誤嚥性肺炎について

「誤嚥性肺炎について」



誤嚥性肺炎(aspiration pneumonia)と言う疾患があります。なんらかの要介護状態になった人に頻発します。とりわけ要介護老人でしばしば発生する肺炎です。体力の衰えた老人に肺炎が頻発するのは昔から知られており、オスラーという有名な内科医は「肺炎は老人の友」という有名な言葉を残しました。しかしどういう機序でこの肺炎が起きるのかは、比較的最近までよく分かっていませんでした。以前はなんとなく「食べたものが肺に入るのだろう」と考えられていたのです。それを、いや、食事が直接肺に入って肺炎を起こすのではないと突き止めたのは私の恩師、東北大学老年内科名誉教授(現・仙台富沢病院院長)の佐々木英忠(ひでただ)先生です。



佐々木先生は東北大に老年内科が出来た時、初代教授になりました。そして「誤嚥性肺炎を教室のメインテーマにする」と決めたのです。佐々木先生の指導の下、例えば「誤嚥性肺炎を起こした患者はそうでない患者より咽頭の嚥下反射がはっきりと(医学用語では「有意に」)落ちている」ことや、「一旦気道に入ったものを喀出する咳反射も落ちている」という事が次々に明らかにされました。



更に、私が大学院生だった頃一緒に研究していたブラジル人留学生アルトゥール君(苗字は忘れました)が興味深いデータを出しました。彼は誤嚥性肺炎を起こす要介護老人の嚥下反射を、昼間と夜の二回測定したのです。そして、同じ患者でも、嚥下反射は夜間非常に低下しているという事を明らかにしました。そのデータを観た佐々木先生は「肺炎は夜作られる」という名言を吐きました。



つまり、誤嚥性肺炎の本質は、食事がそのまま肺に入っていくのでは無いのです。そういう、食べた途端にものが気管支に入って肺炎になるというのは、今では「誤嚥性肺臓炎(aspiration pneumonitis)」と言われ、「誤嚥性肺炎(aspiration pneumonia)」とは区別されています。誤嚥性肺炎の主なメカニズムは、食べたものが直接肺に入るのでは無く、主に夜間、安静臥位で人が寝ている時に嚥下反射が低下して、口腔内の常在菌や細かい食べかすが少しずつ気道の方に落ちていく「不顕性誤嚥(micro-aspiration)」だったのです。これは今ではよく知られていますが、それを明らかにしたのは東北大老年内科のチームです。



誤嚥性肺炎の治療は長らく「絶食、点滴、抗生剤」でした。いや、今でもそう言う治療が行われています。しかし上に述べたように食事が直接肺に入るのでは無く、嚥下反射が低下する夜間睡眠時に口腔内の雑菌や食物残渣が少しずつ気道に落ちていって肺炎を起こすのであれば、「絶食にする意味はあるのか?」という疑問が生じます。そして最近では、絶食にしてもしなくても誤嚥性肺炎の治癒率は変わらないというデータが出てきました。絶食にしても夜間の不顕性誤嚥は防げないのです。



では原因となる嚥下反射の低下を改善させる方法はあるのか?いくつかその方法が知られています。これらも全て東北大学老年内科が発見したことですが、降圧剤のACE阻害剤。これは従来副作用として空咳を起こすことが知られていましたが、この機序がそのまま嚥下反射を活性化することが確かめられました。もちろんもともと咳を起こすことは知られていましたので、咳反射も改善します。もう一つは私が発見した半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)。この漢方薬は紀元2世紀に書かれた金匱要略(きんきようりゃく)という本に「女性が喉に炙った肉の塊が詰まったように感じる時は半夏厚朴湯を使う」という謎めいた記載がある方剤ですが、「詰まったように感じる」時ではなく「実際に喉にものが痞える時、すなわち嚥下反射が低下している時に使ったらどうなるのか」を調べてみたらなんと明らかに嚥下反射を改善させたのです。その後この漢方薬は咳反射も改善させ、その結果実際に要介護老人の肺炎を減らすことも実証されました。つい最近私とは別のグループが「プラセボ対照二重盲検ランダム化比較臨床試験」という厳密な方法で私が発表したこれらのデータを検証し、確かに間違いないという事が示されました。



そうではあるのですが、これらの薬の効果も限定的です。こうした薬剤は確かに誤嚥性肺炎のリスクを減らしますが、0にするわけではありません。こうした薬剤を使っても、要介護高齢者はやはり一定の割合で誤嚥性肺炎を起こし、それをくり返す度に全身状態は悪くなり、抗生剤を使えば使うほど耐性菌が増えて次第に打つ手がなくなっていきます。



最近では結局またオスラー博士の「肺炎は老人の友」に認識が戻りつつあるように感じます。どうにかして誤嚥を改善し肺炎を減らすよう努力はするものの、最終的にはどうすることも出来なくなる。「不顕性誤嚥(micro-aspiration)」を止めることが出来なくなるのです。そうなった時の誤嚥性肺炎はそれ自体が寿命である、と最近は考えられるようになりました。意味のない絶食などせず、点滴も抗生剤もしないで、寿命に達した人を静かに看取るようにしてこう言う患者を扱うと、肺炎なのに本人はほとんど苦しまず、まさに天命が尽きた人として静かに亡くなることを、私も度々経験しました。人智には限りがあるものです。最初の内はやれACE阻害剤だ、半夏厚朴湯だとやっていても、老いが進行するとともにもう何をしても不顕性誤嚥が止められなくなった時。その時は寿命と判断して肺炎の治療をせず見守ると、まさに寿命を迎えた人がそうである通り人は静かに亡くなるのです。これが今一番新しい誤嚥性肺炎に対する向き合い方です。



今日は要介護老人につきものの誤嚥性肺炎について一通りお話をしました。
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