出足と判断。自分を信じる。DF石田侑資【Voice】
移籍2年目の今季、3バックの左CBでスタメン出場を続けるDF石田侑資選手。彼のこれまでの経歴といわきFC移籍後の苦悩、そして現在の活躍について語っていただきました。
■今年は頭の整理ができている
いわきFC加入2年目の今季、大幅にプレー時間を増やしているDF石田侑資選手。まずはその理由から語っていただきます。
「頭の整理ができていることが大きいです。昨年はとにかくガムシャラにやっていましたが、頭の中がゴチャゴチャなままプレーしていました。例えばカバーに行かなくても大丈夫な状況なのに、チャレンジ&カバーを意識しすぎて不要な所に行ってしまっていた。周りがよく見えておらず、的確な判断ができていませんでした。
その点、今季は本当の意味でやるべきことを理解できています。キャンプから渡邉匠コーチ、村上佑太アナリストと一緒に海外のチームや自分達のキャンプの映像を見て、ポイントをノートに書いてやるべきことを整理、理解しながらやってきました。それが一番大きいです。状況をよく見て的確に判断し、早い出足で相手をつぶせるようになりました」
石田選手は今季初めて3バックの左CBにチャレンジ。もともとの対人の強さに加え、積極的な攻め上がりと果敢なミドルシュートで攻撃のアクセントになっています。
「今年の戦い方では、左右のCBは積極的に攻撃参加できます。ボールを積極的に持ち出せるので、その点でもSB出身の自分にすごく向いています。相手が引いている状況なら、ミドルシュートを積極的に狙っていきます。そういうシーンが増えているのは、相手の状況を気づくことが多くなったから。あとは決め切るだけです」
昨年は22試合出場。うち先発は14試合。今季は第37節終了時点で33試合に出場し、27試合に先発しています。プロ入り4年目の今季、最も充実したシーズンを送る石田選手のこれまでを振り返っていきます。
■どうしたらプロになれるか、考えない日はなかった
石田選手は徳島県吉野川市出身。3人兄弟の末っ子で、お兄さん二人の影響で小学校からサッカーを始めました。
「15人ぐらいしか同級生がいないような環境でした。ポジションはFWです。幼稚園から小学校までは空手もやっていました。今ベンチプレス120㎏を挙げられるのですが、空手をやっていたおかげだと思います(笑)。でもサッカーにのめり込んで、中学からはサッカー一本でやるようになりました」
中学校に上がる時、お父さんから徳島ヴォルティスのジュニアユースのセレクションを勧められ「レベルの高いところでやりたい」という思いからチャレンジ。見事に合格し、プロサッカー選手を目指し夢中でサッカーをする日々がスタートしました。
入団と同時にSBに転向。そのころ、今のプレースタイルの原点となる貴重な出会いがありました。その相手は、当時徳島ヴォルティスジュニアユースのコーチを務めていた大島康明さん(元鹿児島ユナイテッドFC監督)。大島さんは右利きの石田選手に『左足でも同じように蹴れるようにした方がいい』とアドバイスを送りました。
「大島さんと一緒に、左足のキックを毎日1時間半ぐらいずっと練習しました。左足で蹴れるようになって、サッカーの楽しさを知った気がしますし、何なら今は左足の方が得意なぐらい。両足を使えることは自分の大きなアドバンテージになっています。大島さんのおかげで今がある。本当に感謝しています」
そして中3になった石田選手は、人生を左右する大きな決断をします。それは名門・市立船橋高への進学。徳島ユース昇格の話もあった中、故郷から遠く離れた千葉県でサッカーを続ける決断をした理由をこう語ります。
「FW和泉竜司さんがキャプテンで優勝した時の選手権を見て、小学生のころから市船に憧れていたんです。行けるかどうかもわからないのに、中学を卒業したら市船に進学すると勝手に決めていました(笑)。地元を離れる不安は特になかったです。実際に入学したばかりの時は確かに寂しかったですが、新しい友達と話すのが大好きなので、すぐに打ち解けました。僕は昔から地元で道を歩いているおじいちゃんとよく話していましたし、コミュニケーション能力には自信があるんです(笑)」
