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【岩田温大學】人種差別撤廃と日本の使命

古代ギリシャの奴隷制

 古代ギリシアの都市アテネは、民主主義揺籃の地として知られている。今を遡ること数千年、遥か古代にある種の民主主義体制が確立し、民主主義を巡る討議が為されていたことは驚嘆に値する事実だといってよいだろう。トゥキディデスは『戦史』に、民主主義体制こそ生命を賭して守る価値のある政体だと説いたペリクレスの演説を書き記している。また、プラトンは『国家』において、民主主義が時に衆愚政治に陥ることを指摘し、民主主義の脆弱性を指摘した。民主主義の起源は極めて古く、その可能性、是非について討議の起源もまた古い。

 だが、古代ギリシアにおいて全ての人間が平等に扱われていたわけではない。民主主義とは、あくまで成人男子の市民の間における民主主義であり、女性や市民ならざる男は政治に参画する権利が認められていなかった。古代ギリシアには、市民ならざる者ーすなわち、奴隷が存在していた。民主主義と奴隷制度とは水と油の関係のように思われるが、古代ギリシアでは民主主義と奴隷制度とは両立するとの理論が打ち立てられていたのだ。

 奴隷制度を擁護した思想家として有名なのがアリストテレスである。彼は『政治学』において、人間を知性の有無によって区別し、知性を有さない人間を奴隷とすることを擁護している。

 彼は次のように指摘している。

「理をもってはいないが、それを解するくらいにはそれに関与している人間は自然によって奴隷である」
「自然によって或る人々は自由人であり、或る人々は奴隷であるということ、そして後者にとっては奴隷であることが有益なことでもあり、正しいことでもあるということは明らかである。」

 アリストテレスは、知性を有さぬ人間が奴隷であることを擁護するだけでなく、そうした人々は奴隷であった方が有益であるとまで述べている。

 知性の有無によって奴隷は存在して当然である。生まれながらにして奴隷の存在と定められた人々が存在する。こうした古代ギリシアのアリストテレスの奴隷擁護論は形を変えて、近代にまで影響を与え続けた。

人種による差別が支配した時代

 考え直してみると、近代というのは実に不思議な時代である。一方において、一人一人の人間が尊重されるべきだという「人権」思想が芽生えたが、他方において、人間が空前絶後の収奪と隷従を強いられた時代でもあった。一人一人の人間を尊重する態度と、特定の人間から収奪する、あるいは、特定の人間を隷従させると言う態度。相矛盾する態度を両立させることを可能にしたのがアリストテレスの理論の亜流である。近代において人間の優劣、理性の有無は「人種」によって判別されることになったのだ。

 白色人種は自然によって主人たるべく宿命づけられており、有色人種は自然によって奴隷たるべく宿命づけられている。そうした愚昧な人種差別が白昼堂々と大手を振るって闊歩する社会、それが近代社会の一面であった。

 悪名高いキプリングの「白人の重荷」には次のように記されている。

「白人の荷を背負え、ー君たちが育てた最良の息子を送れ…(略)…動揺した野蛮な民の世話をやくためだー君たちが新たに捕まえた、無愛想ななかば悪魔で、なかば子供のような連中だ。…(略)…単純明瞭な言葉で百篇も噛み砕いてわからせるのだ、他人の利益を求め、他人のために働いているのだということを」

 余りに傲慢で、読むだけで不快な文章だが、白人の驕慢を知るうえで有益な詩である。白人が世界を制覇するのは、自らの利益のためではない。「野蛮な民」の世話をやくためなのだ。本来であれば、接触などしたくない野蛮な民を文明化し、教化するのが「白人の重荷」に他ならないのである。

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