何はともあれ、わたしたちこの列島で(災害を含む)自然とともに生きていく
能登半島の大地震で被害に遭われた皆様、心からお見舞い申し上げます。1日も早い復興と皆様の日常生活の回復をお祈りいたしております。
この列島で営みを続けていく以上、「私には起こらない」という確証はない
1月に能登半島を中心に地震災害が起きた。能登半島の地震は起きることがある程度予想されていたにも関わらず、
という。
しかし、新聞が言うとおり、伝える側の問題だけなのだろうか?
私たちの変化
私たちは、1995年の阪神淡路大震災でここまで科学技術が発展して、国家が強くなっても人は地震災害の前には無力、対策をどこまでやってもし尽くすことはできないと言うことを思い知り、東日本大震災からにおいて、それまで信頼、あるいは無関心だった原子力の科学技術がある想定値の中での安全性だけで、自然が想定値を乗り越えてしまった結果、目も当てられない被害を生んでしまったことを経験した。そして、今現在進行形でまだまだ苦しんでいる。
発生頻度、確率、希釈率、さまざまなスケールは人間の問題で設定あるいは歪められてしまう。産業の推進役とブレーキ役が癒着していたことで、規定値が知らないところで甘くなっていたことは、「規制役」と「推進役」が同じ人格ではダメで、それぞれの目的をお互いに尊重しなければ安全は守れないことを知った。
さまざまな地震災害、水害を経験して、社会に考え方の変化が生まれているような気がしている。社会は忘れっぽいのが玉に瑕だが、しかし災害が起きないことを前提として暮らしていくことは、これだけの発生頻度を経験するともう難しい。私たちはそのような変化の中にあるのではないだろうか。
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日本の自然災害とメディアの歴史
日本のテレビ放送は1953年開始し、世帯普及率が90%に達したのは1964年。前々回の東京オリンピックの年だ。
一方、日本の自然災害で、特異的に大きかった伊勢湾台風と阪神淡路大震災の間1960〜1994年は、自然災害の安定期ともいえ、1995年の阪神淡路大震災は、テレビ放送が普及して初めて生中継された大規模な震災被害であったのだ。
自然災害とはあまり縁がないテレビメディアが朝のニューステレビ放送で高架橋が落橋し、生田区や東灘区の商店街が燃える様子が放映された初めてのことだった。同様に大津波がクルマや人、街、船を飲み込むのを初めて中継したのが東日本大震災である。
たった一回の報道を経験しただけで、私たちはまだこの報道に慣れているとは言えない。PTSDを誘発すると言うことで地上波ではもう震災の津波の映像をあまり見る機会もなくなってしまったぐらい、社会がこの映像メディアとの付き合い方に混乱している。
元々、電波法で規制されるテレビや記者クラブで情報の融通がされる新聞、そして広告収入などでクライアントとの関係を重要視する代理店などこの安定期に成長したメディアの仕組みは権力との関係が深く、権力の意向に敏感だった。
権力側が社会に対して真実を覆い隠してきたこと、約束してきたことが自然災害で覆されたことで、権力発進の情報との付き合い方を考え直さざるを得なくなった。それを助長させたのが、SNSや動画配信メディアなどのインターネットメディアであり、その本丸が震災報道だった。
そして冒頭のメディア報道。対策を行う地元自治体に対する責任追及である。
確かにタイミングは悪かった。南海トラフ地震対策にお金がたくさん投じられているのに対して、能登半島は切迫度が高いにも関わらず、お金が回っていなかったこともあるのだろう。
しかし、起きてしまったタイミングを誰が非難できよう。そして、能登半島ではずーっと地震が起きており、その原因に流体が関係すると報道され続けてきた。
なので、情報は発信されていた。ただ、権力側からではなかっただけだ。
私たちにとって権力側の情報に触れる機会に対して過大に捉え、それ以外の情報を過小評価してしまう。メディアとの関係はつまり、権威者を私たちがどう捉えているかの写し鏡なってはいないか?権威者の言葉に過度に責任を持たせ、権威者の言葉しか信じない、そのようなメディアとの付き合い方のクセが見えてくる。
情報との付き合い方
メディアは、権力をチェックする機関であるから、権力側の不作為を探す。
権力側の不作為として、推進側が規制側と結託して、規制を緩くすることはあってはならない。これらの癒着はチェックが必要だ。
ただ、不作為を探し、権力側に襟を正してもらったとして、自然災害を抜本的に無くなることはない。
誰もが「こうあるべき」なんていう答えを持っているわけではなく、私たちは、自然災害を前に他責的になることで得ることはほとんど何もない。
それより、私たち権力側ではない、一般の生活者であり市民は、これらの自然災害と共に生きていくことを自らの意思としてどこかで腹をくくる必要があるのではないだろうか?
脱他責的自然災害観
世界中を探したって、こんなにすみやすく、こんなに私たちの文化と結合した風土をもつ列島はない。
納税をするのが嫌でドバイに住んだりするYOUTUBERとかそう言う人もいるでしょうけども、だからと言って他の国や風土がそんなに優れていると言えるのだろうか。
そもそも、自然災害によってこんなにコミュニティの結束が強いという特徴があり、太平洋沿岸の温暖で多雨の気候風土で生まれた自然観や風土観がこの国の文化を作ってきた。
その中で、水や水産などの資源の分配において、あるいは災害復興という面で権威は自然と大きくつながっていたりと、父性的な権力構造を生んできたけど、それもまたこの国の文化であるし、これがこの国の成長を阻んでいるのは明確で、これからいくらでも脱構築していくことができよう。
そのためには、まず他責的な自然災害観を改めて、自らができることに目を向ける必要がある。
水災害なら、広域避難を事前に準備することなどもできる。
例えば、江戸川区役所は、センセーショナルな災害対策を発表した。
江戸川区は、
浸水すると2週間以上浸水期間が続くと想定されている江戸川区では、例えマンションの上層階に住んでいたとしても、すみ続けることは困難である。
担当者は、
そしてその自らの命を守る行動こそ、「広域避難」で、親戚の家に身を寄せることや、あらかじめ疎開先を用意しておくなどが対策になろう。
それは、誰かが用意してくれるものではなく、自らが行わなければならない行動なのだ。
他にも、国土交通省は「流域治水」という言葉で、河川管理者が水災害から国民を守ることができる限界を改めて表明し、流域全体で水災害に対応していくという新しいコンセプトを2021年に発表した。
私も流域治水をどのように社会とともに推進していくソーシャルキャンペーンにするべきかという視点で、ミズベリング的流域治水ソーシャルデザインの取りまとめに関わった。
これらも、変化する私たちの自然災害観の中の一つの事象ではないかと考えられる。
正常化バイアスとホットハンドの誤謬を超えて
行動経済学では、ホットハンドの誤謬という言葉がよく知られている。ある事象が連続して起こると、次も同じことが起こるのではないかと思い込んでしまう認知のクセのことである。
バスケットボールの例えで、3回連続シュートを決めると4回目も起こるに違いないと思ってしまうこと(シュートを決める熱い手=ホットハンド)から生まれた言葉である。
あるいは、自然災害で認知の問題でよく言われるのが正常化バイアスという言葉である。
私たちは思い込みや認知のバイアスがある。人間である以上仕方がない。だけど自然災害が自分だけには起こらないと思い込んでしまうことは、自然災害に対する自らの主体性を奪ってしまう。
めんどくさいと思ったり、主体性を奪うあらゆる事象に個人としても社会としてもチャレンジいていく、そんな時代の突入を予感している。
何より、何はともあれ、わたしたちこの列島で(災害を含む)自然とともに生きていくのだから。