もちろん高校時代はサッカー漬け。入学当初はレベルの高さに驚き「何もできなかった」と語ります。それでも高校1年の6月にAチーム入り。さらにU-16日本代表にも選出されました。
「U-16の代表に選ばれた時はめちゃめちゃうれしかったです。でも、行ってみると正直、市船の方がレベルが高かった。当時の市船には1年上、2年上に世代別代表の選手がたくさんいたんですよ。そんな環境の中でやっていたから絶対にプロになりたいし、失敗して徳島に帰りたくないと思っていました。どうしたらプロになれるか。考えない日はありませんでした」
高校2年からCBとしてチームの中心選手の一人となり、高校3年時はキャプテンとしてチームを牽引。2年連続で選手権に出場し、高3の時はベスト8入り。石田選手は大会優秀選手の一人に選出されています。
「優勝できなかったから満足とはいえませんが、高校生活に後悔はありません。試合に出ていた2~3年はとても充実していましたし、本当に楽しかったです」
■「このチーム、2人ぐらい多いんじゃないか!?」
高校卒業後は、J3のガイナーレ鳥取に入団。「早くプロになりたかったので、大学進学はまったく考えなかった」と語ります。
「鳥取に決まったのは選手権前の10月です。他にもいくつかのチームに練習参加したのですが、僕は直感が強くて、鳥取に着いた瞬間『あ、ここだな』と何かを感じたんです。実際に鳥取がオファーをくださったので、入団を決めました」
持ち前の対人守備の強さで1年目から出場機会を勝ち取り、CBとしてすぐさま頭角を表します。2021年のJ3第1節・鹿児島ユナイテッドFC戦の後半に交代でデビュー。しかもこの試合の60分にプロ初ゴール。勝利に貢献してみせました。
「CKがたまたま自分の前にこぼれてきたので蹴り込みました。デビュー戦でゴールできたのはラッキーですし、本当にうれしかったでね。1年目は2ゴールを挙げているんですが、2つ目の方がエグいゴールなんですよ。アウェーの藤枝戦でしたね。SBで出場し、ボランチが落としたボールを右足でズドンと。あれは最高でした」
1年目は主にCBで17試合に出場して2ゴール。2年目の2022年から本格的にSBでプレーし、21試合に出場します。初めていわきFCと対戦したのがこの年のこと。10月9日の第28節、鳥取のホームで行われたゲームで、石田選手は高い能力を存分に発揮。持ち前の対人の強さを見せるだけでなく、プレスに来るいわきの選手をたびたびはがし、積極的に右サイドを駆け上がってチャンスを演出してみせました。
「あの試合はめちゃめちゃ感触がよかったんですよ。でもいわきは当時首位で、本当にいいチームでした。運動量がすごくて、はがしてもはがしても次の選手が湧き出てくる。試合中に『このチームおかしい。2人ぐらい多いんじゃないか!?』と話したぐらいです。
しかも、みんな予想以上に上手い。鈴木翔大君(現・鹿児島ユナイテッドFC)やダイキ君(MF山口大輝)とたくさんマッチアップしましたし、ボランチのヤマ君(MF山下優人)とエイジ君(MF宮本英治:現・アルビレックス新潟)もよく覚えています。めちゃくちゃ衝撃的だったのがイエ君(DF家泉怜依:現・北海道コンサドーレ札幌)。『このCBホントすごい!』と驚きました。
当時のいわきには、前に長いボールを蹴るイメージしかなかった。でもやってみたら、それだけじゃない。短いパスも結構つなぐし、連携もしっかりしていて、前に強くて速いばかりじゃない。チームの先輩とも『やっぱり首位のチームは違う』と話しましたし『いわきFCに行きたい。このチームでプレーしてみたい』と思いました」
この時、SBの人材を探していたいわきFCも、石田選手の対人守備の強さと技術を高く評価していました。両者の思いはつながり、2022年のオフ、石田選手はいわきFCへの移籍を果たします。
「オファーを聞いた時は即決でした。いわきのJ2昇格も決まっていたし、本当にうれしかった。『頑張らなきゃ』と意気込みましたね。入ってみたら、練習は鳥取よりもずっとハードでした。でもいい環境でプレーさせてもらえる喜びと、ここでやっていけば絶対に成長できるという確信を得られた。だから、毎日とても楽しかったです」
