父が亡くなりました。


2021年6月2日午前10時32分、コロナの重症化による肺炎で父が他界しました。享年63歳でした。

気持ちを整理するためにここに記しておきます。




死ぬ直前の病室。

心拍数と肺の酸素濃度を測る機械音。

父の手を握り締めながら、まだ死ぬには早いよ、ゆっくり休んでくれ、また一緒にお酒飲もうよ、ありがとう、お世話になりました、なんで死ぬの、そんなことを頭の中で繰り返していました。

そして、モニターに映る、赤く点滅した「0」の文字。
まるで何かの試合終了を知らせる甲高い機械音。

人の一生の終わりを告げる音。

医師から告げられる死亡時間とご臨終の言葉。

死亡届に書かれる父の名前。

早すぎる葬儀屋の到着。

葬儀の費用や通夜と葬式の日取り。

全て目の前を淡々と過ぎていってどれも現実とは思えませんでした。


今年の4月11日に父は発熱があり、それからPCR検査で陽性反応が出ました。
そこから2ヶ月近く入院しておりましたが、最後は喉を切開し、肺に直接酸素を送りこんでいました。
起きていると呼吸が出来ず苦しいため、眠る薬を投与していたので僕が面会した時にはもう話すことは出来ませんでした。


まさか身近な人が、ましてや唯一話す家族である父がコロナで亡くなるとは思っていませんでした。

死ぬには早すぎる。
改めて人の死を実感しました。
今父と2人で住んでいた自宅にいますが、パソコンをいじっている父、酒を飲んでいる父、元気だった父の姿が見えると同時に視界が涙でぼやけていきます。

少しでも父のことを考えると心が空っぽになります。
家族にそこまで愛情ないけれど、なかったけれどここまでこたえるんだ。



父は見栄っ張りで、自分勝手な部分もありましたが、今となってはそういうところも含めて好きでした。

僕が小学生の頃、父がいきなり

「サッカーをしよう」

と僕を駐車場に連れて行きました。

そしてボールを蹴った瞬間、父はぎっくり腰になり、

「サッカーをやめよう」

と言って病院に行きました。

僕が父から受け取ったパスを返すことはありませんでした。


また、よく父と銭湯に行っていたのですが、ある時、父の陰毛に何かついてるのを発見し、それを指摘すると、誰が噛んだか分からないメンソールガムが付いていました。

父は慌てて洗いましたが、それが一体どうやってついたガムだったのか、今でも分かっていません。

父はすごく毛量を気にする人でした。
海外から毛が生える薬を輸入するほどです。

会うたび会うたび

「髪の毛多い?」

と聞いてくるので、毎回

「歳のわりに多いと思うよ」

と会話するのが日常になっていました。

僕が看護婦さんに

「髪多いと思いますか?」

と聞いて

「多いと思いますよ」と言ってくれたの聞こえてましたか?

女性にあんまり言われたことないでしょ?


