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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 37

第4章-13.ライプツィヒ、1837年:「ほら、カツラだよ!」

 彼がライプツィヒに戻ってすぐ、次のような手紙が届いた。

ライプツィヒ、1837年1月10日
 親愛なるフェルディナント(古典戯曲くん)。
 まず最初に、君が貸してくれた「心付け」に感謝します。今帰りつきました。たどり着いた時にはほとんど残っていなかったので、本当にちょうどいい量だったようです。
 それでも、戻ってきて自室に入った時の無気力さは、それが主因ではないと思います。あれほどの無気力を見たら、無情な君ですら僕に同情したでしょう。まるまる二時間完全に無言で座りこみ、ただただ会員制コンサートを呪うことしかできませんでした。そして使い古したこのフレーズを繰り返すことで、ハーフェズに戻ります。「プファライゼンにいられたらよかったのに、そこにいればいつも幸せ」。

 教えてください、残り9回のコンサートと、Hの交響曲とSの交響曲の、どこに喜びを見いだせばいいのですか?
 明後日にはモーリックの交響曲をやります。そしてこの手紙を書いた理由ですが、君の序曲の演奏が次のコンサートに延期になりました。(スタンデール)ベネットのピアノ協奏曲(※1)、『イドメネオ』からサクリファイスの場面、ベートーヴェンの交響曲変ロ長調を演奏することになったからです。
 次の金曜日まで手紙を書くつもりはなかったのですが、一週間延期されてしまったし、ビジネスマンとしての僕の評判を守りたいので、君に手紙を書きました。なので君も、僕が君の序曲を悪用したり、改悪したり、悪だくみを考えたりしていないか、メルキゼデクの位に従っているかなどなど、ちゃんと僕を見張っていた方がいいですよ。

 いつだったか君は、ドイツ中の音楽家と友達だと僕を賞賛したけれど、この冬は全く逆で、彼ら全員を敵に回すことになるかもしれません。
 ここに六つの交響曲があります。どんな曲なのかは神だけがご存知で、私は知りたくもありません。僕は作曲家じゃなく演奏の機会を設けただけなのだから、僕の責任でも、誰の責任でもないはずです。交響曲の場合は特に。
 まったく! 楽長は自責の念に駆られて胸を打ったりするべきじゃないでしょう? だけど彼らはいつだって、呪われた芸術観と彼らが愛読している嘆かわしい「神の火花」とやらで、台無しにしてしまうのです。

  僕のピアノ曲はいったいいつ手に入るんだろうね、戯曲くん?

  今日、6つの前奏曲とフーガ(※2)を印刷業者に送りました。あまり演奏機会に恵まれない曲かもしれないと不安に思っています。でもどうかちょっと見てほしい、そしてもし気に入った個所やそうじゃない個所があったら、教えてください。オルガンフーガ(※3)は来月印刷予定です。また古くさいって言いたいんでしょう、ほーらカツラだよ!
 悪印象をふきとばすために、ピアノ曲のイケてるパッセージが思い浮かぶといいなと思っています。やれやれ!

 僕が本当に気にしているのはひとつだけ、カレンダーのことです。早くイースターが来ないかな、今すぐに来てほしいです。しかし僕は、家庭の事情のため最後のコンサート(3月17日)のあとすぐに出発すること、自分の作品だろうが大天使ガブリエルの作品だろうがどんなオラトリオも指揮できないことを、既に監督に伝えました。彼らは理解を示してくれ、当然のことだと思ってくれています。
 もっと急いでくれてもいいのに。三月が来るまでにあと何回、雨が降って凍って融けるんだろう、あと何回ひげをそって朝のコーヒーを飲んで交響曲を指揮して散歩しなきゃいけないんだろう。
 シューマンとダヴィッドと(君と会ったことないのに)シュライニッツが、君によろしくと。
 そろそろ食事に行かなければなりません。午後はモーリックのリハーサル、夜は新婚夫婦(ダヴィッド夫妻)のお祝いの宴席があります。彼の妻は実際にここにいて、ロシア人で、彼は彼女と結婚しており、リーフェン公爵の義兄であり、僕達の「コンサートマスター」でもあるのです。これ以上付け足す必要はないでしょう。
 親愛なる君のお母さんによろしく、ご多幸を祈ります。マドモワゼルJにはご機嫌伺いを。
 それでは。僕の事忘れないでね。
君の フェリックス M.B. 

