弁当が食べられない理由(祖母の料理について)
祖母は歌が好きであった。
私が家族の中で特に歌や音楽が好きなのは、祖母から受け継いでいるのかもしれない。
感謝しているし、私が生きてこれたのは祖母のおかげもあるのはわかっている。
しかし、食は別物だ。
別物…なのだ。
祖母は料理がめちゃめちゃに下手であった。
…というか食のセンスが破滅的なのだ。
ポテトサラダにリンゴを入れる。のは、わかる。
リンゴがなかったらみかんを代用する。
みかんがなかったらバナナ。
バナナがなかったら白砂糖を山盛りに入れる…。
そんなにポテトサラダは甘くてはならないのか!?
かぼちゃは必ず焦がす。焦がすことがもはや料理。
学校から帰り玄関を開け、にがにがしい臭いがすると(あ…今日はかぼちゃの煮付けか…)と悟った気持ちになっていたものだ。
煮物の味付けは果てしなく砂糖甘く
野菜は畑からとってきたものをそのまま洗わずに使うので、いつも虫の死骸が浮いていた。
畑から取りたてほやほやの生のふきのとうを
まるごと皿にダン!とのせ
「子供は野菜を食べないと大きくなれないけん」
涙目で首を横に降る私に
「食べんと許さん」
鬼の形相ですごむのだ。
鼻を指で封じ、口に入れるも
噛むごとに溢れる苦味と青くささに耐えきれず
流し台に走る。たまらずもどす私を横目に。
「かわいくない。変な子じゃねぇ」
…鬼か?
さらに余り物は全部一緒の皿にぶちこむ。
汁が多い煮物も、目玉焼きも、ポテトサラダもいっしょくたに、大皿にごちゃ混ぜだ。
それをがまた次の朝や夜に出てくるのだ。
私はこれがいつもたまらなく…嫌だった。
なぜか?
子供の頃、生ゴミがたまったら畑に捨てに行く係りは私であった。
畑にたたずむポットの蓋を明けると
多くのコバエやうじとともにブワっと
中の腐敗した古い生ゴミの臭いが私を襲う。
色々なおかずが混ざり、腐り、殺しあった、残飯のにおい。
食卓に並んだ同じ皿の中にぶちこまれたごちゃ混ぜのそれと、目の前のうじがたかる生ゴミ、なにが違うのが私にはわからなかったのだ。
小学3年のある日。
その日も幼なじみの家に遊びにいった。
理由は…覚えてないがとにかく(多分私が小腹がすいたー!とかだだをこねたのかな)
その日幼なじみは私に、卵ごはんとお味噌汁を作って出してくれた。
それがうまい…うますぎる!
涙をうかべながらうまいうまいと連呼する私に、気を良くしたのか…はたまた同情したのか、彼女は
「昨日の母さんが作った残りも食べていいよ」
そう言ってさらに冷蔵庫から
レバーと野菜を甘く炒めたおかずの出してくれた。
それが…もう死ぬほどうまかったのを覚えている。
レバーもその時はじめて食べた。
うまい…うますぎる…………。
ただひたすらに詰め込んだ。
帰り道、ふと夕焼けを見ながら
私のうちはなんでいつも残飯なんだろう。
私のうちはなぜ母親がずっと病院に入院しているんだろう。
おいしいごはんが食べたいなぁ…。
そんなことをふくれた腹をさすりがら
子供ながらに考えた。
その日はいっそう、かぼちゃの焦げた臭いのする家へ
帰る足が、とんでもなく重かった。
今でもコンビニ弁当や
同じ皿にいくつもの料理が入ったものが食べられない。
混ざった臭いと
あの頃を思い出す。
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