岩内町郷土館お宝・珍品展パート7 ~昭和46年(1971)~公開展示(第5回)
岩内町郷土館開館50周年を記念した、本年度第一回企画展「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~」は、臨時休館により会期短縮となりましたが、この度こちらのページで公開展示をいたします。まずは50年前の岩内町の様子から。
『広報いわない』昭和46年6月号より。「北洋のサケ、マス漁に出漁する第18さち丸、第25さち丸、第5竜宝丸の3隻が、大漁旗をなびかせ5月10日、5色のテープ家族の声援を受け、函館に向けて出港しました」
北洋漁業の最盛期、勇壮な船出風景です。
同じく、広報いわない46年6月号より。「北海道食糧缶詰会社が、同社の主力工場として、岩内港中央ふ頭埋め立て地に、缶詰工場と冷凍工場を建設しておりましたが、このほど完成しました」
公民館(現在の万代旅館向かい付近にありました)にて毎年行われていた「就職する少年を励ます会」。岩内の学校を卒業後、社会へ出てゆく若者たちを、町ではこのように応援しました。
公民館で開催された、原子力発電のパネル展です。昭和44年、岩内町では原発建設協力についての覚書が交わされます。しかし昭和45年、漁協総代会にて絶対反対決議。昭和47年、岩内町議会にて建設反対の決議。昭和48年には岩内町は44年の覚書の凍結を表明しました。その最中での原子力PR展。
昭和51年には、岩内町議会多数決にて「建設賛成」の決議が出されました。山あり谷あり紆余曲折の末です。
昭和46年、漁協による原発建設反対運動。
こちらは、旧岩内西小学校校庭で行われた「自転車安全教室」。自動車がどんどん増えたこの時代は、交通事故も多く発生しました。当時は交通安全を強調するイベントが、たくさん行われています。
駅前通り交差点の子供たち。
幼稚園の運動会や郷土館の写生会。子供の数が多いですね!
雷電のバンガロー村でキャンプの様子。
給食時間の子供たち。
大浜海岸の遠足風景。
鳴神の滝。
50年前の子供たちの笑顔です。どの時代でも、子どもの笑顔は最強です。見ると元気をもらえますね。
これらの写真は、当時の岩内町役場の広報誌担当の方が撮影された、広報用の写真です。数多くのデータが郷土館に納められています。
おそらく当時撮影された方は、子どもたちの笑顔の写真を50年後にまた使われるとは、思ってもみなかったでしょう(笑)。ですが、この写真こそが、この当時の岩内を語る一番のものであると思います。「子どもが健康で笑っていられる町である」ということは、豊かで幸福な町であるということの証です。
そしていつも思うことがひとつ。今の世代の我々は、子供たちが目一杯笑っている写真を、50年後の未来に残せているでしょうか。
第6回へと続きます~。