※注1:協奏曲第3番ハ短調。作曲者本人の演奏。
※注2:ピアノのための。op.35
※注3:オルガンのための3つの前奏曲とフーガ。op.37


解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 前回はクリスマス休暇を取れるかジリジリしているメンデルスゾーンの手紙と、ちゃんと取れてたよ、というヒラーの後日談を紹介した。
 今回紹介するのは、年が明けて1837年1月10日付のメンデルスゾーンの手紙。クリスマス休暇が終わり、後ろ髪を引かれる思いでライプツィヒに戻ったメンデルスゾーンの、見事な虚脱っぷりから始まる。
 一度書いていた文章がまさかのメモ帳のフリーズで全部消えてしまい、筆者もメンデルスゾーンに負けないくらい虚脱していたが、半泣きで書き直した。ぜひ読んでほしい。メモ帳がフリーズしたのなんて初めてだ。とてもかなしい。

 フェルディナント、と書いておいてからわざわざかっこ書きで「古典戯曲くん」と付け加えているところを見ると、メンデルスゾーンはこのネタが相当のお気に入りだったのだろうか。
 婚約パーティを中座してライプツィヒに戻った時も随分な落ち込みようだったが、今回もなかなかだ。まるまる二時間、ずっと無言でうなだれていたとのこと。
 それだけとても楽しいクリスマスを過ごしたのだろう。頑張れメンデルスゾーン。

 フランクフルトからライプツィヒに戻る際に、メンデルスゾーンはヒラーからお金を借りていたっぽい。ここは底本では「nervos rerum」というラテン語が使われている。なんのこっちゃと調べるのに時間がかかったが、キケロの名言「Nervos belli, pecuniam. (Nervus rerum.)」から転じたドイツの熟語らしい。概ね「戦争の本筋はお金(物事の中枢も。)」みたいな身もふたもない意味で、ここからnervus rerum=金という意味になったようだ(uがoになっているのは誤植かなあ…)。
 裕福なイメージが非常に強いメンデルスゾーンだが、ライプツィヒでは楽団員の地位向上や給料アップのため自分の報酬はほとんど受けず、またこの頃は、セシルさんとの結婚に反対する家族や親族とも若干疎遠になっていたらしい。
 そんな事情をヒラー自身が知っていたかは分からないが、帰りの新幹線代を出すような感じでお金を貸したのかもしれない。
 だがその金額がギリギリだったようで、「本当にちょうどいい量」だったと書いているのは、翻れば「足りなくなるんじゃないかとヒヤヒヤした」という意味にも取れる。
 でも僕が超絶ブルーになった原因は別にそのヒヤヒヤが原因ではないから安心してね☆ という皮肉と冗談の間みたいな言い回し、ヒラーとメンデルスゾーンの仲のよさを何度も何度も確認させられている気分だ。
 ただ「nervos rerum」には、お金だけでなく、他にも勇気、もてなし、心づけなんて意味もあるので、もしかしたらそっちかも……推敲するときには再検討したい。

 そしてヒラーと共に我々も何度も聞かされた「プファライゼンにいたかった!」だが、メンデルスゾーン本人も使いすぎている自覚はあったようだ(笑)
 あれっファールトーアじゃなくてよかったの? と若干からかいたくなる気持ちを抑え、初めて聞いた「ハーフェズ」という単語を調べることにした。

 〇ハーフェズ(ハーフィズ)
「コーランを全て暗誦できる者」というイスラム教徒の尊称。
 この名を雅号として使った詩人ハーフェズ(本名シャムソッディーン・モハンマド、1320年頃-1390年頃)は恋愛詩人と呼ばれ、酒と女性と自然を詠んだ詩が多い。
 ゲーテやリュッケルトなどの訳でドイツでもよく知られていた。

 この詩人ハーフェズの逸話から着想した、「ハーフェズ ペルシャの詩」というイラン映画がある。
 チベットで育ったイラン人のヒロインを日本人の麻生久美子が演じたことで、公開当時(2008年)話題になったようだ。
 この映画の公式サイトでハーフェズの説明などがあるので、よかったらどうぞ。他のページも、中東好きにはたまらんので、ご興味があれば覗いてみてほしい。
 他の参考にしたサイトによれば、ハーフェズは生まれ故郷のシーラーズの街をとても愛していて、街を称える詩も多く残しているとのこと。
 筆者はまだハーフェズの詩に目を通せていないのだが、メンデルスゾーンが書いている「プファライゼンにいられたらよかったのに そこにいればいつも幸せ」というフレーズは、ハーフェズが詠ったシーラーズの街を称える詩のパロディだったのだろうか。それとも愛の詩のパロディかな?

