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【岩田温大學】原爆投下に秘められた内幕とは

久間発言に見るマスコミの感情論

 平成十九年七月三日、久間章生防衛相が、アメリカの原爆投下に対して「しょうがない」と容認する発言をして、辞任に追い込まれた事件は記憶に新しい。彼の問題とされた発言は次の二点である。

「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている」「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」(括弧内引用者)

 ここにおける久間氏の発言は以下の二点に要約できよう。

(一)原爆が落とされることによって日本が終戦を決断した。
(二)国際情勢を分析してみると、原爆の投下によって、日本の終戦が早まった分、例えばソ連の北海道侵略のような事態を避けることが出来た。

 以上の二点から、戦略的に原爆投下は止むを得なかった、という結論が導き出されるのだ。

 これに対して、朝日新聞をはじめとするマスコミは、この発言を「失言」として非難した。非難の矛先は、「乾いた戦略論」(朝日新聞)に向けられた。朝日新聞はまずこう言う。

 「日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落とされた原爆なのだ (八月六日社説)」。

 まずはアジアを侵略し、無謀な戦争を仕掛けたとして、日本を責め、その上で「負け戦をずるずる引き延ばし」たと述べ、日本の不作為がアメリカの原爆投下へと直結していると捉えている。そして、日本の悪、不作為は十分に認めながらも、アメリカの原爆投下を批判する。言い換えれば対象がいかなる存在であれ、またいかなる戦略上の要請が存在しようとも、原爆の投下は許すことはできない、という論法をとっているのである。原爆の投下は何であろうと許さないという一種の感情論である。

 朝日新聞をはじめとするマスコミの感情論は、国際政治という冷酷な現実の前には、余りに無力であり、現実は離れしている感を否定できない。だが、ここで筆者が問題としたいのは、いつもながらの朝日新聞の夢想の愚かしさではない。久間氏も、その発言を批判したマスコミも自明の前提としている「米国は戦略的要請に基づいて止むなく原爆を投下した」という認識にこそ注目したいのである。

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