岩内町郷土館お宝・珍品展パート7 ~昭和46年(1971)~公開展示(最終回)
岩内町郷土館開館50周年記念「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年~」は、6月13日(日)までの開催としておりましたが、臨時休館となり会期が短縮となりました。今回その主な内容を公開展示として連載して参りましたが、いよいよ最終回となりました。
タイトルの写真は、郷土館初代館長の佐藤彌十郎氏(左)と、石山漁業の石山栄作氏です。長年共に戦ってきた老戦士のお二人の姿が、とても印象深い一枚です。
石山栄作氏は、岩内町の石山漁業経営者。昭和時代他に先駆けて、岩内から遙々遠洋漁業に乗り出し、北洋漁業が戦後に再開される頃には、岩内だけにはおさまらず「北海道に石山あり」と謳われ、北海道遠洋漁業生産組合長を務めるなど、北海道漁業における重鎮でありました。大正時代初期より佐藤彌十郎氏と親交があり、郷土館建設の時も協力者であり、佐藤氏が亡くなるまで、60年にわたる親交がありました。
お互いに老年を迎えた頃、昭和45年に、佐藤氏から石山氏へ送った手紙が残っています。ちょっと風変わりな内容ですが、最初に江戸時代の禅僧、仙厓和尚の歌をひいています。
「老人六歌仙
仙厓和尚
一、 しわがよるほくろが出ける
腰曲がる 頭ははげる ひげ白くなる
二、 手は振るう 足はよろつく
歯は抜ける 耳はきこえず 目はうとくなる
三、 身に添うは 頭巾襟巻
杖眼鏡 たんぽ(湯婆)
おんしゃく(温石)しびん 孫の手(麻姑の手)
四、 聞きたがる 死にともながる
淋しがる 心は曲がる 欲深くなる
五、 くどくなる 気短になる 愚痴になる
出しやばりたがる 世話焼きたがる
六、 又しても 同じ話に子を誉める
達者自慢に 人はいやがる
仙厓の老年者を戒める文が書いてあったから
お目にかけます
仙厓は百二十年も前に死んだんだが、
何時も老人とは同じものなんですね
一月十▢
石山大兄 小生少しづつ毎日よくなっております」
いずれ老いたる身になるのは万人共通のさだめですが、自戒を込めてこの歌を引用したのでしょうか。佐藤彌十郎氏は晩年、体の不調を押しながらも、『岩内町史』の編纂発行と郷土館建設という二つの大事業を成し遂げられました。その後、岩内町名誉町民の称号を受けられ、北海道より文化奨励賞も受賞されています。
佐藤彌十郎氏と石山栄作氏の二人が写っている写真が、戦前のこの時代にもありました。昭和5年、御崎地区に軍人分会堂(軍人会館)が落成した時に撮影されたものです。前列中央に座っている、眼鏡をかけた軍服の人が、当時40歳、帝国在郷軍人会岩内町分会長であった佐藤彌十郎氏、その左隣が副会長であった石山栄作氏です。
今回、お宝・珍品展で展示したこの時計は、この軍人会館に開館記念として寄贈されたものです。今年4月、収蔵室から下ろしてきて、台に設置したとたん、チクタク動き始めたのでビックリしました! 90年前の時計ですよ! 中の機械はきっとまだ生きているのでしょう。やがて数日後には止まってしまいましたが、再度ネジを巻く勇気がありません(笑)。
軍人分会堂の建設の経緯と、開館記念として贈呈された、この時計の由来です。終戦後、軍事色の強い「軍人分会堂」は「公会堂」と名前を変えられ、当時の軍人が寄贈したこの時計も、一時は寄贈者に返還されましたが、歴史的意義の大きなものとして、再び岩内町に戻り郷土館に収蔵されました。
平成17年に発行された、郷土館の館報「岩内町郷土館友の会会報」です。佐藤彌十郎初代館長の亡き後、ご長男の佐藤真一郎さんの書かれた回顧録が掲載されました。
「父は郷土館は単に物を並べるだけのものではなくて、岩内の未来を考える場にしたいというのが基本的な考えであった。館内で見合いをした人がいるという話を聞き、『そうゆう利用の仕方もあるか』と言って大喜びしたという」
そういえば、どの時代のパンフレットにも必ず表紙に書かれているのがこの言葉です。
「郷土館は単に祖先の文化を伝承する場だけでなく、現在を通じて未来を創造する思索の場である」
時代がどのように変わろうとも、一貫してこの姿勢は変わらない。それがこの岩内町郷土館です。一番初めに掲げられる言葉が、もっとも高い理想であればこそ、長年に亘り在り続け、これからも変わらず在り続けていけるのだと思います。創始した先人と、常に受け継がれてきた多くの先人に、改めて感謝の念が湧きおこります。
ということで、企画展のご挨拶で用意した一枚を最後に。
お伝えしたかったのはつまり…ありがとうございます。これからもよろしくおねがいします!(#^^#)
(終)
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