でも意気込みとは裏腹に、入団1年目の石田選手はたびたび負傷を繰り返し、周囲の期待を裏切ってしまいます。
■今思えば、休み方を知らなかった
入団後、SBとしての大きな課題が露呈しました。それはスタミナ不足。いわきのSBには1試合を通じて高いインテンシティの上下動が求められます。しかし当時の石田選手には、ふさわしい走力が備わっていませんでした。
目指していたいわきへの入団を果たしたことによる焦りもあったようです。入団前の2021~2022年、いわきFCは右の嵯峨理久選手(現・ファジアーノ岡山)、左の日高大選手(現・ジェフユナイテッド千葉)というSBの二枚看板を擁し、JFLとJ3を席巻しました。「いわきFCのSBとして、二人に近づきたい」。そう考えた石田選手は、理想のSB像を追いかけ続けました。
結果、それが身体への大きな負担となっていきます。
実はプロ入り以来、大きなケガをせずにシーズンを乗り切った経験がありませんでした。1~2年目からハムストリングスの負傷に悩まされ、1年目には膝の負傷と手術も経験。意気込むほどに休まずに頑張ってしまい、ケガをする悪循環。シーズンを通じて高い負荷の練習と試合を続けられないことが、走力不足につながっていました。
「今思えば高校時代からオフもボールを蹴っていて、休み方を知らなかったせいでケガをしていました。休養の大切さを知ったのは、最近になってのことです」
ケガでなかなかメンバーに入れず、出場機会をつかんでは負傷を繰り返しました。最後は2023年10月1日の第37節・FC町田ゼルビア戦の後半に交代出場し、わずか5分余りで負傷退場。全治2カ月のケガでシーズンが終わってしまいました。22試合出場で無得点。チームも一時は降格圏にも低迷するなど、2023年は納得のいかない1年でした。
「このままでは、どうにもならない」
負傷後、翌年に向けてすぐさま気持ちを切り替えました。
「まずは弱点だったハムストリングスを徹底的に強化しながら、身体の連動を意識してウエイトトレーニングで全身を鍛えました。そして走れるようになってからは、秋本真吾コーチとのスプリントトレーニングで効率的にスピードを発揮する走り方を学びました。
それと大きかったのが食事。外食をせずに魚メインの食生活に代え、鉄分をしっかり摂ることを意識しています。あとは身体のケア。しっかりお風呂に入って身体をほぐし、睡眠環境にも気を使うようになりました」
ふがいないシーズンを送った石田選手は諦めることなく、自らを変えていきました。
■そのプレーを後半アディショナルタイムでもできるのか
今季、いわきFCは3バックを採用。石田選手はCBにチャレンジすることとなりました。キャンプでは渡邉匠コーチ、村上佑太アナリストと一緒に何度も映像を見て、プレーの理解度を高めていきました。
「でもキャンプの段階では、開幕戦に出れる手応えはまったくなかった。実際、開幕戦はメンバー外。本来ボランチのブル(MF大西悠介)が開幕戦に3バックの右で先発したことは、やはり悔しかったです。でもその時は『今の自分では仕方ない』と冷静に自己分析できていました」
そして第2節・ファジアーノ岡山戦の後半、大西悠介選手に代わって右CBに入り、今季初出場を果たします。そして第3節の鹿児島戦で初先発。FW谷村海那選手にクロスを送り、先制点をアシストしてみせました。
しかしその後、ルヴァンカップFC大阪戦の先発を経て、第4節から再びスタメン落ちしてしまいます。
「それでも腐らずに映像を見て、判断力を養いました。試合ではスタメンのプレーを見て、自分ならどうするかを考えていました。この時、少しずつ周りが見えるようになってきていて、積み重ねてきたことの成果が出ている実感があった。だから焦る必要はないし、今の努力を続ければ必ず試合に出られる、という確信がありました」
石田選手がスタメンを外れた第4節から第8節まで、チームは3バックを左から大森理生選手・照山颯人選手(現・V・ファーレン長崎)・五十嵐聖己選手の3人で組んでいました。しかし全員が右利きのため、ビルドアップ時の攻撃の偏りが徐々に目に付くようになっていました。
