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よそ者に蹂躙されるデマの蔓延ーよそ者は誰だったか?ー福島のこころの支援 現場ルポ⑦

   全町避難から4年経った2015年、B町の帰還困難地域指定が解除され、住民の町への本帰還が始まった。これが本当に住民のためだったのかについては、さまざまな観点から腑に落ちない点があって検証が必要ではある。しかし、とにかく町に戻ることができることは、住民にとってやはり大きな転機だった。
   その後、順次帰還困難地域指定は解除され、2020年現在では線量が高い大熊町、双葉町の大半、加えて浪江、南相馬、飯館の一部が依然として帰還困難地域であるが、大熊・双葉においても一部が「特定復興再生拠点地域」に指定され、立ち入りが許可され、それによって常磐線の開通にこぎつけている。ちなみにこの残った地域が、2011年3月12日のメルトダウンの日の風向きと一致している、というのは地元では常識だ。この風向きによってはB町への帰町ももっと遅くなったかもしれない。
  さておき、私の活動もこの帰還を契機に徐々にB町本体に軸足を移していった。その頃の話である。
   帰還は大々的なニュースになり、総理大臣も訪れた。私も6年ぶりにB町の駅へ降り立った時は感慨深かった。国道6号線沿いにジャングルのように群生していたセイタカアワダチソウもきれいに刈り取られ、風景は震災前のB町を取り戻しているかのようだった。
    しかし、町での支援を開始してすぐに「除染の作業員や原発の作業員が町の治安を悪化させる」という噂を何度も耳にすることになった。たしかに、除染作業と福島第一原発の廃炉作業のため、数百人の単位で作業員が町に移り住んでいた。開店したコンビニエンスストアに昼食を買いに行くと、日に焼けた作業員と思しき男たちが黙々と列にならんでるのを私も目撃した。
    私は、住民からも町のスタッフからもこの噂を繰り返し聞くことになった。話はもっと具体的で露骨だった。「夜に女性が一人で歩いていたら、つけられてレイプされる」「戸締りをしておかないと泥棒に入って根こそぎ持っていかれる」「東京や大阪でろくでもない人たちが集められているらしい」「住民票を移さずに税金も払う気がないらしい」

 そして、私が行政や警察にこれらの事実を確認すると、このような事件は帰還後には全く起こっていないのだった。噂は根も葉もないデマだったのだ。(帰還前には留守中の家屋を狙った窃盗が相次いでいたことは事実であり、住民にとって痛ましい現実だった。だがそれは作業員の仕業ではない。)しかし、実際に聞くその話には真実味があった。私は関東大震災で「朝鮮人が暴動を起こす、水道に毒を入れている」という流言が暴動と虐殺を引き起こしたことを連想せざるを得なかった。
   このような流言飛語は、不安な状況の時に生じる現象だ。ウィルス禍の渦中である現在もさまざまなデマが飛び交っているが、心理的視点でみると、これはB町の住民の不安や恐怖の表れと考えることができよう。私たちは強烈なストレス下で、その負の感情を処理するために、そのヘイトを誰かに投影し、被害的な物語を構成する。理不尽さに持ちこたえられなくなり、誰かのせいにしたくなり、それが流言飛語となる。これが住民皆が抱えている不安と共鳴し、まことしやかに伝播してしまう。もちろんこれは恐ろしい結果を生みかねない現象であることは言うまでもない。
     何が起こっているかよく見極める必要がある。吟味するとこのB町の噂は「よそ者が勝手に入ってきて町を蹂躙する」というテーマと読み取ることができる。それだけ、住民は今は不安で被害的な気持ちなのだな、私はこの噂を耳にしながら、それぐらいの考察をしてはいた。    

