見出し画像

第4話 人生初のストーカー(?)被害[後編](北海道連載4/15)

Day2未明 降り注ぐ受難

前編より続く

 しつこく付きまとおうとする男を振り払うため、私は男が目覚める前にゲストハウスを立ち去る「夜逃げ」を決意した。万が一のことがあってはならないため、綿密な計画を立てる必要がある。まず何時にこの建物を出ていくか?男性が提案してきた、釧路駅を朝一で出発する列車の時刻がだいたい5時半。そこから身支度、移動の時間なども含めて逆算すると、いくら遅くても4時前には出ていかなくてはならないだろうと推測した。次に、行き先を釧路湿原にするか根室にするか。ここは迷わず釧路湿原を選択した。これには二つの理由がある。

一つ目は、例の男性が根室行きに乗り気だったこと。少しでも遭遇する可能性を下げるには、根室は避けるべきだと判断した。もう一つの理由は、根室は北海道の東端であるという土地柄、遭遇した時の逃げようがないということである。根室駅は終着駅であるため、釧路方面に戻るしか手段はないのだ。その一方で釧路湿原駅は、釧路方面・網走方面と二方面への移動が可能なため、有事の際にもなんとかなるのではないかという判断だ。危険性をゼロにすることはできないが、なるべく最悪の事態を回避しようと全力を尽くした末の判断だった。乗車する列車は、朝一番で釧路湿原に行くことのできるものを選択した。これには、「旅のお供」である私が突然いなくなったことを心配して、私のことを探したり、帰りを待ったりするであろう「心優しい男性」が、朝一番の列車に乗ってくることはないのではないか、という読みがあった。

 目を閉じて、計画を整理した。意識が飛ばないように気を付けつつ、15分ほど休養を取った。身体は寝ているが脳は起きている状態を保つように心がけた。勿論これまでこんなことをした経験はない。いびきの音は相変わらず大きく、ストレスはますます増大した。一刻も早くこの建物から立ち去りたいという気持ちが膨らんだ。

 いびきの音量と私のストレスがピークに達した午前2時30分。私は意を決した。全ての荷物を両手に抱え、今度こそ音を一切立てずに部屋を出ようとした。と、リュックを持ち上げた瞬間、いびきの音が途切れた。全身から血の気が引いていくのを感じた。しかし、目覚めた様子はないようで、みたび心地よさそうないびきの音が部屋中を支配した。部屋を出る前に、私のベッドのカーテンを完全に閉めた。このことには、私がずっと寝ていると男性に勘違いさせ、夜逃げの発覚を少しでも遅らそうという狙いがあった。こうすることで、朝一番の列車に男性が乗ってくる可能性をより下げられるだろう、という意図もあった。

 部屋を出て、シーツや枕カバーを所定の場所に返却し、ゴミ箱にゴミを捨てる。誰にも気づかれないよう、静かに且つ素早くゲストハウスの建物を出た。滞在時間わずか4時間半。およそ2000円の宿泊料金を無駄にしたという思いもあったが、こんな貴重な人生経験2000円じゃ買えないだろうとプラスに考えるように努めた。こうすることで不思議と気分が高揚していった。

 晴れてゲストハウスを脱出できた私だが、まだ問題は残っている。6時までの3時間半、私はどこに身を寄せるのか。この時間帯に大きなリュックを抱えて街を歩くことで、警察に職務質問されるのではないかという懸念。

 グーグルマップで検索をかけたが、付近にネットカフェや漫画喫茶はない。あれこれと思案して、カラオケボックスへ行くことを決めた。さらに調べると、朝5時まで営業している店舗があるようだ。

 徒歩のルートを検索すると、所要時間35分と出てきた。なんなんだよと天を仰ぎつつ、どうせ時間を持て余すことになるのだと我に返り、3kmにも及ぶ長い距離を自分の足で歩くことを決意した。

 当然のことだが、歩く人も走る車も全くない。なにせ夜中2時台に外を歩くのは初めてのことである。

 港の近くへ行くと、今まさに出港しようとしている船を多数見かけた。漁師の朝は早いとよく言うが、その言葉を深く理解することが出来た。

画像1

 なだらかな坂道を上っていると、一台の車がこちらに寄って来た。覆面パトカーだろうか。ヒヤヒヤしたが、新聞配達のようだった。深い溜め息が出た。道路脇にある政治家のポスターがこの日はなんだか不気味に見えた。ちなみに鈴木宗男が自民党を離党したのは今から18年前のことである。

