話すこと=放すこと・離すこと
(本原稿はキリスト教保育連盟の「ともに育つ」5月号の依頼原稿です。)
人と話す機会が減っています。感染対策が緩和され、久しぶりに人といっぱい話したらすっきりした、気持ちよかった、など話すことの大事さを実感した声も聞きます。今回は人と「話す」ことのメリットについて改めて考えてみましょう。
話すことは、人が情報をやりとりし、伝達するためにあります。私の観点では、話すことの重要な機能は「放す」ことです。イライラしたとき、みなさんはそれをどのように解消していますか?運動やカラオケなどもスッキリしますが、ストレスになっている出来事を誰かに存分に話すと気持ちが楽になって「ま、いいか」と切り替えられることがありますよね。この時こころに溜まって、言わば消化不良になっている出来事と感情を、外に吐き出し=「放して」いるのです。溜まったダムから水が放流されるイメージです。この「放し」がないとストレスは日々溜まっていくばかりで、こころを徐々に蝕んでいくのです。学校や幼稚園から帰ってきた子どもが、ママに今日の出来事を話すのも、この「放す」ためです。他愛なく聞こえることでも感情も含めて聴くことが大切です。堰き止めたり、流してしまう態度では「放す」ことができなくなってしまうのです。
そして、もう一つ、話すことには「離す」機能があります。「放す」と似ているようですが、これは、体験を相手に話すことによって、自分からひとまず「離し」、考え直すという機能です。人に話し、それを相手に受け取ってもらうと、出来事をもう一度自分なりに距離をもちながら考えることができるのです。ある相手に怒りが収まらないとき、そのことを事細かに聴いてもらうと、冷静になって、新しい理解や別の対処が思いつくことがありませんか?「○○くんはさびしくて、あんなこと言ったのかな」「▲▲さんが怒ったのは、本当は自分に期待しているからかも」など、出来事を少し「離して」客観的に別の角度から考えることができるのです。冷静になってくると、聴き手が意見を返してくれることも参考になります。話すことでコミュニケーションが起こって、変化が生じるのです。
コロナによって話すことが減ったことが、この2つの機能を制限し、さまざまな問題が増加し、悪化している、と私には感じられます。
人間は、自分1人では自分の考え方・感じ方以上のことを考え出すことができません。話すことで「放し」、それを受け止めてもらって、少し「離し」て考えることで、事態は少しずつ進んでいくのです。