生まれを問うな、行いを問え

古代仏典には、「生まれによってバラモンとなるのではない。行いによってバラモンとなる」とか、「生まれを問うな、行いを問え」という言葉が繰り返し出てきます。



今これを言うのは、簡単です。ああ、そうだよねですみます。しかし当時の北インドアーリア人社会に於いてこれを口にするのは、革命的でした。命が掛かっていたと言って良い。今で言えば「反社会勢力」です。テロリストかも知れません。何しろ、当時のバラモン政教一致の社会の絶対原則に挑戦したからです。バラモンの子はバラモン、クシャトリアの子はクシャトリア、バイシャの子はバイシャ、シュードラはどんなに善人でもシュードラ、ハリジャンの子は未来永劫何代ハリジャンという社会に、真っ向から戦いを挑んだのです。



ブッダの弟子に、ドブ掃除人がいました。ドブ掃除人はハリジャンです。不可触選民という奴です。しかしブッダは構わず弟子に取り、彼の行いは悟りに値するとして悟った人にしました。ブッダは革命的な人でした。その為何度も世俗社会と悶着を起こしています。



「生まれによってバラモンとなるのではない。行いによってバラモンとなる。生まれを問うな、行いを問え」は、現代においてはそれほど注目されませんが、ブッダが命をかけて説いた言葉として、もっと尊重されるべきだと私は考えます。




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