生あるものは
ある先生が「幾ら頑張って治療しても死んでいく患者が多い」と嘆いている。医者として真摯な嘆きだとは思うが、それじゃ私のような老年科医はどうするのか。私が診ているような高齢患者は、終生治るという事が無い。そりゃ一過性に良くなることはある。肺炎になったが治った、と言うように。
しかし高齢者は一回肺炎になれば、ワンステップ人生の階段を降りる。元の通りにはならない。これまで歩けていた人が歩けなくなる、食べられていた人が食べられなくなる。呆けが進む人もいる。ゴールは「死」だ。我々老年科医というものは、その死というゴールに向かって患者に付き添っていき、最後に看取る、これが仕事だ。「治せない」と言ってぼやいていたのでは、老年科医は務まらない。
その先生はワーカホリックだから、患者を助けるために必死なんだろう。幾晩も病院に泊まり込んでいるのだろう。それでも「治せない」と嘆く。
私は老年科医であって、最後に死を迎える患者さんに付き添っていくのが仕事だから、真夜中まで残業などはしない。毎日淡々と外来をし、時には訪問診療をし、一段一段死に向かっていく人々と長期にわたり付き合っていく。その先生には多分そう言う事は耐えられないのだろう。だが彼は私と確か同年なのだから、もうそろそろ「生まれた人は必ず死ぬ」という道理を悟ってもよい頃だと思う。病人は必ず助ける、と常に身構えていては、医者は長持ちしない。