【プロ野球】去りゆく貴方へ 〜高橋朋己投手の引退に寄せて〜

先日、埼玉西武ライオンズ・高橋朋己投手が引退会見を行いました。

彼が入団した2013年。球団のSNS映像制作担当として2年目のシーズンを私もライオンズで迎えていました。なかなか正解が見えない中、いろいろと四苦八苦していた時期。「とにかくいろいろやろう」と、入寮から撮影させていただいたことが昨日のようです。

「話すのは苦手なんです」と、人見知りだったドラフト1位・増田達至投手。
話してみれば年相応の初々しさがあったドラフト2位・相内誠投手。
入寮時にラフな革ジャン姿で早速のイケメンぶりを振りまいていたドラフト3位・金子侑司選手。
あどけなさ全開でかわいいのひとことに尽きたドラフト5位・佐藤勇投手。
小さいながらも入団当時は大きな打撃フォームが印象的だった育成ドラフト1位・水口大地選手。

そんな彼らと共に入団した高橋投手。振り返ってみれば、同期はいずれも個性派ぞろいでしたね。なかなかに濃いメンバーです。

入寮時から「マンガ好き」を公言していた高橋朋投手ですが、私が一番覚えているのは、新人合同自主トレ初日でのことです。

同い年の増田投手をはじめ、同期メンバーとランメニューや体幹強化メニューをこなしていく中、キャッチボールなどボールを使うときは別メニュー。理由は入団時から故障を抱えていた左肩。そのためのノースロー調整でした。

シャッター音の中、緊張しながらもボールを投げる同期たちを横目に、少し離れたところでタオルを使ったシャドーピッチング。

「投げたいっすね!自分、投げたがりなので!」

こちらの問いかけにそう答えてくれた高橋朋投手。人懐っこそうな屈託ない笑顔でとても好感を持ったことを今でも覚えています。

投げられるようになってからは、その才能をいかんなく発揮した高橋投手。
チームが苦しかった時代のセットアッパー、そしてクローザーとして、多くの場面でチームの勝利に貢献していきました。

その後、守備での足首の捻挫から肩の故障。手術してからは、常に肩の痛みとの戦いだったと思います。

いったんはライオンズから離れていた私が、再びライオンズの仕事をすることとなったときはそんな苦しい時期でした。

あの時と同じ新人合同自主トレを行う1月の寒い西武第二球場に彼の様子を見に行くと、手術でまだ右腕にギブスがついた與座投手とともに、黙々とウォーキングをしていました。正直、かける言葉が見つからず、ただただ歩く彼の姿を、遠くから見ることしかできませんでした。

暖かくなったころ、ようやく彼に話を聞くことができました。

順調に投げられるようになって強度を上げると、また痛みが出てノースロー。その話をしていたときは思い通りにいかない苛立ちを必死に抑えていたようにも見えました。

ときにはリハビリ中、ちょっとしたチームメートの発言に、声を荒げた場面にも遭遇したことがあります。いろいろなことを抱えながら先の見えないリハビリの日々。当事者にしかわからない苦しみ、痛みをほんの少しですが見た気がしました。

投げられないジレンマ。入団当時にみていた景色と今見ている景色。
同じ場所で投げられない思いを抱えて過ごした月日は、彼にとってどういう時間になったのか。

進んでは振り出しに戻るの繰り返しだったかもしれません。だけど、絶対にあのときとは違うと思います。

引退会見の写真は、吹っ切れたような晴れやかさを感じました。
それを見たときに悔いを残すことなく、本当にとことん向き合えた結果なのかなと、少しだけ携わったものとして、勝手にそう思っています。

10月30日に引退登板を行うことが球団から発表されました。
またどこかで会うことができるならば、いろいろ話をしてみたいなと、いまでも思っています。

本当に、本当に、お疲れ様でした。
高橋朋己投手の今後が幸多きものになることを、密かに願っています。

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