5分短編「恋人通話アプリ」
約3500字のサクッと読める恋愛短編になります。
どうぞお手隙の間にお楽しみくださいませ。
【恋人通話アプリ】
「もしもし、元気してる?」
休日に突然かかってきた通話。
その声はまさしく昔の恋人からだった。
「ああ。元気だよ」
「よかった。今から会わない?
私たちの思い出の場所で」
心の中ではその声が本物ではないとわかっているのに、
不覚にも僕はドキドキしていた。
僕はとある製造メーカーの営業に
転職して3ヶ月が経過した。
新しい職場にも慣れていき、
人との繋がりもできて
次第に僕の日々は充実していった。
同時期に入社した年下のナカタ君が
スマホのアプリや最新情報を教えてくれた。
彼がある日の休憩中にこう言った。
「昔の思い出とか思い出しますか?」
「ときどきね」
「オススメのアプリがあるんです」
「どんなアプリ?」
「昔の恋人と会話できるアプリです」
〝昔の恋人〟というフレーズに動揺してしまいそうだった。
「相手は音声AIですけど、
細かい項目を設定すると
リアルに再現できて会話できます。
疑似体験ってやつですけどね。
使ってみませんか?」と彼はすすめてきたが、
「やめておくよ。
過去のことは振り返らず。前だけを見ておくよ」
とわざと格好つけて言ったが、
本当は心の中では余裕がなくて、
いっぱいいっぱいだった。
家に帰って再びそのアプリについて考えた。
気になって仕方なかった。
ナカタくんの説明が脳裏に蘇る。
そして過去の相手のこともちらつく。
僕はいろんな気持ちを乗りこえて
やっと回復できたと思っていた。
でもまだ昔を引きずる自分がいることに気づいた。
気がつくと僕はアプリをダウンロードして
細かい設定までやってしまっていた。
全ては無意識のうちに、指先が勝手に…。
いくら音声AIで相手は偽物といえど、
僕から話しかける勇気はなく、
結局そのまま放置しておいた。
数日後の休日のこと。
午前中に例のアプリから通知がきた。
相手が会話を求めてきたのだ。
少し迷ったが僕は勇気を出して許可をした。
すると、
「私。ミナよ。元気してる?」
僕は思わずドキッとしてしまう。
それは確かにかつての恋人・ミナの声だった。
「げ、元気だよ。君は?」
「私も元気よ。
久しぶりに声聞けてよかった」
とてもリアルに再現されている。
その声に懐かしさが湧いて胸が熱くなってしまう。
「私たちの思い出の場所覚えている?」
「覚えているよ」
「今からそこに来てくれる?」
「今から?でも車で3時間近くかかるよ」
「無理は言わない。
もし暇ならその場所に来て私のことを感じ取ってほしいの」
僕は少し考えたあと、
「わかった」と決心したように答えて準備した。
運転中はハンズフリーで、
彼女と会話しながら目的地まで進む。
彼女の声が車内スピーカーから聞こえるように設定にした。
3時間の運転を思うと、話し相手にちょうどよかった。
「仕事はうまくいっているの?」
「大変だけど回りの仲間が親切だし、
いろいろとサポートしてくれる」
「よかった。ちゃんと三食食べている?」
「もちろん。自炊もしているよ」
そんな近況のやりとりが続く。
といっても彼女がたずねる一方で、
ほとんど僕の話ばかりになるが。
やがて彼女はこんな質問もしてきた。
「私たち、何回キスしたっけ?」
「えっ?たくさんしたじゃないか。
恥ずかしいこと聞くんだね」
「ごめんなさい。
きっと数えきれないくらい…よね」
「そういうことにしておいて」
車は1時間くらい走ったところで、
僕は車を止めて少し休憩し再び出発する。
「新しい恋人はできたの?」
「いないよ」
「なら、好きな人もいないの?」
「いないよ」
僕はそうした質問に少しむっとしてしまう。
「ねえ、どうして私たちって別れたっけ?」
「思い出したくないよ」
「いいじゃない。言いたいこと言っていいから」
という彼女の言葉に僕は
重い気持ちに少しずつ近づいてしまう。
「すれ違いというか。
俺たちはもう少し話し合って
お互いのことをわかりあうべきだった」
その時の僕はまるで本物の相手に対して
話しているような心境になっていた。
「でも、気まぐれだったんだ。
あの日あのタイミングにあの気持ちが」
「気まぐれなんかじゃないでしょ。
私はあなたを愛していたわ。
でもどうして…」
やがて僕は別れた日のことが蘇り、
つい気持ちがたかぶってしまい、
「アプリの君に何がわかるんだ!」
とつい怒ってしまった。
車内には短い沈黙が流れた後、
