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イスタンブールからアテネへ
イスタンブール空港で一晩を過ごした。
最後に見た、偶然通りかかった駐車場から見えるイスタンブールの景色は、偶然では片付けることのできない神様からのご褒美だった。
周囲は地元のひとしかおらず、皆それぞれ、犬と戯れながら、ビールとナッツを食べながら、恋人と手を組みながら。思い思いに夕日に染まる別世界を見つめていた。
誰もなんの一言も交わさずに。
どんな観光マップにも載っていない、とっておきの場所だった。
この旅で何回も夕日を見た。一番最初はピラミッドの狭間に降りていく真円の光だった。
二度目がイスタンブールだ。前回がまるでビーチリゾートにでもいるかのような心に元気をくれる光なら、ここは、疲れた人たちの心を冷ますような、紫からオレンジの間の全色が織りなす子守唄だ。
イスタンブールに滞在した期間は短かったが、人が集まり、奪い合うような場所の持つ豊かさや穏やかさ、満たされるような感覚は、こういう根源的なところから来るのだなと、肌で感じざるを得なかった。
そんなことを思い出しながら、深夜12時、到着した空港のロビーで、高い天井を見つめながら、いったいアテネはどんなところなのだろうと、徐々にその余韻をクッションに、次のイメージをはっきりとさせようとしていた。
イスタンブール空港はさみしくなかった。新しく、広く、施設も充実しているし、自分と同じような空港泊をせざるを得ないような人に向けた設備も少なくなかった。
今回の旅で、初めての空港泊だったので、ベンチに居座ることになんとなく引け目や恐怖を感じて、ロビーが見渡せる中二階のフードコートのカウンターで、フライトまで待つことにした。
ジェットコースターのような毎日だ。エジプトで感じた、自分の知らないアラブの世界の感覚、それよりももっと境目にあるイスタンブールの雰囲気。それらは全く異なるものだった。
ただ一つ共通しているのは、アザーンはただただ同じ時間に鳴り響き、そのとき、初めてああそうだ、自分はこのイスラム世界にいるんだった、と頭の上から抜けて飛んでいくのを、足をもたれて引き戻されるような感覚がした。
イスタンブールはまさにその境界線の上にある。いや、うえというよりはややイスラム寄りではあるのだが。
境界線に立ってみると、中からは見えないものも見えてくる。逆も然りだ。イスタンブールからみたカイロは、もうその生き方のサイクルを組み直そうとは見えない。
一方イスタンブールは、しがみつかず、どんどん取り入れては流していくような感覚がある。それはボスポラス海峡の流れとともに、ということなのかもしれない。
ただ変わらないのは、猫はずっと大きな態度でそこにいるということだけだった。
アテネに到着すると、その空気感は一変した。アラブ世界から抜け出したのだ。
やや荒涼として、乾いた丘陵が続く。タクシーの車窓から見た景色は、日本と似た湿った豊かさを孕むトルコの山々とは色を変えていた。
渋滞を抜け、降りた目の前には。
教科書で見たような、大きな岩の上に佇む石柱の神殿。
その位置は、空の天井に届きそうな、まるで浮かんでいるような姿だった。