「真面目だね」と言われます
こんにちは、イワシです。
今日は、真面目で何が悪い、というお話です。
『ぶんけいの得も言われぬラヂオ』、
ご存じでしょうか。
クリエイターのぶんけいさんがYouTubeでやっているラジオなのですが、
わたしみたいに
「ものごとをちょおっと難しく深くめんどうくさく考える」ことが好きな方にはぜひ聞いてほしいです。
あと、わたしと同じくクシャッと笑う優しい顔の人が好きな方にも聞いてほしいです。
個人的には第2回の”自己肯定感を高めたい”
というお話がとても好きだったので、ぜひ。
さて、第3回の配信で
”「真面目だね」という煽り”
というお話がありました。
超絶コンパクトにまとめると
”「真面目だね」で片づけられることが嫌、煽られているように感じる”
みたいなお話だったんですが、あーわかるなあと共感してしまいました。
これ共感する方多いと思うのでぜひYouTubeで聞いてみてほしいんですが(何回宣伝するねん)、今日はちょっと
”「真面目だね」と言われること”
について書きたいと思います。
まあこんな文章を書いているくらいなので大方予想できると思いますが、わたしは真面目です。
自分でも思うし、周りからもそういわれます。
結論から行くと、わたしは今は「真面目だね」と言われることが嫌ではないです。
むしろ嬉しいくらい。
”今は”そうなのですが、中学生の頃は
「真面目だね」と言われることが嫌でした。
それこそ「真面目」ということばになんとなく悪意っぽいものを感じていましたし、
言われるたびに「おもんないやつ」のレッテルを貼られたような気分になっていました。
「真面目に頑張ってもないやつにそんなこと言われたくねえよ」
なんて心の中でははらわた煮えくりかえっていましたが、
当時のわたしはそんなこと言えるわけもなく、
「そんなことないよ~」で済ましていました。
それが変わったのは、高校に入学してからです。
高校には「真面目な」人たちがたくさんいました。
そして「真面目である」ことの難しさやしんどさを知っている人たちもたくさんいました。
そんな人たちからの「真面目だね」にはトゲがなく、わたしはそれを心からの褒め言葉として受け入れることができました。
「真面目だね」に対して、
「そこだけが取り柄やねん~」と、返せるようになりました。(図太い)
ある意味コンプレックスに感じていた「真面目であること」を、自分の長所として認めることができるようになったんです。
今でもごくごくたまに、トゲのある「真面目だね」に触れることがありますが、
今なら「真面目でなにが悪い!」と堂々と言えます。真面目ってかっこいいんやぞ!、と。
少し似たことばで「意識高い」ってのもありますよね。
これも言い方によっては揶揄しているように聞こえてあんまり好きではありません。あくまで言い方によっては、ですが。
(てか「意識」ってなんぞや?)
わたし自身、自信をもって「意識を高く持っている」と言える行動はできていませんが、いわゆる「意識高い系」の人たちを尊敬しています。
揶揄ではなく、本当に。
なんだかまとまらない文章になってしまいました。
結局何が言いたかったかと言うと、ぶんちゃんのYouTubeラジオ聞いてみてねということです。
勝手にURL貼り付けときます、ぜひ。
https://www.youtube.com/channel/UCoXM_xINTF-pnrK75OEePVQ
読んでくださったあなた、ありがとうございます。