【観光コラムKITENE~IWAKURA~】「松月」よ永遠に!それでもわたしは名古屋コーチンを推し続ける
1.はじめに
わたしは、愛知県岩倉市で観光まちづくり事業を企画・運営する「NPO法人いわくら観光振興会」で働いています。岩倉市は、愛知県の北西部、西尾張地区にあり、市のほぼ中心を流れる五条川は日本の「さくら名所100選」に選ばれたお花見処で、毎年春に行われる“岩倉桜まつり”が有名です。そんな五条川の桜を追随する岩倉市の特産品が、日本3大地鶏の1つである「名古屋コーチン」。今回は名古屋コーチンを味わえる市内の料理店が、残念ながら閉店するお話です。
2.名古屋コーチンと岩倉市
みなさんは名古屋コーチンを食べた事ありますか?
シンプルに焼いてもおいしいですが、親子丼や「ひきずり」(名古屋コーチンのすき焼き)などが有名ですよね。
「ひきずり」といえば、昨年の春、岩倉市の郷土料理「ひきずり」が、文化庁の“100年フード”に認定されました。
100年フードは、公募の中から、文化庁の認定基準満たしているかの審査を経て、有識者委員会において認定された食文化のことです。3つの部門があり、岩倉市の名古屋コーチンのひきずりは、「近代の100年フード部門 ~明治・大正に生み出された食文化~」として認定されました。
●NPO法人いわくら観光振興会HP/100年フード「名古屋コーチンのひきずり」
https://iwakura-kanko.com/event.php?id=2022_4_28
●文化庁 100年フード「食文化溢れる国・日本」HP
https://foodculture2021.go.jp/#top-news
実は、名古屋コーチンはお肉だけではなく、そのたまごもおいしいんです。
卵殻に白い斑点があり見た目も印象的な名古屋コーチンのたまごは、たまご全体を占める卵黄の割合が多く、深く濃厚なコクのある味わいが特徴です。たまごかけごはんにすれば、粘度が高く、滑らかな舌触りとコクがダイレクトに味わえます。
●いわくらTKGプロジェクト
https://tkg.iwakura-kanko.com/
名古屋コーチンは、正式には「名古屋種(なごやしゅ)」という名前で、秋田県の比内地鶏、鹿児島県の薩摩地鶏と並んで、日本三大地鶏の1つです。
ブロイラーの約3倍の日数をかけじっくりと育て、また、十分に運動をさせることで、鶏肉本来の旨みが凝集され、適度にしまった肉は、コクがあり旨味が強く、「地鶏の王様」と呼ばれています。
名古屋コ-チンは、明治の半ばに、岩倉市のお隣、小牧市出身のサムライ養鶏家、海部兄弟によって、在来の地鶏と中国から輸入された「バフコ-チン」を交配して作出されました。卵をよく産み、お肉も美味しいと評判になり、昭和30年代後半まで全国で広く飼育されました。ところが、昭和30年代後半に外国から経済性に優れた卵用鶏(白色レグホ-ン)と肉用鶏(ブロイラー)の専用種が輸入されるようになると、飼育数が激減してしまいました。しかし、美味しい「かしわ肉」を求める声の高まりとともに、昭和50年代後半から需要が年々増加。今の地位を築くに至ります。
我がまち岩倉市は、湿潤な土地が向いていることから養鶏が盛んでした。また古くから鉄道が発達していたので、出荷に便利な環境だったことも養鶏業を支えた要因として挙げられます。しかし現在は市街化が進み、残念ながら養鶏場はほぼみられなくなってしまいました。
そんな中、昭和60年に岩倉市名古屋コーチン振興組合が発足します。寂れた鶏文化に危機感を抱いた古屋コーチンを扱う市内の業者が立ち上げた組合で、現在は『鳥勝』『関戸養鶏人工孵化場』『松月』『和食にわ』の4事業所で構成されています。
3.「松月」が閉店?控えめに言って死んだ。
ある日、市内の名古屋コーチン料理店「松月」でランチをしていると、おかみさんがこんなことを耳打ちしてきました。
「うち、店閉める事にしたわぁ。」
・・・
うへええええ?!まじかよ!?⚡
わたしはとっさに「もったいない」という言葉しか出てきませんでした。
いやぁ・・・まさか。岩倉市の数少ない観光資源のひとつである名古屋コーチンを支えてきた大きな柱のような存在でしたから、これはもう岩倉市の絶体絶命の危機と言っても、大げさではないかと思います。
岩倉市で名古屋コーチンを食べるなら「松月」で、という方は多いのではないでしょうか?大事な取引先との会食、花見後の宴会、家族の大切な記念日・・・「松月」はお客さんの大切な日を幾度となく彩ってきました。
お店で使う名古屋コーチンは全て、市内にある創業100年の「鳥勝」から仕入れています。平飼いで手間暇かけて育てられ、食べるその日に絞める鮮度抜群の絶品名古屋コーチンを味わうことができます。ひきずりはもちろん、さっぱりとした「松月特製板前ポン酢」、濃厚な味わいの「板前胡麻だれ」2種類のタレ味わう水炊きも定番。名古屋コーチンのうまみが溶け出した出汁を使った〆の雑炊までがセットです。