 セシルさんとの別れ(注:3月にはまた会える)がつらすぎるあまり、コンサートすら憎しみの対象になってしまう。完全に仕事より恋人が大事になっている。まあそりゃそうだよね。
 どんな曲も今の自分には楽しみを見いだせない、と嘆いているのは分かるが、交響曲作家のHとSが誰なのかさっぱり分からない。
 モーリックというのはおそらく、ベルンハルト・モーリックのことだと思うのだが。

★ベルンハルト・モーリック(Wilhelm Bernhard Molique,1802-1869)
 ドイツの作曲家、ヴァイオリン奏者。
 父のクリスティアン・モーリック、シュポーア、ロヴェッリらにヴァイオリンを師事。作曲は独学だがモーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シュポーアに影響された。
 シュポーア、フルート奏者のベーム(ベーム式フルートの発明者)らと親交があった。
 アン・デア・ウィーン劇場楽団、ミュンヘン宮廷楽団、シュトゥットガルト宮廷楽長、英国王立音楽院教授などを歴任。
 その演奏はベルリオーズの絶賛を受け、協奏曲はヨーゼフ・ヨアヒムのレパートリーの一つだった。

 姓の綴りを見て一瞬フランス人かと思ったが、父がアルザスの出身だそうだ(彼自身はニュルンベルク生まれ)。
 協奏曲は今でも録音などがあるようだが、メンデルスゾーンがここで話している交響曲については情報がつかめなかった。
 英語版ウィキペディアによれば交響曲は一曲のみ、1837年~42年に制作したそうなので、この演奏後もブラッシュアップを続けていたのかもしれない。

  以前の記事で1月8日に演奏予定だと言っていたヒラーの序曲ニ短調だが、延期となってしまったらしい。その理由が、他に演奏する曲があったから。 スタンデール・ベネットは以前の記事に登場した、イギリスの作曲家・ピアニスト。1836年のライン下流域音楽祭でヒラーも顔を合わせているので、ああ彼か、と思い出したかもしれない。
 注によればベネットさん本人のピアノ演奏で協奏曲を演奏したようなので、きっとベネットさんのスケジュール的にこの日のコンサートでしか演奏できなかったんだろう。ヒラーの序曲を延期してでも。
『イドメネオ』はギリシャ神話がモチーフのモーツァルトのオペラ。ベートーヴェンの交響曲変ロ長調は第4番だ。

 もともと金曜日まで手紙を書くつもりはなかったとあるので、カレンダーを確認してみた。1837年1月10日は火曜日。手紙を書こうと思っていたという金曜日は、13日だ。おっと、13日の金曜日じゃないか。
 現代日本を生きる身としては、反射的に「不吉な日(笑)」と思ってしまうのだが((笑)まで含めて)、19世紀ドイツを生きる彼らはどうだったのだろうか?
 ざっと調べてみたが、13日の金曜日を不吉な日(事故や事件が多い、不運なことが起こる)とするのは英語圏とドイツとフランスくらいのものらしい。それも、1907年以前の史料には現れないとのこと。
 ドイツでは13という数字を「悪魔のダース」と呼ぶことがあるようだが、それも不運の象徴というわけではないらしい。
 むしろ、ドイツ語版ウィキペディアには「ユダヤでは13という数字は神の象徴であり幸運の数字」と記述がある。全然不吉じゃなかった。
 太陰暦のユダヤ暦では、14日がいつも満月となる。安息日である土曜日が満月だと幸運ということで、13日が金曜日だとやったーラッキーととらえるそうだ。
 とここまで書いておいて何だが、メンデルスゾーンが金曜日まで手紙を書くつもりがなかったのは、単純にヒラーの序曲のお披露目が終わってから書くつもりだった、という意味かもしれないけれど。

