福島の遺恨と関東の罪悪感−フクシマのこころの支援 現場ルポ⑧−
コロナで閉園していた東京ディズニーランドがついに再開というニュースが飛び込んできた。「しかし、密を避けるためエレクトリカルパレードなどのイベントは開催しないこととなっています。。。」
私は2011年の東日本大震災の年、まさにこのエレクトリカルパレードが再開したという明るいニュースを福島の住民がどんな思いで聞いたかを思い出す。
わたしらがこんな思いをしているときにエレクトリカルパレード?あの光の電力は福島からきてんだかんね!
放射線の恐怖に晒されていた渦中のA市の「放射線学習会」のグループで主婦の一人が怒りを露わにした。断っておくが、しびらっこい=粘り強い我慢強さが特徴の福島県人が「怒りを露わにする」のは珍しい事だ。彼女はあまりの口惜しさにそう怒り、そして言葉を詰まらせた。
彼女の言うように、福島第一・第二原発は今は供給を停止したとはいえ、東京電力広野火力発電所は当時も、そして現在も福島から関東圏にフルパワーで440万Kwの電力を送っていることを知っているだろうか?
調べてみると
東京電力広野火力発電所 440万KW 1980年~
東京電力福島第一原子力発電所 469万KW 1971年~2011年
東京電力福島第二原子力発電所 440万KW 1982年~2011年
(東京電力柏崎刈羽原子力発電所 821万KW 1985年~ )
私が通うB町の住民においては、知り合いや親戚の誰かがどこかの発電所と関わっていて、住民には2つの原発と火力発電所から首都圏に電力を供給し続けてきたという思いが肌感覚としてある。これらの発電所による雇用と経済効果という恩恵があるため住民の口は重くなりがちだ。しかし、原発事故によって意識に上らざるえなかったこの「関東に奪われて、搾取される」という遺恨の感覚を見逃すことはできない、と私は感じることができるようになった。この消えないトラウマによる怨念(と言っていいだろう)は、関東と福島、そして首都圏と地方という日本の中にある構造的な矛盾である。
「よそ者」であるのみでなく、その犠牲と恩恵の上に私たちの生活が成り立っているという事実を私たちは避けて通れない。この視点で見直してみると、私が福島の支援に行こうとした動機はこの自覚されていなかった罪悪感からであり、同時に、私はこの問題を見て見ぬふり、考えないようにしていた。プロローグで私は福島からの帰り道に、私が別の人間になり変わるという不連続の感覚、そして「何か」を忘れてしまう感覚について書いた。それは私の加害者性とそれに伴う罪悪感の否認であった。そして、私が東京のネオンに感じた強烈な違和感の正体は福島の住民から受け取ったこの「遺恨」だったのだ。
そして、私のこの心性は関東、あるいは日本に住む私たちの「福島」に対する無意識的な態度に通底しているものではないだろうか。私たちは無自覚に地方へと問題を押し付け、その矛盾の自覚を排除し、あまつさえ援助や支援の名の下にそれを帳消しにしようとしていたのだ。
さらに目を凝らせば、これは福島以外に住む私たち自身のトラウマと言えるのかもしれない。私たちも違った形で傷ついているのだ。この福島と福島以外のそれぞれのトラウマが対になって私たち日本人の無意識に拡がっていると考えることはできないだろうか?そこには原発事故という遺恨があり、そしてそれを与えた罪の意識という傷つきが横たわっている。私たちが福島を無意識に遠ざけることも、あるいは、コロナ禍によって”延期”となったオリンピックの聖火リレーのスタートに福島が選ばれることも、この視点で見直す時に違った様相を帯びてくるのだ。
それにしても、、、、
率直に言って一介の臨床心理士にとって、巨大で重すぎる問題と感じる。私のキャパシティはこの問題を持て余して、どうしようもないですね、とため息をついて退散したくなる。しかし、だからこそ、こうして記すことでこころに収め、考える対象とする必要を感じるのだ。それは、福島の住民のこころの問題にアプローチするとき、この大きな矛盾と押し付けられた厄災というゼロ地点を無視して語ることはできないからだ。
少し力を抜こう。そもそも心理臨床は生病老死にまつわる人の苦悩に寄り添う仕事である。また、精神分析は、関係に身を置き、こころを差しだし、クライエントの心的苦痛を感知、代謝していくという認識の方法を私に教えてくれる。
住民のこころの支援という具体的な課題において、私はこの福島の住民の遺恨とトラウマにたどり着いた。「福島の東京電力」が押し付けたツケは住民ひとりひとりのこころに棲みつき、それなりの対価と痛みが背負わされている。その負荷がこころに蔓延り、それぞれの個人がそもそも抱えている問題や苦しみと混じり合って、住民のこころに潜在し、そして時に問題として顕在化する。また、潜在した痛みは、誰かに伝播し、また影響を与えていく。この見えにくいサイクルをよくよく見極める必要が私にはある。
大きな視点では、この先何十年にもわたって続く原発の廃炉作業のように、私とB町、福島と関東、福島と日本の間にある無意識的な対立と分断という負の遺産がある。それは決して逃れることができず、どこかで向き合わざるを得ない問題だ。メルトダウンした原発を冷やし続ける冷却水⇒汚染水のタンクが今も無数に増え続けることと相似と言っていい。溜まりに溜まったら、それはどこかで処理されなければならない。我々はそれをどう取り扱っていくのか?
その解決の道は、福島とそれ以外との間に生じている遺恨と罪悪感という関係性をそれぞれが認め、この無意識の対立と分断を埋めていくことからはじまるのではないだろうか?