少しズレていると思う部分もありました。

僕が誕生日プレゼントに腰痛用のクロックスをあげたのですが、

「それ持ってるからええわ」

と断り、悲しい気持ちになったこともあります。

二足あってもええやん。



でも死んだら、そんな事もよくなります。
全然いいんです。



僕の家族は仲が悪く、昨日病院で集まったのも実に10年以上ぶりでした。

父は二年ほど前に癌になり、やっと治った矢先のことでした。



最後に父を看取ることが出来たのが唯一の救いです。


昨日病院から電話があった時。

「今日か明日かと思います」

ちょうどお昼時でした。

以前おじいちゃんが亡くなったことを連絡してくれた友人がいて、その友人に父が危篤であることを伝えました。

そしたら、

「仕事早く帰れるか相談したほうがいい」

と言われました。

僕1人だときっと相談してなかったと思います。
そういうの言いにくい性分だったから。

それで先輩に相談したら、

「今俺が2人分やるから帰ってそばにいてあげろ」と。

それから2時間くらいして休みの人が代わりに出てきてくれました。

代わってくれた人に電話したらこう言ってくれました。

「こっちのことは全く気にしないで、また働ける時に働いたらええんやから、今はそばにいてあげて」と。

その暖かい言葉に涙が溢れてきました。

相談した方がいいと言ってくれたともだち

帰ってそばにいろと言ってくれた先輩

働ける時に働けばいい、今はそばにいてあげてと、代わってくれた先輩

あなた方のおかげで父の死に目にあうことができました。


本当にありがとうございました。


もし、皆さんがいなければ一生後悔していたと思います。


人の暖かさ、言葉に救われました。



今思うことは、生前父がよく言っていた言葉、

「来世に期待するわ」

来世はもっと幸せであってほしいと思います。

生まれ変わったらふさふさの毛が生えているかな。

新しい家族と仲良く出来るかな。

犬に生まれ変わったならふっさふさの犬種だといいな。

最後の死に様を見ていると、あまりにも不憫で仕方がありません。

話すことも呼吸をする事もできず、今住んでいる家に帰ることが出来なくて、暴れてしまうから手を縛られて、それを思うと辛いです。

まだ父が死んだという実感が湧きません。

父が死んだ。

死んでしまった。



父は大のお酒好きでした。

特に白ワインとレモンサワーを大量に摂取していました。

入院している時、何度か差し入れをしていましたが、ある時お酒を持ってきて欲しいと言われました。

僕は

「退院してから飲みましょう」

と言うと

「楽しみにとっておきます。酒は最高の点滴」

と返ってきました。

もしこうなることが分かっていたなら、看護師さんたちに怒られるのを覚悟で最高の点滴をさせてあげたらよかったと考えたりもします。

それくらいお酒が好きで、唯一の楽しみと言っても過言ではありませんでした。

そして一番悔いていることは、僕がコロナを移したかもしれないということです。

それがきっかけで父が亡くなったのなら、僕が殺してしまったのも同然です。

周りは気にしないように言ってくれますが、心のどこかでその重く、黒い後悔に苛まれます。


父の死んだ顔を見ると、ただ普通に眠っているように見えました。
いつもみたいに普通に起き出す感じがしました。

でも頬を触ってみると、明らかに死んでいると分かりました。

ひんやり冷たかったです。

その瞬間、泣いて、本当に死んだんだと、来世は幸せになってと思うと同時に、早すぎる、なんで、もっと生きてよといろんな感情を行ったり来たりしました。

まさか父がこんなに早く、あっさりと死ぬなんて。
そして、こんなに悲しいなんて。

当たり前だった日々に感謝するとともに、もっと当たり前の日々を送っていたかったです。



父は死んだんだ。


父の部屋を整理していると、昔の写真が出てきました。

日付は1986年9月13日。
友人と肩を組んでキメ顔をしている写真。

あるいは両脇に女性を抱えてキメ顔をしている写真。

家族の集合写真。

楽しそうにサーフィンをしている写真。

誰かの結婚式の飲み会で友達と楽しく笑っている写真。

どれも楽しそうな、若かった父の写真を見て、

最後の自分で息が出来ず、眉間に皺を寄せ、苦しそうに口を開けた顔を思い出すと、悲しみが溢れてしまいます。

こんな笑顔の人があんな苦しそうな顔をして死んだんだ。

こんなキメ顔をしている人があんな苦しそうな顔をして死んだんだ。

また心は空っぽになりました。








矢沢永吉の「もうひとりの俺」。

父がよく歌っていた曲。

そして僕がギターを弾いて父が歌った曲。

それを聞いて、頭が爆発しそうになりました。







みんな誰かの死を乗り越えて生きています。

みんな、すごいです。

僕は今のところ乗り越えれそうにありません。

いずれ乗り越えないといけないのですが、今はぐちゃぐちゃです。







これからどうしよう。
父が好きなレモンサワーを片手に、これを書きながら。

ああどうして。

父は頑張ったから、苦労をしたから、もう休んでもいいんです。

大丈夫、ゆっくりしてください。

