阿波と宇和の旅
2023年初詣、大國魂神社にて。
「ふたわ」
というキーワードがでてきました。
その後、いつも行っている氏神様でも「ふたわへ行け」と。
二和向台しか思い浮かばずで、
ふたわってなんだろうということで、
とにかくわからなかったのですが、まあそのうちにわかるだろうな、という感じでいました。
そして2023年5月、
ゴールデンウィークに大分県に行きました。
別府温泉に行き、宇佐神宮に行ったりと、大分県を満喫しておりました。
そして文殊仙寺というお寺にいきました。
文珠山の中腹にある文殊仙寺は、日本三文殊のひとつとも数えられ、648年に役行者(えんのぎょうじゃ)により開基だそうです。
そしてなんと、タイミングよく、秘仏、文殊師利菩薩の御開帳をやっていました。
ありがたや~
12年に一度春と秋の3か月ほど御開帳されるそうです。
秘仏をお詣りさせていただきました。
岩にくいこんだ、すごい本堂です。
こちらの文殊菩薩さま、わたしはなぜか理由もなく、
とにかくすごく好きになったのです。
これは初めての感覚なのですが、この菩薩様、好き~みたいな。
そして文殊菩薩様がおっしゃるには、
「うわ へ行け。そうすれば願いが叶う」
なんじゃそれは~
うわって宇和?
愛媛県ですよね。
宇和島みかんで有名な宇和島にいったい何があるの?
ということで調べました。
まず、宇佐神宮と、八幡浜の総鎮守・八幡神社が関係していることがわかったのです。
元々八幡大神は八幡浜の八幡神社に鎮座されていたが宇佐神宮にうつった。
ですが、753年から765年まで、宇佐神宮の八幡大神がある事件に怒って、海を渡ったこの八幡神社にお戻りになった、ということが伝えられているのです。
ということでここだよ~って思ったのですが、
ここは八幡浜、宇和島ではないっ。
あ~違うのか。
でもよくよく調べてみたら、
八幡浜市(旧宇和領)ってなっているではありませんか。
文殊菩薩様は古い地名で言われたのです。
伊豫国宇和郡八幡浜
なのですね。
愛媛県神社庁の八幡神社のサイトによると
八幡浜の地名は「八幡大紳の鎮座する海浜の聚落」の意味で、当神杜の御鎮座と関係が深い。
神功皇后三韓征討のとき、皇妹豊媛命が当地に来駕し、壮丁を募り、軍旅を整えたという由縁の霊蹟に、八幡大紳の神霊降臨し、元正天皇の養老元年8月19日神主始祖清家治部大夫清原貞綱が、矢野郷三十三箇村(旧八幡浜市、西字和郡全域、大洲市のうち野田、平地を含む)の総鎮守として、奉斎、創祀した神杜である。
宇佐神宮は、当矢野神山八幡宮より御奉遷し、豊後水道を渡り大分県奈多浜に御上陸、その後、景勝の地を求めて豊後、日向、肥後の各地を巡幸されること8年の後、現在の大分県宇佐都宇佐町亀山の地に御鎮座になったことは、官幣大杜字佐神宮明細帳、宇佐八幡記、県杜奈多神社明細帳、八幡宇佐御託宣集、八幡奈多宮縁起等により明確である。
当八幡紳杜の境内一帯は矢野神山と称し、古くより紅楓麋鹿の名勝として知られ、萬葉集にも柿本人麻呂の歌「妻ごもる矢野の神山露霜に匂ひそめたり散らまく惜しも」を始め、歴代の勅撰和歌集に数多くの名歌を載せられた名山旧蹟で、後桜町天皇の明和2年に字和島藩主左近衛権少将藤原村候は深く大神の霊威を感じて、御歌所司中納言冷泉為村卿に検考を請はれ、宮中御歌所に於て審議調査検討の結果、「萬葉史蹟矢野神山は伊豫国宇和郡八幡浜浦八幡宮である」と確定、その祝として明和6年冬為村卿外九卿の矢野神山十景和歌一巻を献納された。
ということで、こちらで間違いない。
めっちゃ遠いけど・・・
「ふたわ」
とは、
わたしの故郷である「阿波」と
そして「宇和」のことだったのです。
ですがすぐに八幡浜に行ったわけではなく、2024年の暮れから、2025年のお正月にかけて、阿波から宇和への旅が実現したのです。
この地に大きな災害がくることもわかりました。
一週間かけて、のんびりと旅をしました。まずは徳島、そして香川を経由して、特急電車で愛媛に行きました。
大晦日と新年は宇和での年越しとなりました。
素晴らしい旅を終え、東京に戻り、
また大國魂神社に初詣にいきました。
神様から、
「ふたわに行ったな、二つの架け橋、〇〇………(以下内容は秘密です。)」
神様に阿波と宇和の旅をしましたと報告しなくちゃと思っていたのに、忘れてた・・・
主人もそうなのでしょう。
境内で主人が、二日前に夢を見た、その夢のお告げで、自分の出自が宇和であることを知ったよ、と。
えええっ、そういうことなのか、こうやって謎がひとつひとつ解き明かされていくのですね。