 僕はちゃんとしたビジネスマンなので、延期になりましたよというお知らせをちゃんとしましたよ、と主張しているのはなんだか可愛い。
 他の手紙でも「ビジネスマンらしく」とか「仕事として手紙を書いてるので」などの言い回しが時々出てくるのは、どこかで誰かに「社会人としてのマナーがなっとらん」とでも言われたんでしょうか?(笑)
 そしてヒラーにも「ビジネスマンとして」僕が君の作品にちゃんと敬意をはらって取り扱っているか見張るべきだよ、と謎のアドバイスをしている。 ここで列挙している中でも「メルキゼデクの位にしたがっているか」という言い回しで突然訳が分からなくなってしまったのだが、どうやら聖書(詩篇)の一節のようだ。
 詩篇110(ダビデの歌)に「あなたはメルキゼデクの位にしたがってとこしえに祭司である」という語句が出てくる。この部分、底本ではラテン語になっている。
 ムスリムの詩人の名前が出たり、(もしかしたら)ユダヤ教の幸運な日をにおわせたり、聖書の一節が出たり、なんて盛り沢山な手紙なんだ。訳者泣かせ。

 この冬はドイツ中の音楽家を敵に回すかも、と穏やかでない。どうやら演奏予定の6つの交響曲が、あまりうまくいきそうにないということだろうか。明言を避けているが、曲があまりよくないともとれる。
 だがたとえ曲そのものが悪かったとしても、ブーイングや冷たい言葉を直接受けるのは、演奏している当人たち、そしてそれを率いる指揮者・楽長だ。
 交響曲は特に、演奏者も多いし楽譜がたくさん必要だから写譜家も複数になるだろうし、関わる人間が多数になる。どんな演奏になったとしても、誰のせいでもないはず、ましてや僕のせいじゃない、とまだ演奏する前のコンサートにあらかじめ言い訳しているのは、少し同情する。やっぱり、今までになんか言われたのかと勘ぐってしまう。
 誰のせいでもないはずなのに誰かのせいにしようとする人々の愛読書「神の火花」については、詳細が分からなかった。なんだろう、オカルト誌かな。調査を続けたい。

 そしてまだ入手できないメンデルスゾーンのピアノピース……(笑)
 底本はこの一文だけで段落を分けている。強調されていたのだろうか。手紙の流れからすると「それはさておき話題変えるねー」くらいのノリで繰り返し使ってるようにも見えてきてしまう。

 ここからはメンデルスゾーンの自作の進捗。
 ピアノピースは一向に出ないが(笑)、ピアノのための『6つの前奏曲とフーガ』(op.35)を出版社へ送ったとのこと。もちろん敬愛するバッハに影響をうけた作品だ。
 ほかにもオルガンのための『3つの前奏曲とフーガ』(op.37)が出版待ちの状態。イギリスのオルガン奏者トーマス・アトウッドに献呈された作品だ。余談だが、トーマス・アトウッドはロンドンのピムリコ生まれ、この近辺はメンデルスゾーンの親友・クリンゲマンが住んでいた時期があるのでもしかしたらそのつながりで知り合ったのかも?
 この2つの楽譜はどちらもブライトコプフ&ヘルテル社から出版されている。

 バッハ大好きなメンデルスゾーンにとっては、「前奏曲とフーガ」を作ることに特に違和感はないが、当時の流行にバッチリ乗っていたヒラーからすれば、「前奏曲とフーガ? 古くさいよ何時代だよ!」というからかいの種だったのだろう。
 同世代の音楽家たちの作品をざっと見渡しても、前奏曲とフーガをしかも複数残している作曲家は多くはない。リストなどが後年作曲しているが、それも1850年代に入ってからだ。当時の流行では決してなかった。
 もう今までにも散々からかわれていたのだろう。メンデルスゾーンは揶揄われる前に自分から「古くさいって言いたいんでしょ、ほーらカツラだよ!」とおどけている。
 ちなみにこの部分、底本では「me voilà, perruque!」というたった三語のフランス語なのだが、意訳させていただいた。
 バッハみたいなカツラをかぶるメンデルスゾーンを想像すると……結構似合う気がする。
 もう古くさいと言われないように、ナウでヤングな今風のピアノ曲のパッセージが浮かぶといいんだけどね、と自虐ギャグを飛ばすメンデルスゾーン。「rattling」という単語がわざわざ使われていたので、ちょっと訳も工夫? してみた(笑)。

