自分の存在価値
物心ついたころから、他人と自分を比較してテンション下がるというサイクルを繰り返してる。
下がったテンションに対して、取った対策は文句を言って風化していくってことしかやってこなかった。
他人の稼ぎを聞いて羨ましく思ったり、豪邸を見ると「いいなー、どうやったらこういう家が買える稼ぎを手に出来るのだろう?」と思う。
(そこから深掘りはしないから、今の仕上がりなのだが・・・)
そうやって他人に嫉妬してた時にふと頭に浮かんだのは「自分はいったい何をなしたかったのか?」でした。
自分の人生が終わったわけではないので過去系もどうなのか?という疑問はありますが、社会人も10年超えてきて、自分が思い描いた成長曲線と実際の成長曲線に大きな乖離があることを考えると、ここまでの社会人生活の中で何をなしたのか?という過去形はある意味正しいと思う。
「何をなしたかったのか?」は「何を成し遂げたかったのか?」をちょっとだけ略した言い方なのかなと思う。。。
要は「やる」ではなく「やりきる」ということを強調したい。
社会人生活の中で「やりきる」という経験はしたことがなく、最後は誰かに任せるなり、尻ぬぐいしてもらってきた。。。
(先輩しかり、同僚しかり・・・)
そうなると自分じゃなくてもよかったんじゃないか感が出てきてアイデンティティみたいなものが崩れていくような焦燥感、喪失感がやってくる。
過ぎた話はもうどうもできないので、これから自分が何をなし、成し遂げたいのか?を考えてみた。
自分は一体なにがしたかったのか?
その他大勢と同じように結婚し、子どもができ、マイホームを購入し、昨日と同じ今日を生きる。多少仕事の内容は変わるが大差はない。
これが自分のやりたかったことなのか?
学生時代の夢って何だっけ?
30代後半になると学生時代に思いを馳せた「夢」が思い出せない。そもそも「夢」があったのだろうか?
今まで惰性で生きてきてないか?
(ダメージが大きいがこの表現がしっくりくる)
確かに、ハッカーの話を聞いて憧れたことがあった。
ただ、そこでハッカーについて調べようとしなかった。
調べる能力もポンコツだったし、知らないことを調べるまでのエネルギーを持っていなかったのは事実としてある。
それでも友達が作成したホームページに憧れて、独学でHTML言語を学び、手探りでホームページを作成した。
(友達はホームページビルダーで作ってたけど、僕はそんな高価なソフトは買えなかったので、貧乏根性で自分で勉強して作った)
その時の経験が今に活きているかと言われると・・・ほぼ無いに等しい。。
システムエンジニアとして職を得ているが、当時のホームページを作るだけの能力はさほど活きていないし、ホームページ制作は絵的なセンスが必要なので、その能力がない私には活用の場がないに等しい。。。
ましてや憧れたハッカーなんて職業じゃないしね。。。
じゃぁ、ホワイトハッカーを目指すかと言われると、技術的に到底無理ではないかと思う。。。
オールマイティーに知識が必要だし、応用力も必要だ。。
「何がやりたいのか?」という疑問は今後も考えていく必要があるし、それを「やり遂げる」方法についても考えていく必要がある。
(見切り発車で書き出したが、着地出来なかった・・・努力し続けなさいということなのでしょう。。。)