誰かの心を動かす存在に。GK立川小太郎【Voice】
今季第2節からスタメンの座をつかみ、身体を張ったセーブでファンを魅了してきたGK立川小太郎選手。最後尾から仲間を鼓舞し、ゴールを死守する守護神に、今季の戦いぶりや目標とするGK像について、お話をうかがいました。
■疲労、そして連携の難しさ
大阪体育大を卒業後、J3のAC長野パルセイロでプロのキャリアをスタート。J1の湘南ベルマーレを経て今季いわきFCに加わった立川小太郎選手。キャンプ中の負傷で開幕戦に間に合わなかったものの、第2節のファジアーノ岡山戦以降、リーグ戦でフル出場を続けてきました。
「試合に出続けられていることが一番大事ですし、ありがたいです。ただ、コンスタントに試合に出る中で『もっとできたな』と反省している間に次の試合が来てしまう面があるのが難しい。特にアウェーでの試合が続くと移動で疲れがたまり、コンディションを作る難しさを感じましたね」
昨年までの試合出場は、長野時代の2シーズンで16試合(リーグ戦13試合)、湘南の3シーズンで4試合(リーグ戦出場なし)にとどまっており、シーズンを通して試合に出続けるのは今季が初めての経験でした。
また今年は、昨年まで2年間チームを支えたCB二人が移籍してDF陣が総入れ替え。開幕時から3バックのメンバーが定まり切らかった上に、今季開幕時から守備の中心として活躍していたDF照山颯人選手が夏にV・ファーレン長崎へ移籍。急遽J3の福島ユナイテッドFCからDF堂鼻起暉選手を獲得するなど、守備陣のメンバー編成には何かとあわただしい面がありました。
それでもチームの1試合当たり平均失点は、昨季の1.64点(42試合69失点)から1.35点(37節終了時点で41失点)へと大きく減少しています。そんな中、立川選手が今季の躍進を支えた立役者の一人であったことに疑いの余地はありません。
「確かに加入1年目ということもあり、連携は難しい面もありました。ただ、最終的に守るのはゴール。そこは3(バック)でも4(バック)でも変わりらない。実際にゼロで抑えられた試合も少なくなかった。今季はしっかりと手応えをつかむことができました」
■勢いのあるチームを支える
昨季終了後。いわきFCへの移籍を決断した立川選手。新たな道を選んだ背景をこのように語ってくれました。
「湘南での3年間、試合に出ることはほとんどできなかったのですが、レベルの高いポジション争いでスキルアップできた実感がありました。以前は勢いでプレーしていた部分もあったのですが、GKとしてのベースがしっかり身についたと思います。
でも、一番大事なのは試合に出ること。出続けることで初めて見えてくる課題もあるはず。そう考え、いわきFCの正GKの座に挑戦したいと考えました。いわきFCは若くて新しいことにチャレンジしている、勢いのあるチーム。チームとして筋トレや食事にこだわっていることも知っていました。
このタイミングで自分の身体ともう一度しっかりと向き合い、ステップアップできればと考えました。実際にウエイトトレーニングで筋肉量は増えていますし、パフォーマンスの向上につながっていると思います」
今季の守護神としての活躍は疑う余地がありません。20代前半の選手が多くいる中、27歳の年長者として最後方から全体をコントロールする姿は頼もしい限りです。
「若い選手が多い分、自分たちの強みが出せるときは勢いに乗っていける。ただ、上手くいかなかった時にバラバラになりかけることがあるのは、後ろから見て感じるところです。
これまで年齢的に自分が上になることがなかったので、慣れない部分もありました。今はチームを落ち着かせたり、鼓舞したりできるような声掛けができるよう意識しています。
特にDF陣とは練習中も試合中も、自分にとっての守りやすさを逐一伝え、会話をしながら、連携のあり方をすり合わせています。時には言い合いになったり揉めたりすることもありますが、お互いよくしようと思って言い合っているので、いい関係だと思います」
■意識が変わった高校時代
立川選手は自然豊かな和歌山県白浜町出身。小さいころから身体を動かして遊び回っていたそうです。
「最初は野球をやりたかったんです。でも、小学校1年生くらいの時。父親の知り合いが指導していたサッカーチームに遊びに行って、それ以来、どんどんサッカーが好きになっていきました」
楽しくサッカーに没頭した小学生時代。当時はFWをやりたかったそうです。でも、周囲の勧めでGKとして出場するようになりました。
「今でも、チャンスさえあれば点を取りたい。自分では性格的に前線の選手だと勝手に思っているんですよね(笑)。身長は高い方でしたが、飛び抜けて大きいわけではありませんでした。ただ、GKはボールをキャッチしたり、投げたり、蹴ったりとさまざまな動きが求められるポジション。その点、今思えば小さいころから外遊びを通じて身体の使い方、動かし方が自然と身についてたので、GK向きだったのかもしれません」
