【Life is Baseball】エナジック投手兼任コーチ・西村憲、沖縄の地で奮闘中! 〜回想編〜
毎年、映像の仕事で2月のプロ野球取材に訪れている沖縄。まさか、夏真っ盛りの8月にまで訪れることになるとは、ちょっと前までは考えもつかなかった。
昨年から発足した沖縄の独立球団「琉球ブルーオーシャンズ」を取材していく中で、県内で練習試合の相手となっていたのが沖縄の社会人チーム。彼らの活動にも興味を惹かれた私は、いろいろと調べていくうちに、かつて取材した投手の名前を発見した。
元阪神タイガース投手・西村憲。現在、沖縄の社会人野球チーム「エナジック」の投手兼任コーチを務めている。
2008年。九州産業大学からドラフト4巡目で阪神に入団した西村。2年目の2010年、リリーフとして一軍で65試合に登板。7勝14ホールドとチームのクライマックスシリーズ進出に大きく貢献したほか、外野を守ったことでも話題となった。
しかし翌年、21試合の登板にとどまると、以降は右ひじ手術などもあって、一軍登板が激減。2014年のシーズンオフに戦力外通告を受けることとなった。
私が彼を取材することになったのは2015年。BCリーグの石川ミリオンスターズに入団し、再びNPBの舞台へ戻るべく、北陸の地で自らを磨いていた時だった。
このシーズン、石川MSのリリーフエースとして活躍していた。最終的には26試合登板し、2勝11セーブで防御率はなんと0.00。圧倒的な数字を示し、草薙球場で行われたトライアウトに挑んだが、NPB球団から声がかかることはなかった。
当時、3度ほど行われたインタビュー取材では、張り詰めたような表情を崩さず、発する言葉も慎重に選びながらという感じで、常に緊張感の衣をまとい、なかなか入っていけないような印象を受けていた。
チームの了承を頂き、スタンドから練習を見学。那覇市内から車で1時間ほど北に走ったところにある具志川球場。現在所属するエナジックは午前中、ほぼ連日練習を行う。沖縄の強い日差しが照りつける中、西村は担当する投手だけでなく、野手陣の動きも真剣な表情で見つめていた。エナジックの青いユニフォームは少しだけ、石川MSのユニフォームにも似ている。
時間を頂き、話を聞くことができた。約6年ぶりの再会。「わざわざ来てくれたことが嬉しいです」。当時の張り詰めた表情とは違って、笑顔で歓迎してくれた。
そのギャップに驚いた私は、まず6年前の話から聞くことにした。
「当時はトライアウトへの緊張というより、『本当にプロ(NPB)へ戻りたい』という思いが強かったですね。取材をしていただけたことは、ありがたいことでした。(戦力外直後の)1回目のトライアウトで感じたことですが、ある程度注目されないと、スカウトの方に見てもらえない。注目されてトライアウトに向かうのは、背中を押してくれる。後押しをしてくれるっていう要素にもなりますしね」
当時も取材に対しては、歓迎してくれていたという。では、入り込んでいけないような緊張感の正体はなんだったのか。
「ただ『こういうところ(取材)でミスをしたくない』といういうものが正直あったんです。言った言葉で揚げ足を取られるようなこともしたくなかった。全てを出したくない、見せたくないという部分ですね」
阪神という注目度の高いチームに在籍していた西村。成功も挫折もそのチームで両方経験した中で自然と芽生えた防衛本能が働いたものだったのかもしれない。ただ、その経験から学んだ感覚が、今の彼に活かされていた。
「言葉って怖い部分があって、こうやって話をしていると感情も言葉に乗っかるので、(真意が)伝わったり、それでも伝わらなかったり、いろいろあると思います。それが文字だけだと、さらに伝わらない部分ってあると思うので、すごく怖い。言葉選びには慎重になりましたね」
言葉は時に毒になり、薬にもなる。
選手はパフォーマンスで結果を示せば良いが、コーチ業はそうはいかない。より良い方向へ導くためには、現状を理解させ、改善するための指針を『伝え』なければならない。今は伝えるということに真剣に向き合い、前向きになったという。
「やはり現役をやっている時は、どこに敵がいるかわからないですし、正直そういうつもりでやっていました。でも今は逆に発信したい。コーチとして、このチームをどんどん発信したいという気持ちが強いです」
8月中旬に沖縄県内で行われた都市対抗一次予選で、エナジックは見事優勝。第一代表として9月末から九州で行われる2時予選に駒を進めた。
しかし、加入当初から結果が残せるチームだったわけではない。独立リーグから縁のない沖縄の社会人チームへ。しかも、経験したことのないコーチ業との兼任。自問自答する中で、西村はどのようにして選手たちを導き自身のコーチング論を確立していったのか。
次回は、そのことについて書いていきたいと思う。(続く)
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《あとがき》
特にNPBの選手たちを取材する時に感じていた「見えない壁」。その壁の先に踏む込む勇気を当初は持つことができなかった。デリケートな部分を触られたくないのは人間誰しも同じ。こうして踏み込まれる側の心理を明文化することに意味があると思い、まずはこのことから形にしました。次回は、西村さんが独力でたどり着いたコーチング論の境地について、長くなると思いますが書きたいと思います。話を聞いていてとても驚きました。(時間ください、すみません)