初めから道は違えていたのかもしれない。
振り返ってみて気づくことは割とポロポロ出てくる。
思えば、付き合い始めから、互いに微妙に噛み合っていなくて初めは気づかないけど、日が経つことで何となく、小さな違和感を持つようになった。
でも、好きな人同士だから、自分達は仲違いすることはないだろうと、見ないふりを続けた。
ほんとうは、うっすらと違和感に気づいていたのに。
そして、その違和感とは別に何かしらの事象が起こり、互い又はどちらかを取り巻く環境に変化が生じたとき、小さな傷はひび割れ亀裂が深くなり、修正できなくなる。
付き合う前、彼にこんな場所があるよ、行ってみるといいねとたくさん紹介した。
付き合っていた頃も、ここ行ってみたいねと話した。
結局、ほとんど行けなかった。
私は、周囲を巻き込んで色々するのが楽しい特性があるのかもしれない。
小学生の頃習っていたバレーもバドミントンも、友達を誘って一緒にした。
気がつくと友達5、6人とチームメイトになっていた。
最後まで残っていたのは、私だけだったけど。
楽しいと思うことを誰かと共有したいからかも。
そして、共有した相手が楽しんでいる様子を見るのが好き。
ここ数年は、母か友人を誘って旅行に何度か行った。
どちらとも腰が重いので、私が旗振り役となって一緒に計画を立てた。
一方、彼は自分で行きたいところを見つけられるし1人でふらっと行けちゃうタイプだった。
決められる人だったから、私は自分から提案することは無かった。
たまに、飲食店を探してと頼まれていたが、行くエリアは彼が導いていた。
夜、湯船に浸かりながら、ふと気づいた。
私は彼に、「私は〇〇がしたいんだけど、一緒にどう?」と言ったことが無かった。
彼に自分のプランを提案しようと思わなかった。
なぜか。
おそらく彼とは何かが合わないと直感的に感じたのだろう。
思い返せば、私と彼は飲食店の好みがずれていた。
これは最初から感じていた。
彼はローカルなレトロ感を感じる店が好きで、
私は調和のとれた雰囲気を感じる店が好きだ。
好みが違うと感じたから、
私の提案したプランは彼には響かないのかもしれないと判断した。
確信になってしまった、決定打、いや、なんだろうか。
先日彼とご飯に行った際、
私が東京の美術館に行くプランを話したら、
「美術館に行くために東京に行くのは、自分はやろうとはしない」
「絵を見てもよくわからない」
と言った。
私の知っている彼は、これからは美術館や博物館に行ってみたいと言っていた、芸術に関心のある文化的な思想の持ち主だった。
そんな人が「絵画はよくわからない」と言うなんて。
思わず「そんなもんでしょ」と返事したけど、
よくわからないなりに、「凄かった」だけでもいいから何かを感じるのが芸術なのに。
彼は、変わってしまった。
私の好きだった、彼では無くなってしまった。
いや、私が勝手に彼の幻想を抱いていただけかもしれない。
互いの違いを受け入れることのできなかった、若さゆえの未熟さが私たちを遠ざけた。
私たちが付き合い続けられなかった本質を、別れた後に知ってしまう。