    帰還から1年が経った年度替わりに、私と町の保健師はちょっとした危機に陥っていた。その年、長く関東から支援に入っていたベテランの保健師たちが相次いで退職することを決めた。いろいろはあったがそのベテランの“スーパー“保健師たちに助けられていた私たちは控えめに言っても途方に暮れていた。
 いつも笑顔を絶やさず大人しい地元の保健師Tさんは
「しょうがないですよ、わたしたちがしっかりしていないからいけないんです」と自分を責め始めたので、
「いや、Tさんが悪いということではないですよ。帰還も達成されたので区切りと思っているのではないですか。でも来年度はかなり手薄になっちゃいますね」と私が慰めるとTさんは
「もう馴れているんです。初めはみんな意気込んできてくださるんですけどね。先生の前にきた心理の大学の先生もやめちゃいましたし。」
Tさんにしては珍しく語気にやや荒いものを私は感じとった。
「あ、私もやめちゃうかと思ってました?わたしは続けますよ」
と私。ややあってTさんは
「正直、保健師が2名になっちゃうと先生の面倒(面倒?と確かに言った)というか、先生に同席するのもスタッフの調整が難しくなると思います。先生が来る日は時間調整して、交代してたんですけど、来年度はそれができそうにない。」
「いえいえ、そんな、、、私が来ていることで仕事が増えているなんて、困りましたね。。。」
    誰かを責めたり、攻撃するということとおよそ無縁なTさんは目の隅に涙を溜めていた。ただでさえ業務が多く、町からもプレッシャーがある中で、私の心理支援という「正しい仕事」のため、住民との間を調整し、保健師のスケジュールを調整する。当日は、配車をして、私を駅まで迎えに来て終日わたしの面接に同席する。私が帰った間のつなぎは保健師にお任せされる。保健師は私の世話にも疲れ切り、いっぱいいっぱいだったのだ。
  私はTさんの涙をみながら、戦慄を覚え、ようやく気づいた。

「よそ者が勝手に入ってきて町を蹂躙する」
➖よそ者の正体は私だった。
 

 町に心理支援に入っては消えていった心理士、ボランティア、保健師、全国各地からB町に支援しに来ては去っていった人たち。その善意をありがたがり、去っていく背中をTさんは何人見送ったのだろう。その人たちは満足だったかもしれないが、その実、町は、そしてTさんは利用され、何かを盗まれ、最期には見捨てられたのだった。蹂躙されたのだ。そしてまぎれもなく私もそんな「よそ者」の一人だった。
 私のこの気づきは、B町の心理支援における重要なターニングポイントだった。それまで「先生」扱いされ、善意の災害支援に出向いていた私自体に向けられている負の感情をわたしはしっかりと認識することができた。
 そして、現在その気づきは深化している。「よそ者」は、絶対に住民を幸せにするという触れ込みで町にやってきて、結果的に町を徹底的に蹂躙することになった「東京電力福島第一原子力発電所」でもあった。「東北」電力ではなく電力の供給先である「東京」電力であり、私もその東京からのこのこと善意の顔をしてやってきているのだ、と。町の無意識にはこの傷が刻まれていて、消えないままとなっている。私にも向けらているこの当然の負の感情は私の襟を常に正し、そして住民の本音への足掛かりとなった。

 心理療法において、陰性の関係を自覚し、共有することは重要な局面とされる。いわゆる「陰性転移局面のワーク」であり、心理療法の深化の鍵となる局面だ。よい関係や、表面的であった関係の背後には、それだけではない不信や不満、時にその人が抱えている根深い苦悩と重なってカウンセラーは悪い対象になる。その苦悩は誰かに感知され、時にぶつける必要があるのだ。そして、この負の関係が起こっていることを共に体感することによって、本当の理解が深化し、関係性は強まる。雨降って地固まるや喧嘩の後に関係が深まるのはそういうこころのやりとり故だ。そして、本音の中の本音、あるいはまだ自覚されていない無意識に肉薄することができる。

    不思議なようで不思議ではなく、この不信の感覚をTさんと共有し、私たちの関係はさらに深まった。端的には、私は時に自分が車を運転して一人で訪問することも選べるようになった。それは町からの信頼と言えた。

そして、この気づきは、わたしが帰り道に感じていた違和感や不連続の感覚を和らげた。「よそ者」だからできることがある、「よそ者」を引き受け、そして支援を続けるのだ、と。

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