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【ショート小説】「まだ予定が分からないので分かったら連絡しますね」


「まだ予定が分からないので分かったら連絡しますね」



オリンピックの季節がやってきた。
日本人選手がメダルを獲るたび、ネットが盛り上がるのを見ながら、今年も夏が終わることを知った。


「去年より暑くなってない?」


毎年夏になるとそんな会話をしている気がする。
いつも暑いことに変わりはないのに、今年が一番暑いと感じてしまうのはなぜだろう。


人間は忘れることが出来る生き物だから、嫌なことや辛いことも時間が経てば薄れていく。
そして去年のとんでもない暑さも冬の木枯らしに吹かれると忘れてしまうのだろう。





ただ君と出会った夏は、異常なほど暑かった。








「よく初対面の人と話す時、天気の話とかするじゃないですか」

陽射しがさんさんと降り注ぐ夏の昼下がり、大学近くの並木道を二人で歩きながら、次の同じ講義がある教室まで向かっていた。白い絹の生地に花柄模様が描かれたタオルで汗を拭いながら君は言った。

「あれって、気まずくならないように空が話題を提供してくれてるような気がするんですよ」

文学部2回生の彼女はどこか僕にはない不思議な感性を持っていた。

彼女に言わせれば、例えば雨の話をする時、雨が降ってきたから話をするのではなく、会話のきっかけになるように空が雨を降らしてくれているらしい。


「それがきっかけで会話が弾めばきっと雨は止むと思うんです」


「もしかしたら、通り雨とかはそうなのかもしれないね」


手に水が弾ける感触がした。
そしてその感触はすぐに増え、瞬く間にザーっと音を立てて降り出した。

「え、うそ、さっきまで晴れてたのに」

「とりあえず走ろう」

僕たちは突然の通り雨に驚きながら小走りで校内に入った。
君は花柄のハンカチで髪についた水滴を拭っていた。

「すごい通り雨だったね」

「もしかして、先輩と私が気まずい雰囲気だと思って、天気が気を遣ったんじゃ..」

「そうだとしたらお節介な雨だよ」

「でも雨の中走るのってなんだか楽しいですね」

「分からなくもないかな」

「子どもの時とか雨が降ったらわざわざ外に濡れに行きませんでした?」

「僕は濡れるのが嫌いだから、家から出なかったな。っていうかヤンチャすぎ」

「ヤンチャじゃなくて元気なんですよ」

濡れた服を払いながら、教室にたどり着く。
僕たちが教室に入る頃にはもう通り雨は過ぎ去っていた。







茶道部の練習終わりの夕暮れ。蝉時雨で満たされた並木道を駅の方まで部員数人で歩いていた。

夏休みも中盤に差し掛かった8月の終わり、今日は暑気払いも兼ねてみんなでビアガーデンに行くことになっていた。

代々木にある中層ビルの屋上で部員数人が互いに向かい合うように座る。
きめ細やかな泡に覆われた黄金色の酒。
それぞれがアルコールに支配されていく。

「くぅー、お茶飲んだ後のビールも格別やな」

大阪から下宿してきた同期の稲村は大学に入ってからもう4人目の彼女がいるという。

好色な稲村がいれば、例え台風がきていたとしても恋愛の話をするだろう。

隣の席に座る君のことを気づかれないように見ては、この昂ぶる気持ちが君のせいかビールのせいかあるいはその両方か、そんなことを考えながら、向かいに座る稲村の話を聞いていた。


「由美ちゃんって彼氏おんの?」

「いないですよ」

「彼氏欲しいとか思わんの?」

「この人だ、って思う人がいればお付き合いしてみたいですね」

「そうなんやー。どんなんがタイプなん?」

「タイプ、ですか」

そう言って顎に手を当てて考え込む君は、まるで難事件を推理する探偵のようだった。
数秒の沈黙。周りの声はかき消され、一人固唾を飲む音が鳴った。

「あんまりないですね」

期待していた答えではなかったが、どこか安堵する僕がいた。

「なるほどね、じゃあさ、金持ちやけどブサイクか、イケメンやけど貧乏かやったらどっちがいい?」

稲村はなんとしてでも君の恋愛観を知りたいらしい。というより、男女の話以外出来ないのだろう。

君はまた探偵のように考え込んでいたが、今回はあっさりと事件が解決したようだった。

「どっちも選べないですね」

「どっちか選ぶとしたら!」

稲村は食い下がる。

「んー、だってお金は普通に暮らせる分だけあればいいですし、一緒に過ごしてて価値観とか合って楽しい方がいいですし..」

心臓の鼓動が高鳴る。

「私、お金や見た目よりも中身の方が大事だと思うんです。だから貧乏でもブサイクでも楽しかったらどちらでもいいですね」

「由美ちゃんってなんか珍しいというか固いというか」

「たまに言われるんですけど、そうですかね。そんなことより先輩、彼女さんとは上手くいってるんですか?」

「いやそれが最近連絡してなくてさー..」

そこからはあまり覚えていない。
ただ頭の中で君の言葉が何度も反芻していた。




ー私、お金や見た目よりも中身の方が大事だと思うんです。






そう言う君の横顔がたまらなく可愛いかった。





夏休みも終わる9月。蝉が鈴虫にバトンタッチをした頃、僕は君と話すことが出来なくなっていた。
恋愛の話しか出来ない稲村を内心馬鹿にしていた僕は、もうそんな余裕もなくなっていた。

君を目の前にすると頭も口も回らなくなっていた。
ロング缶を三本飲み切ったあたり、とうとう酔いが回ってきたところで事前に考えていたメッセージを送った。

いつしかアルコールが背中を押してくれなければ何も出来ない体になっていた。

「由美ちゃん!9月とか空いてたらご飯でも行かない?笑」

語尾に"笑"をつけたからと言って実際に笑ってるわけではない。
むしろ数学の証明問題を解いている時と同じような険しい顔をしている。
そういえば僕は数学が大の苦手だった。

メッセージを送ってから何度も後悔をした。
気持ち悪かったか。面倒に思われたか。
その度自分に言い聞かせた。
いつか伝えなければ、自分はずっと前に進めないままだと。
そんな繰り返しにも疲れて、それでもまだ返事は来なかった。

ロング缶は4本目も空にした。

日が変わってまもなく、携帯に通知が来た。
君から一件のメッセージ。

震える手が自分の体の一部とは思えなかった。これは酒のせいではない。
息を呑んでメッセージを開く。


「まだ予定が分からないので分かったら連絡しますね」


どっちともとれない返事だった。
言葉を濁して断るタイミングを探しているのだろうか。
それとも本当に予定が分からないだけなのだろうか。

今思えば、好意があればもっと明るく返信していただろうと思うが、ただ君から返信が来たことに安堵し、返事をした後、意識を失う様に眠った。
ただ君を信じて。






「ありがとう、待ってる」










またオリンピックの時期がやってきた。

今年の夏はとても暑い。

去年より暑くなっている。

君は何をしてるだろうか。

元気にやってるだろうか。

そういえば今年の台風はすごかったな。

雨もよく降ったな。


蒸し暑く、少し寂しい夏の夜。


アルコール片手に夜を歩きながら。


あれから四年。


君に聞きたいことは一つ。






「まだ予定分かりませんか」

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