地元の中学校に進学すると、その能力の高さが周囲の目に留まります。中学2~3年時に日本サッカー協会のナショナルトレセンに選ばれました。
「地域のトレセンに始まり『行ってこい』と言われて行ったらポンポンポン、と。ただ、地元はサッカーより野球が盛んな地域でしたし、正直、知識もそんなにないのに選ばれちゃって…。
緊張はそんなにしなかったですけど、周りはJリーグクラブの下部組織の子ばかりで、やりにくかったですね(笑)。自分でもサプライズ招集だと思っていましたし『やれることだけやろう』と必死に食らいついていました」
そんな立川選手のもとには中学卒業時、当然のようにJリーグクラブ下部のユースチームを含め、さまざまなチームからスカウトが届きまきました。その中で「高校選手権に出て、国立競技場でサッカーをしたい」という思いから、和歌山県の初芝橋本高に進学。それをきっかけに、サッカーへの取り組み方が大きく変わったそうです。
「自分のサッカー人生の転機となったのは高校時代です。周りにはサッカーに懸けている選手ばかり。みんなが寮に入るなどサッカー第一の生活を送っていて、それまでとはサッカーに対する温度感がまったく違った。そんな環境の中で、意識高くサッカーに取り組むことができたと思います」
■プロとしての心構えを学ぶ
高校卒業後は大阪体育大に進学。大学時代は「常にプロになることを意識しながらプレーしていた」と振り返ってくれました。実際に先輩、同期の何人もがプロ入りを決め、1学年下には日本代表の経験もある林大地選手(ガンバ大阪)もおり、お互いを高め合う日々を送ることができたそうです。
「今思えば、大学時代はすごく楽しかったです。自由にプレーしていて、レベルも高かったですね。当時の仲間とは今でも連絡を取り合っていて、いい刺激になっています」
そして大学4年時、念願のプロ入りが決まります。
「AC長野パルセイロは雰囲気がよく、能力を評価してくれた上で育ててくれたので、本当にありがたかったです」
プロ1年目で、その後のサッカー人生を左右する出会いに恵まれました。2007年に流通経済大からFC東京に加入し、湘南ベルマーレ、ギラヴァンツ北九州を経て17年から20年までAC長野パルセイロに在籍。2022年にいわてグルージャ盛岡でユニフォームを脱いだGK阿部信行さんとの出会いです。
「選手として、人として尊敬できる先輩です。一緒にやれて背中を見ることができ、プロとしてのあるべき姿を学びました。シーズンを通して試合に出られる時と出られない時があるものですが、出ることができない時の立ち振る舞い方の大切さを教えてもらった気がします」
AC長野パルセイロ時代、リーグ戦に出られたのは計13試合。ベンチ入りさえできなかった時は、不満げな態度が自然と出てしまっていたそうです。でも阿部さんはそういった態度をまったく見せずにチームを支え続けていました。
「それでノブさんが試合に出ると、チーム全体が締まるんです。みんなが安心してプレーできる。ただプレーが上手いだけではダメなんだ、ということを、ノブさんから学びました」
その後、J1の湘南ベルマーレで3年間、技術面でみっちり鍛えられて今に至るのは前述の通り。もともとの高い能力に加え、AC長野パルセイロで心を磨き、湘南ベルマーレで技を磨いてきました。そんな立川選手にとって、いわきFCの正GKの座をつかんだ今季は大きな飛躍のシーズンといえます。
■人に影響を与えられるGKに
2024年シーズンもあとわずか。昨季は残留争いを繰り広げたいわきFCですが、今季はJ1参入プレーオフ進出を目指す順位に入るなど、充実したシーズンを送ってきました。
「プレーオフ圏内を狙える位置につけられたのは、ここまで自分達が積み上げてきた結果。緊張感のある戦いは、なかなか経験できないこと、その楽しさをかみしめています」
最後に、今後の目標についてお聞きしました。日本代表、海外挑戦――。そんな答えを予想していたのですが、立川選手の口から発せられたのは、その人柄がにじみ出るような言葉でした。
「J1でプレーするという目標はもちろんありますが、誰かの価値観を変えたり、サッカー人生にいい影響を与えられる選手になりたいです。それこそ長野在籍1年目、ノブさんが自分にしてくれたみたいに」
次回は2年目の今季、見事にポテンシャルを開花させてレギュラーをつかんだDF石田侑資選手の登場です。お楽しみに!
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