができ、息子を大学に行かせることもできるなどど周旋屋に言われていた。

 実際に、八重子のような場合のほか、様々な理由で多くの女性が、周旋屋、女衒を通じて借金をカタに遊郭へ売られ、借金を返すまで働かされていた。妓楼では、衣服や道具、生活費までもが楼主を通して、何割増しかで借金に上乗せされていたようだ。

次回は、私が感じたこと中心に書いていこうと思います。

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