平日には、ランチで比較的リーズナブルにお店の味を楽しむこともできます。わたしのおすすめは名古屋コーチンの「カツ膳」。水炊きで使用するものと同じ2種類のタレで、肉の部位による食感の違いを楽しみながら名古屋コーチンを味わえます。あぁ、お腹すいてきた~(笑)
料理もさることながら、空間そのものや、おもてなしがとても素晴らしく、自信を持っておすすめできるスポットです。
●松月ホームページ
https://www.shogetsu-iwakura.com/
4.ひいきと言われても「松月」が好き。
仕事柄、色々な飲食店さんとお仕事をさせていただきますが、公私ともにこれほどラブコールを送り続けた店は、「松月」だけかもしれません。
振興会の運営するイベントに参加いただくようお話するのはもちろんですが、プライベートでは、コロナ禍のテイクアウトの応援、市内のパン屋さんとのコラボ提案など、積極的にお店と関わり続けてきました。(といっても、私では微力すぎるんですが…)
自身のSNSでは「松月」での食事を定期的に更新していたので、「ひいき」してない?と人から言われたことも正直あります。しかしそれは、仕事抜きにしても通いたいお店だったという、ただそれだけのことだったんです。
その他にも、ご主人には、振興会が企画するイベントで、料理の先生をやらないか?と約3年間言い続けています。(進行形)
「絶対無理。しゃべれんもん。」と毎回決まって断られるのですが、それを承知で何度もお願いしていたら、
「木村さんはそうやって人を転がしてきたかもしれないけどね、僕は無理なもんは無理なの!」と半分怒られたこともありました。
ただ、わたしがあまりに何度も頼むので、1度だけ、折れて「やってみようかな」と言ってくれたことがありました。ですが、翌朝「やっぱり無理」とLINEが入っていて糠喜びとなったのが、それがまたクセになり・・・(笑)。
わたしが「松月」のご主人に料理の先生をやってほしいとこだわったのは、お人柄やお料理の味ももちろんですが、お仕事1つ1つの丁寧さを感じていたからです。
例えばランチタイム。厳選されたメニューは、いつどれを食べてもブレがなく、毎回最高のクオリティで提供されています。
また、小鉢が付いてくるメニューでは、季節の味が楽しめます。1品1品にかけられた手間暇を感じることができるのが楽しくて、季節ごとに通ってわざわざ同じメニューを注文して小鉢が変わっているかを確認して食べていました。
「松月」もそうですが、ご主人や女将さんが“観光資源”そのものだと確信していました。そうです、人も“観光資源”なんです。閉店はさみしいですし出来ればしてほしくないですが、嫌だと騒ぎ立てても迷惑ですし、こればっかりは変えることができないですから、受け入れるしかないんです。
5.まとめ それでもわたしは名古屋コーチンを推し続ける
小学2年生の時、わたしは海部郡の佐屋町(現在の愛西市)から岩倉市に引っ越してきました。祖父母の家が岩倉市にあったので、馴染みのあるまちではありましたが、よそから来たという不安は多かれ少なかれあったと思います。
人見知りだったわたしの転校先での楽しみのひとつが給食でした。グループで机を向かい合わせにして食事をするので、自分から積極的に会話をしなくても自然と輪に入っておしゃべりができたからです。なので、基本的に給食イコール楽しい思い出なのですが、同時に強く印象に残っているのが、名古屋コーチンの炊き込みごはんが定期的に提供されていたことです。
悪い意味ではないんですが、本当に名古屋コーチンの肉入ってるのか?ってくらい見つからないんですよ、肉が(笑)
あった!と思って箸でつまんでよく見たらお揚げだったりして。
わたしは母子家庭で育ったのこともあり、決して裕福な家庭ではありませんでしたので、名古屋コーチンは未知の食べ物であり、憧れの対象でもありました。給食で食べた炊き込みごはんのおいしさは、今でも忘れられません。
この仕事に就いて、「松月」で名古屋コーチンを食べたとき。
炊き込みごはんを遠慮なくおかわりしていたあの日。
わたしはこの店と名古屋コーチンのファンでいようと決めました。お店が閉店しても「松月」で過ごした時間は、わたしはもちろん、「松月」でお食事をされたたくさんのお客様の中で活き続けると思います。
今までと変わらず、名古屋コーチンを推していくことが、まわりまわって「松月」への恩返しになればいいな、とわたしは考えています。お店がなくなっても名物は存在し続けるんです。
子どものころのわたしに、これから岩倉市で名古屋コーチンを食べる方に、名古屋コーチンってすごいぞ~!って、これからも胸を張ってPRしていきたいと思っています。
この記事を書いた人
木村さや香 NPO法人いわくら観光振興会
人事教育長/イベント企画制作
1986年生まれ。岩倉市在住。1児の母。岩倉市PR大使い~わくんのアテンド"鯉のぼり恋子 "としても活動。「観光資源は自分たちでつくることができる」をコンセプトに、市内の農家や商店、消費者などをつなぐ企画を提案している。