右利きながら左足で精度の高いキックを蹴れる石田選手が左CBに入れば、ビルドアップが安定する。そして、もともとWBである五十嵐聖己選手を本来のポジションに上げることも可能になる。そんな目論見から、チームはルヴァンカップ新潟戦で石田選手を初めて左CBに抜擢。これがぴったりとハマり、出場時間が伸びていきます。
はっきりとポジションをつかんだ感触を得られたのは、4月21日の第9節・大分トリニータ戦でした。
「まず映像で理解したことが練習で『こうくるだろう』とわかるようになり、次に試合の中で予知できるようになり、その次は試合前に予測できるようになっていきました。そして攻撃の前準備としていい位置でボールを受けられるようになり、その結果、意図した所にボールを蹴れるようになった。大分戦の前半で、相手をしっかり見てくさびのパスを入れることができた。そして守備でも、前線から落ちてきた選手に対して縦にガツンと行き、ボールを奪うことができました。キャンプからずっと意識してきた出足の早さを発揮でき、大きな自信になった試合でした」
こうしてつかんだ左CBのスタメン。石田選手はシーズン終盤までその座を譲らず、多くの試合でフル出場を続けています。プロ4年目の今季は、自身のプロキャリアの中で最高のシーズンといえるでしょう。そんな石田選手を支え続けた村上佑太アナリストは、このように語ってくれました。
村上「侑資の一番の魅力は対人の強さ。地上戦の1対1ならほぼ抜かれることはありません。だから以前SBをやっていたころ『お前は日高でも嵯峨でもない。侑資自身のよさがあるから今、ここに来てもらっている。だから自分のいい部分を磨きつつフィジカルのベースを高めていけ。二人をいくら追いかけても同じ選手にはなれない。でも自分の良さを増していけば、二人を超える存在になれる』と話しました。そのころから少しずつ、攻撃面でもよさを出せるようになってきた気がします。
今の課題は明白です。試合終盤にややパフォーマンスが落ちる傾向があり、もっともっと走力を上げていく必要がある。今はどんなに上手い選手でも、走れなければ試合で使われません。結局、どの選手も試合の序盤ならいいパフォーマンスを示せる。そんな中、本当の意味で選手の価値を決めるのは『そのプレーを後半アディショナルタイムでもできるのか』。DFならば試合の最後の最後、後半途中から出てきた相手チームのアタッカーを完封できるか。そしてギリギリのところで質の高いパスをさせるか。彼に求めているのはそれです。
もちろん悲観する必要はありません。今活躍しているFW谷村海那だって、入団当初はぜんぜん走れなかった。だから、彼にできないわけがない。実際、今年は90分間出続け、試合終盤でもいいパフォーマンスを示せている。いわきFCの選手として求められるベースの質は、昨年よりも確実に高まっています」
現代サッカーの戦術多様化に伴い、DFにも多彩な能力が求められつつあります。CBとSBの役割はよりシームレスなものとなり、SBにCB並みの強さを求めるチームも増えています。海外を見てもアーセナルの冨安健洋選手のように、もともとCBだった選手がSBで起用されるケースも多くなりました。
石田選手の場合、対人守備はお手の物。あとは上下動のスタミナがつけば、よりさまざまなポジションをもっと高いレベルでこなせるはず。そうなれば今後、現代型DFとしてどの指揮官のどんなサッカーにも適応できることでしょう。
「SBもCBもできるのは自分の強み。複数のポジションでプレーできることを今後のアピールポイントにしていきたいと思っていますし、これからも求められる形でプレーしていきたいです。
もちろんその先に目指すのはJ1、そして海外でのプレーです。できればドイツに行きたいですね。なぜドイツかというと明確な理由はなく、直感です(笑)。でもプロ入りの際に鳥取を選んだ時のように、なぜかドイツという予感がするんですよ。いつかその夢をかなえたいですし、そのためにも一つ一つのプレーのクオリティをもっと上げていきます」
次回は先日、今シーズン限りでの引退を発表したGK田中謙吾選手の登場です。お楽しみに!