でも早いです。
僕はまだ25歳です。
孫を見るまで死なないと言ってましたよね。
どうして死ぬんですか。
もうこの世界のどこにもいないんですか。
もう唐揚げ作ってくれないんですか。
餃子をアテにレモンサワー飲みましょうよ。
もう話せないんですか、声も聞こえないんですか。
起きてくださいよ。
ほら、払ってきた年金ももうすぐもらえますよ。
無駄になっちゃいますよ。
毎週楽しみにしてた癌治療の先生の生配信見てくださいよ。
おっきいいびきかいて僕の眠り邪魔してくださいよ。
酔っ払って呂律回らなくしてくださいよ。
花に水やってくださいよ。
タバコやめなさいと注意してくださいよ。
銭湯行ってサウナで汗かきましょうよ。
電動自転車で九条や難波まで行きましょうよ。
よく分からん海外のなんか兵隊を配置するゲームやりましょうよ。
また麻雀教えてあげますから。
YouTubeいっぱい見て速度制限かかっちゃいましょうよ。
サッカーワールドカップ楽しみでしたよね、酒飲みながら見ましょう。
前教えてくれたニキビに効く薬、あれ効かないっすよ、もっと効くやつ探してください。
僕が貸した小説濡れた手で持つからびしょびしょになって返ってくるんすよね、何も言わなかったですけど、あれ嫌でした。
見舞いの買い出しで僕がイオンに行った時、電話で指示してくださいよ、「惣菜コーナーの後缶詰コーナーに行って」とか言って、あれゲームみたいで楽しかったすよ。
もっといらない服くださいよ。でも全部はいらないすよ。
洗濯もん明日洗濯しときます。
もっかい手料理食べたいす。最終的にマヨネーズかけますけど。
ポケモンGOおもろいわ言ってたけど、Lv.10でやめましたね、まあそれはいいです。

2ヶ月前に癌が治って元気だったじゃないですか。
もうほんとにいないんですか。
さっきまでいたじゃないですか。
あんまりっすよ。こんなの。
ひどいっすよ、早いっすよ。








うわあぁ、色んなことが思い出されるなあ。
夏の蒸し暑い夜、風呂場で足に冷水かけてくれた

IKEAまでランニングした

屋上で洗濯もん干した

銭湯で落ちてる石で遊んだ

兄貴のセーブデータ消した時、「俺のせいにしろ」と言ってくれた

部屋で独自のコースを作ってゴルフした

マリオゴルフもした

ゼルダの伝説も父がやっているのを横で応援してた

ミッキーがスケボーするゲーム絶対おもんないからって言って買ってたけど、意外と面白かった

ベットの横には水を置いておきなさいと言われ、めんどくさいと思ったけど、正直めっちゃ飲んでる

受験に失敗して朝までゲームしてた時、ラーメン食べに行こうと言ってくれた
あの河童ラーメン明日食べに行こうかな
なんばの神座もまた行く
替え玉する





ああ


冷たかったなぁ、変な人だったなぁ、いい人だったなぁ、アホな人だったなぁ、サッカーしてる時はかっこよかったなぁ、

ひどいと思うこともされたけど、喧嘩もしたけど、中学生みたいに翌日には仲直りして、なんだかまあまあ仲のいい友達みたいでしたね


人が1人死ぬってこんなにも影響を与えるんだ。

もっと話聞きたかったなぁ、でもお酒飲んだら何言ってるか分からないし、結局聞いても一緒かぁ

って亡くなってから思ったことだから、もし生きていたらきっとそんなに話してなかったんだろうな。




実感が湧いたり湧かなかったりを繰り返して、時間が経っていくんだろう。


もう大丈夫と思っては、いなくなったことに震えてる。
やばい、ほんと最後に会って話したい。



ほんとに死んでから分かるんだ。



人が死んだら絶対後悔するんだ、きっと。






仏教の考えでは死んでから49日間、この世界に魂が残ってるみたいだけど信じない。
だって体は冷たいし、話出来ないし、そこにいないもん。

僕の父はきっとこの世界にいません。

きっと今ごろ天国で入国審査をしているか、地獄で閻魔様にいじられて怯えているか、それか知らない場所でレモンサワー濃いめ飲んで手が震えてるんですよきっと。

葬式は残された側のエゴなんですよ。

僕はそのエゴ、思いっきり堪能してやりますよ。


そこにいなくてもね。







これを書き終えたら、いよいよ僕はどうすればいいのか、何をしたらいいのか分からなくなってしまう。

書き終えたくない。

今日は父の好きだったレモンサワー濃いめでべろべろに酔っ払ってやる




納骨、四天王寺がいいって言ってたよね、それだけは絶対に守るから

時間が経つにつれてきっと薄れていくんだと思うけど、僕が死ぬまで、気が向いたら、会いに行くよ







これが現実なんだ、父の声が聞こえる










最後に親父へ

結婚出来るか分かりません。

女性とほとんど喋っていないからです。

なので孫の顔見せることできないかもしれませんが、そん時はタバコ供えますので許してください。

まあそん時はそん時で。



それ以外は僕は大丈夫です。

だからゆっくりお酒を飲んで、タバコを吸って、ストレスを溜めず、したいことしてください。





お世話になりました。
ありがとうございました。





ばいばい。


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