 今のメンデルスゾーンの頭の中は、イースターすなわち「フランクフルトに戻ってセシルさんと過ごせる日」が早く来ないかという思いでいっぱいだった。今すぐ来てほしい、なんて無茶なことを言っている。子供みたいで可愛い。
 3月17日のシーズン最後のコンサートが終わったらすぐにフランクフルトに戻るから! 自分の曲だろうが、大天使ガブリエルが作った曲だろうが絶対に指揮しないから! 帰るから!! と既に監督に伝えてあるとのこと。大天使ガブリエルの名まで持ち出すあたり、「絶対に帰る!!」という確固たる意志がうかがえる。
 でも実際に大天使ガブリエルが「私が作った曲演奏してほしいんですけど~」と持ってきたらメンデルスゾーンは演奏する気がする。敬虔なプロテスタントなので。
 幸い(?)大天使ガブリエルが自作を持ち込むことはなかったようだ。

 このあたりの文章は完全に、夏休み、冬休み、クリスマス、お正月……あたりのイベントまであと何日か指折り数えてはため息をつく子供の様相を呈している。かわいい。この28歳かわいいぞ。
 ようやく略されることなく名前を書いてもらえたロベルト・シューマン、ヒラーの幼馴染でもあるフェルディナント・ダヴィッド、そしてシュライニッツ……誰だ?
 会ったことないのに、とかっこ書きされている通り、ヒラーも知らない相手のようだ。「よろしく伝えといて! 知らんけど!」という関西風のノリの陽キャお兄さんが一瞬頭に浮かんでしまったが、この人だろうか。

★ハインリヒ・コンラート・シュライニッツ(Heinrich Conrad Schleinitz,1805-1881)
 ドイツの法律家、テノール歌手。
 ライプツィヒ大学で法律を学び、同地で法律家として働く。1830年ごろから音楽を学び始め、1835年にゲヴァントハウスの理事になる。
 メンデルスゾーンと親交深く、エリヤの演奏に歌手として加わったり、「夏の夜の夢」の献呈を受けたりした。
 メンデルスゾーンの死後、ライプツィヒ音楽院の理事を務める。

 そろそろご飯食べに行くから終わるね、と手紙は結びに入る……と思いきや、新婚夫妻へのちょっとした羨望の文章が少し続く。
 先述のフェルディナント・ダヴィッド氏、新婚ほやほやだった。婚約者を遠くに置いて単身赴任中のメンデルスゾーンには、いくら親友でもいろいろ複雑というか思うところあったのではなかろうか。
「彼の妻は実際ここにいて」あたりの行間には、僕のセシルはここにいないのに……という恨み言が見えてきてしまう(笑)。
 ダヴィッドさんの奥さんはこの方らしい。

★ソフィー・ダヴィッド=フォン・リファート(Sophie von Liphart,1807–1893)
 実家はドルパト(現エストニアのタルトゥ)のバルト・ドイツ系貴族リファート家。
 カール・ハインリヒ・ヴォン・リーフェン公(1799-1881)の妻エリーゼの妹。
 ソフィーの父カール・ゴドハルト、弟カール・エドゥアルトの下で、ダヴィッドが弦楽カルテットとして雇われていたのが縁でダヴィッドと結婚する。

 今のエストニア(当時はロシア領だった)に本家を置く、バルトドイツ系貴族のお嬢さんだ。
 バルトドイツ系貴族というと、つい自作の乙女ゲームに登場させたヴィルヘルム・フォン・レンツを思い出してしまうが、どちらかといえば同じくドルパト出身の物理学者ハインリヒ・レンツの方が同郷で縁があるか。レンツ違い。

 ダヴィッドの肩書が増えすぎて、漫画のキャラクターだったら編集さんに「ちょっと盛りすぎです」って注意されるレベル。
 最後にヒラー母と、マドモワゼルJ=愛しの婚約者セシル・ジャンルノーさんによろしく、と伝え、最後は「君のフェリックス・M・Bのこと、忘れないでね」で締め。
 本当になんというか、欧米の方の手紙の締め方は……たとえこれが定型句だとしてもエモいな……(語彙力)。

次回予告のようなもの

 今回も! 画像が! 入れられなかった! もっと派手派手にしたいのに(?)。
 さて、次回紹介するのは1月24日付の、メンデルスゾーンからの長い手紙。
 なんやかんやあって延期されてしまったヒラーの序曲ニ短調だが、ついに演奏される時が来た! 音楽家たち、そしてメンデルスゾーンの評価やいかに?
 この長さにこそ、どう伝えたらいいか悩むメンデルスゾーンの姿がうかがえる……!

  第4章-14.ヒラー『序曲ニ短調』 の巻。

  次回もまた読んでくれよな!

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いわし
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