「怒らせてごめんなさい」
か弱い声で彼女は謝った。
僕も少しずつ冷静さを取り戻していく。
「悪いのは俺なんだ。怒ってしまってごめん。
君のことをアプリって言ってごめん」
「いいのよ。それは嘘じゃないし。
あなたの全てをわかっていない私が悪いわ」
かつて本物の彼女も同じように言っていた。
〝あなたのことを理解しきれない私がいけないの〟
人間にもアプリにも同じことを言わせてしまう
僕はなんてヤツなんだ。
「君と別れてから失意のどん底に陥って仕事ができなくなった」
「そうだったの?」
「自分でも不思議なくらい落ち込んでしまって。
結局仕事を辞めてしまった」
「俺は君がいないとダメだったんだ」
「君と別れてから気づいてしまうことが多くて」
「そんな、そうだったのね…」
「弱い僕がいけないから。君は悪くない」
今の僕は完全にかつての恋人に話してる気でいた。
「仕事を辞めて半年くらい何もせずに過ごした。
それで少しずつ回復して転職活動もできるようなった」
「それで今の職場に拾ってもらえた」
そして僕はナカタ君に教えてもらったアプリで、
ふたたび昔の彼女との疑似的な接触をしている。
今でも彼女のことを求めている自分がいることに気付かされる。
「もう一度、休憩したら?」
前回の休憩からさらに1時間運転していた。
「そうだね。ちょっと休憩しようかな」
「その近くにアイスクリーム店があるでしょ」
「あるよ。よく知っているね」
このアプリはGPSにも対応していて、
現在地がわかるのだろう。
僕は自分の分のアイスを買って食べると再び出発した。
「美味しい?」
「美味しいよ。君にも食べさせたい」
「私は我慢するわ」
少しずつ日が傾き始める時間帯に入った。
「私たちのいちばん熱い夜、おぼている?」
「もちろんおぼえているよ」
「どうだったっけ?」
「あの日の君はとても激しく…
だからその、なんと言えばいいか」
「最後まで言ってよ。気になるわ」
「恥ずかしくて言えないよ」
きっと恥ずかしくなるのは僕より彼女だ。
車は予定通り三時間近く運転して、
目的地が近づいてきた。
「そろそろ到着するわね。
海が見えるんじゃない?」
「そうだね。懐かしい景色だね」
そして目的の海岸へ到着した。
「やっと到着したよ」
「運転、お疲れさまでした」
僕は彼女に確認したいことがあった。
「でも、君はここに来ていないんだよね」
「ごめんなさい。私はあなたと声でつなるだけよ。
これが私の精一杯できること」
「わかった。せっかくだから歩いてみるよ」
砂浜を歩いてみると何もかもが思い出されていく。
あの日の季節、海の景色、
波の音、潮の匂い、風の感触、
すべてがあの日と同じだった。
あの日と違うのは、彼女の姿がないこと。
ただそれだけ。
「ねえ、ここで私とはさよなら。帰りも気を付けてね」
「わかった」
「いつか会えるといいわね」
「本当のことを言うと、会いたいよ。
でも会えない覚悟もできている…はずだけど」
「ありがとう」と彼女は言った。
「こちらこそ、ありがとう」
そこで彼女とのやりとりが終了した。
やがて僕は一人になった。
懐かしい波の音がひとり寂しげな僕をなぐさめる。
涙が出そうだったけど、
今の僕ならぐっとこらえることができた——。
追記
夕日が沈もうとしている。
僕は思い出の海岸から帰ろうとしたそのとき、
少し離れた波打ち際に一人の影を見つけた。
そのシルエットには心当たりがあった。
「そんな、まさか…」
急に胸の鼓動が高鳴り始める。
音声の彼女と話していたときよりも
はるかに激しいドキドキだった。
すると向こうも僕に気づいた様子。
お互いの存在に気づくと、
それぞれゆっくりと近づいていく。
そこにいたのは——本物のミナだった。
「おひさしぶり」と彼女は言った。
その声は正真正銘、実物のミナの声だ。
まさしく音声AIの彼女が運んできた奇跡。
「どうしてここに?」と僕はたずねると、
「あなたのことを思い出したくて来てみたの」
「実は俺も…」
今日の流れをどう説明しようか悩んだそのとき、
「じゃあ、俺は失礼するよ——」
という男性の声が彼女のスマホから聞こえた。
その声はどことなく聞き覚えのある声だった。
「あれ?それって…」
「もう一人のあなたがここに連れてきたのよ」
「なるほどね」
どうやら彼女も僕と同じアプリを使っていたのだ。
僕らは見つめあった。
夕日に染まる波の音が聞こえてくる。
お互いが何を思っているのか、
声に出さずとも、わかっていた——。