心と身体

「その人個人というものは無い」と主張する極端な仏教徒がいます。



私の所に、酷く心配性なおばさんがやってきます。まあおばあさんとおばさんの中間ぐらいの人だけど。その人は、毎回色々な身体の症状を訴えます。例えば頭痛、肩こり、めまい、ふるえ、etc, etc。


もし身体だけあってその人、個人というものがいないなら、私はその人に鎮痛剤、めまいの薬、ふるえの薬、その他その他を出します。十数個症状があるから十数個の薬を出しましょうか。


それでその人はどうなるかというと、多分薬物相互作用で具合が悪くなって担ぎ込まれます。決してよくなったりはしません。その人が訴えるのは多種多様な身体症状ですが、それを引き起こしているのは身体ではなく「その人」です。私はその人の症状一つ一つに薬を出すのではなく、「その人本人」を診て、薬ではなくむしろ言葉と態度で、その人を癒やしていくしかありません。「その人個人」を診なければその人は決してよくならないと思います。



その人は要するに「その人本人」が「その人の身体」を制御出来なくなってしまった状態なのです。その人本人がないわけじゃありません。しかしその人は自分の身体を制御出来ないのです。私はその人本人の心を落ち着けて、その人がその人の身体を自ら制御出来るようになるまで、じっと待つだけです。



その人の「心配性」は多分どうやっても治らないと思います。それはその人自身そのものですから。いわば個性ですから、治せません。しかし私はその人が自分の身体を制御出来るようになるまで、毎回包容的な態度で接して、待っていれば良いと思っています。


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