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好意を注ぐのは勝手だけれど
今日ネットで流れてきた
『昔読んだ小説に出てきた「好意を注ぐのは勝手だけれど、そちらの都合で注いでおいて、植木の水やりみたいに期待されても困るの」という台詞がずっと心に残ってる。真心や手間をかけた分だけ花開く訳じゃないのが恋愛の悲しくも趣深い所だね。それを楽しめないなら恨みごと言う前に相手を変えた方がいい』
という台詞に心打たれた。
こういう解釈が面白くて深くて好きである。
江國香織さんの「落下する夕方」という作品らしい。
私は、一昨年のこのくらいの寒い季節に、パキラを100円ショップで購入した。
弱っていてどうにかしてあげたい子だった。
私は当時、観葉植物の知識がなく、大事に大事に、毎日水を注いでは可愛がったけれど、結果ダメにしてしまった。
そして最後は見て見ぬ振りをした。
腐ったような感じになって、もうダメになった小さなパキラを見て、すごく悲しくて切なくなったのを覚えている。
今考えると勝手に水と愛を溢れんばかりに注いで、元気になるという見返りがなかったことに悲しんでいたのかもしれない。
可愛がれば、どうにかなるって思っていた。
植物も恋愛も仕事も猫の扱いも、好きで好きで死ぬほど愛を注ぎまくっても、全て上手くいくわけじゃない。
もちろん愛は大事だと思うけれど、与え方がある。
植物にも水の与え方があるし、猫だって四六時中構っては猫が嫌がってしまうので、適度に可愛がる必要がある。恋愛だって、仕事だって。
と、いうことが頭では分かっていたけれど、心ではまだ納得できていなかった自分がいた。
しかし冒頭の部分を目にして、途端に腑に落ちた。
そんでもってそのポストについた
『例えば、一人でいるのが好きな人を「本当は寂しいに違いない」と食事や酒の席に強引に連れて行く人がいて、サボテンに水をジャバジャバやって枯らしてしまうのに似ていると思った。』
というリプライが最高によかった。
自分で自分に水やりしまーす(笑)