両親との同居計画、家を“半開き”にする挑戦。家族にも逃げ場が必要では? という話。
両親との同居、家を“半開き“にする挑戦
こんにちは、岩沢兄弟の兄嫁・えりです。
東京から千葉に引っ越してきて、もうすぐ2年半。岩沢兄弟としても、浅草橋の事務所兼工房を引き払い、西千葉付近に新たな拠点を構えて2年が経ちました。
どんなまちに暮らしたいか。と、自分好みのまちを探して選ぶことも素敵だけど、たまたま繋がっていた縁でたどりついたまちで、自分なりに関わりたいかたちを実践しながら暮らすのもいいんじゃないか。最近はそう思っています。
そんな暮らしへのスタンスがおぼろげに姿を現しつつあるなか、岩沢兄弟の家族との関わり方も、そろそろ次のステージへ移行しようと準備がはじまっています。
それは、「(わたしにとっては義理の)両親と同じ家に住む」ことと「家の一階に“半開き”の場所をつくる」というチャレンジです。
具体的には、2階建ての一軒家のうち、2階をわたしたち兄一家のスペースに。1階を両親のスペース+岩沢兄弟のスペースとして改装。1階の道路に面した部分を“半開き”にして、不定期なのか定期なのかで、ちょっとしたお店やイベントができる場所をつくる、という構想です。
岩沢兄弟が試行錯誤してきた、家族空間のデザイン
そもそも岩沢兄弟の家族空間は大きく2回変わってきていました。
もともとは、祖母宅(2階建ての一軒家)があり、道路を挟んだ向かい側に両親宅(2階建ての一軒家)がある。という2つの家の関係だったんです。
そこに、両親宅をリフォームして、岩沢兄弟の弟一家(夫婦+娘)が暮らしはじめ、お祖母ちゃんの介護もある両親が祖母宅の方で暮らすようになりました。
お義母さんだけに介護負担がいくことのないよう、楽しく分散できるかたちも目指し、祖母宅も一部リフォーム。リビングのど真ん中にお祖母ちゃんのベッドを設置するなど、独特の家族空間をつくりました。この頃、わたしたち兄一家(夫婦+息子)も千葉に引っ越し、祖母宅から自転車で5分くらいの借家で生活をはじめました。
その後、お祖母ちゃんが大往生を迎え、祖母宅はお祖母ちゃん中心の家から、両親の家へと姿を変えていきました。
今やすっかり両親の家という佇まいになってきた元祖母宅。この元祖母宅に、このたびわたしたち兄一家がリフォーム+同居という形で引っ越してこようということなんです。
家族それぞれの「逃げ場」を増やす必要性
では、どうして「(わたしにとっては義理の)両親と同じ家に住む」ことと「家の一階に“半開き”の場所をつくる」なんて話が出てきたのか。
それは、きっと他の家族も抱える課題とも近いかもしれません。
70を超え、後期高齢者に差し掛かっている両親。いわゆるその世代ならではの価値観が根強く、家事は全て母が担い、父はリビングから動かない生活。一見して元気で健康そうであっても、物忘れや聞き直し、ちょっとした勘違いの機会が増え、ときに突然の感情爆発も。
こう書くと、自分の家族の状況にあてはまる人も多いんじゃないでしょうか。
老いていく親と対峙するのは……大変です。切れない縁であればあるほど、自分自身の感情も揺れやすく、お互いの甘えが、お互いを傷つけ合うことになる。傷つけないうちに、第三者の目に触れやすい場所をつくること。いや、家族それぞれの逃げ場を増やすことが、不必要な感情の投げ合いを減らしていくんじゃないか? というのが、岩沢兄弟が次の取り掛かろうとしている、家族空間づくりかなと感じています。
ただ、今回はわたし自身も完全に当事者になるので、これまでのようになんでも「いいね、やってみたら」という気分ではないのも正直なところです。
何せ、「義理両親との同居」です。ただでさえわたしは一人でいる時間がきちんと保てないと心身のバランスが崩れるタイプなのに、四六時中義理両親の存在を感じながら生活するかもしれない、ということに不安がないわけありません。
それでも、挑戦してみても良いと思ったのは……なんでしょうね。
やっぱり「岩沢“兄弟”」と、家族(兄弟)であることそのものを仕事にするような人と出会って一緒に人生を生きようと決めたからでしょうか。ある意味これも、たどり着いた縁として受け入れて、その中で自分の譲れない部分も守りながら、家族と対話をして3度目の家族空間のアップデートに取り掛かっています。
個人的には、譲れない部分として、完全なプライベート空間の確保と一定の防音、屋上菜園計画。道路に滲み出る部分に大きめの植栽を育てるのと都市型コンポストの実験場所も設ける。というところでしょうか。つまり、どうせなら自分も新しいモードをつくって思い切り順応して楽しめる部分を模索するしかない!
一応、来年春には引っ越し予定ですが、まだ見積もりも作成できていないという前途多難な状況。どうなるかな……また進捗お知らせします。
(岩沢えり)