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映画感想『ここにいる、生きている~消えゆく海藻の森に導かれて~』

趣味でダイビングをしていますが、先日、北川で潜った際にこの映画を教えてもらいました。(北川では、いつもダイビングや海藻おしばを楽しませてもらっています。)

私はダイビングを始めてまだ10年も経ちませんが、現地で長く潜っているインストラクターの方々がよく口にするのは、「海が変わってきている」「前は普通にいたやつが、いつの間にかいなくなっている」という言葉です。

この映画の監督は長谷川友美さん。東京出身の方ですが、数年前に海の近くに移住されたことをきっかけに、海で起きている大きな変化をテーマに映画を制作されたそうです。

都会で育った長谷川さんが、海の変化を自身の原体験として深く捉え、この映画を制作するまでに至ったことが、まず驚きでした。私自身、田舎育ちで自然の中で育ち、今もダイビングという自然の中で楽しんでいますが、それでも長谷川さんほど自分の体験を「原体験」として捉えられていなかったと気付かされました。

映画では、函館の昆布漁師をはじめ、海と人生が密接に結びついている方々のリアルな言葉が多く描かれています。その言葉に触れる中で、まるで自分の感情であるかのように強く心を揺さぶられました。

海水温の上昇という自然の大きな変化の前では、一人の人間ができることは小さいのかもしれません。しかし、海と共に生きる方々にとっては、それから逃げることもできず、向き合わざるを得ない現実があります。

そんな方々のリアルな言葉が、今も心に深く刺さっています。

上映後、長谷川監督が語ったのは、300時間以上の映像を撮影し、その中から必死に1時間40分にまとめたという話でした。さらに、撮影に2年、制作に1年。その間ずっと、海に生きる人々の“生”の声と向き合い続けたといいます。それだけの時間を費やせば、変化の実感は確信に変わり、原体験となるのも納得でした。


社会課題に向き合うために

映画の中で、何名かの言葉で語られていたのが、地球温暖化のような社会課題に対する取り組みは、ボランティアや善意だけでは成り立たないということです。この言葉が非常に印象的でした。
私たちは資本主義の社会で生きています。海や自然と直接かかわらない人は、儲からなければそこから逃げればいい。しかし、自然と共に生きる方々はそうはいきません。

地球温暖化は人類全員の共通課題であるはずですが、現実には、向き合っているのは一部の人々だけです。自然のような大きな相手に対して、自ら経済的な負担を背負いながら、対策をし続ける必要があるという厳しさ。これは、この映画のテーマである海水温の上昇による海の変化に限らず、他の社会課題にも共通して言えることです。


自分にできることは何か

この映画を観て、私も考えさせられました。大きな自然の変化の前に、自分には何ができるのか。いつも当たり前に潜っている海が、実は「いつまでも当たり前ではない」という現実を胸に刻みながら、自然を全身で体験することの大切さを感じました。その体験を通じて、自分の中に何かが芽生えたなら、それを残し、伝えることも、自分にできる一つの役割なのではないかと思います。

以前、初対面の方と砂浜にいたとき、菓子パンのゴミを拾ったら「やさお~!」とからかわれて不思議に思ったことがあります。普段から、お世話になっているダイビングの方々が当たり前に拾っている姿を見ていたので、その時は特に考えずに拾っただけでしたが、それが「当たり前」ではなかったのかもしれません。

映画の中で、函館の漁師の方が「常に清廉潔白で完璧ではいられないかもしれないけど、子供たちの前では当たり前のことを当たり前にやっている姿を見せたい」と話していたのを見て、「ああ、こういうことなんだ」と実感しました。(言葉のニュアンスが違っていたらすみません)

もちろん、私は技術者として、社会や自然に貢献することが求められますし、そうありたいと願っています。ただその前に、自分にできる「当たり前のこと」をしっかりとやる。それがすべての基本なのだと思いました。


海で楽しませてもらっている一人の人間として、この映画は心に深く残るものでした。興味のある方はぜひご覧になってみてください。(詳細は冒頭のリンク参照)


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