画像2

画像3

 公園や大学が並ぶ大きな通りを、思いリュックとバッグを抱えてひたすら歩く。だいぶスローペースだ。途中道に迷ったり、立ち止まったりしたため、カラオケボックスに到着したのは3時40分頃だった。カラオケに1時間もいられれば十分だ。5時の閉店から1時間もあれば確実に釧路駅に着ける。

 安心感とともに自動ドアの前に立つのだが、ドアが開かない。少し体を動かしてみるのだが、作動しない。ドアの故障と思い手でこじ開けて中に入った。風除室を隔ててもう一つ自動ドアがあった。今度はボタンを押すタイプの自動ドアだ。が、開かない。ドアの前でしきりに歩き回っても、ボタンを何度押しても全く開かない。二つセットで壊れているのだろうと思い、これまた手動で開けて店の中へ進んだ。階段を上り、受付は2階だ。

 階段を上り切ってカウンターへ向かうと、従業員が一言。「どうされましたか?」 店に入って「いらっしゃいませ」以外の言葉を浴びたのは初めてだ。何を言ってるんだと思いながらも歌いに来た旨を説明すると、「いや、もう閉店してますけど」

 絶句した。反射で「ああ、そうですか。すみません」とだけ言葉が出てそそくさと階段を下りた。もちろん、二つのドアは手でこじ開けて店を後にした。

 閉店時間の1時間以上前なのにどうして既に営業終了しているのか、閉店しているなら何故従業員はいるのか、など疑問は尽きなかった。あれこれ思案していると、先ほどの従業員が店を出てきて車に乗り込んだ。勤務を終えて帰宅するのだろうか。ここで顔を合わせたら警察に通報される。なんとなくそう思った私は、店と反対の方向に走って逃げた。するとその車も同じ方向に車を走らせてきた。声を掛けられることはなかったが、夜中3時半のカラオケボックス無理やり乗り込んだ私は、恐らく家出の不良少年か指名手配犯と勘違いされたことだろう。その後も数回似たような車とすれ違った。震えた。

 身を寄せる場所も、時間をつぶす手立ても失った私は、ただひたすら釧路の街を歩き回ることしかできなかった。朝食を買いにコンビニに行くまでの約1時間40分、あてもなく黙って歩き続けた。後で計算したところ、ゲストハウスを出てから釧路駅に到着するまで、合計7.5kmに及んだ。普段のランニングでさえ6.5kmほどしか走らないのに。驚きモモノキなんとかである。

 北海道も3日目だが、相変わらず寒い。シャワー上がりの半袖短パンのまま飛び出してきてしまったため、寒さが身に染みる。温泉にでも入りたい。そう思ったがこんな時間からやっているところがあるわけない。

 もうそろそろ風邪をひくだろうと観念し始めた朝5時15分、コンビニで唐揚げ弁当を購入した。イートインスペースがなかったため、すぐ近くの公園でベンチに座って食べることにした。が、これがまた地獄の始まりだったのだ。弁当の蓋を開けた途端、ベンチの周りにカラスが寄ってきた。至近距離に迫ってくるというわけではなく、横目に様子を窺っているといった感じだ。上司の機嫌を窺う部下のようで頭にきた。箸を進めるたび、取り囲む鳥の数は増える。何度も咳払いで追い払おうとするが、立ち去るどころか動く素振りすら見せない。レンジで温めてもらったはずの弁当が、すっかり冷たく感じられてしまった。寒さと冷や汗で、凍えてしまいそうだった。おびえる姿を見た近くのタクシー運転手は微笑みを浮かべていた。不快指数は極限に達していた。

 それでも何とか弁当を食べきり、公園を後にした。その瞬間、公園中のカラスがけたたましい鳴き声とともに、ベンチ向かって一目散に飛びかかった。身も心も限界に達し、めまいを起こした。

 体はフラつき、寒さに震える中、釧路駅を目指した。朝も6時が近づくと、通りに歩く人の姿がちらほら見え始める。周りを歩く人が皆ストーカーのように見えるほど、心も疲れていた。

 多くの困難に見舞われながらも、釧路駅まで来られた。トイレで長袖長ズボンに着替え、釧路湿原に向かう始発列車に乗り込んだ。例の男は...いないようだった。

 ここからは、夜逃げして始発列車に乗って良かったと思える出会いが連続する。悪いこともそうそう長くは続かないようで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?