覚悟の移籍。さらなる飛躍へ。MF西川潤【Voice】
今季、シーズン終盤までプレーオフ争いを演じるチームの中心として活躍を続けるMF西川潤選手。世代別日本代表に幾度となく選ばれてきた西川選手は今季、なぜいわきFCでプレーする道を選んだのでしょう。そして、残り少ないシーズンをどう戦っていこうと考えているのでしょう。これまでの経歴から今後の展望まで、幅広くお聞きしました。
■試合に出られるありがたさ
西川選手の育成型期限付き移籍によるいわきFC加入が発表されたのは、2024年のお正月が明けてすぐの6日のこと。世代別日本代表の常連であり、高校3年次にJリーグデビューを果たすなど、エリート街道を歩んできた若きレフティーの加入は、大きな驚きをもって受け止められるものでした。
発表はJ2開幕まで1カ月半というタイミングでしたが、初戦の開幕戦となったアウェーの水戸戦に途中出場。第2節のホーム岡山戦で先発の座をつかみ、その後は主力として定着。その活躍は、今季のチームの躍進に大きく貢献しているといえるでしょう。本人もその点には手応えを感じているようで、このように語ってくれました。
「試合に出場して初めて評価される世界。体力の面でも、感覚の面でも、試合に出続けることで得られるものがありますし、課題も見えてきています。昨季までJ1のチームに所属していたとはいえ、出場機会に恵まれなかったこともあり、出られていることにありがたさを感じています」
西川選手のJリーグデビュー戦となったのは、セレッソ大阪の特別指定選手だった2019年4月のことで、当時はまだ17歳の高校3年生。ただそのシーズンはその1試合と、セレッソ大阪U23として出場したJ3の1試合の出場だけ。2020年と2021年の2シーズンで計31試合、サガン鳥栖に移籍後の2022年と2023年も計35試合(カップ戦の出場は除く)の出場と、主力としての輝きを放つことはできていませんでした。それだけに、3月の秋田戦を除いて全試合出場している今季は、第34節藤枝戦ではJリーグ通算100試合出場の節目に到達するなど、充実しているようすがうかがえます。
■マリノスジュニアユースから、世代別日本代表の常連へ
神奈川県川崎市出身で、サッカーチームに入ったのは小学校2年生という西川選手。
「小さいころから身長が高かったので、後ろ(DF)をやったり、前(FW)をやったり、いろんなポジションをやっていました」
中学からは、お兄さんも所属していた横浜F・マリノスのジュニアユース(U-15)に加入。日本サッカー協会(JFA)のナショナルトレセンに選出されるなど、将来を嘱望された存在に成長しました。トップチームへの昇格、その先の海外クラブ挑戦を思い描きながら日々研鑽に励む中、横浜F・マリノスのユース(U-18)への昇格内定も手にしていた西川選手。しかしここでJリーグクラブのアカデミーを離れ、桐光学園高(神奈川県)への進学を選択します。
「桐光学園では兄もプレーしていたこともあって、チームの雰囲気がわかっていたことが大きかったのですが、高校選手権へのあこがれが大きく、大勢のお客さんの前でプレーしてみたかったんです。また、Jクラブのユースチームにないような、高校サッカーならではのタフなフットボールを経験してみたいという思いもありました」
2017年に入学した桐光学園では1年生のころから10番を背負い、中心選手として活躍しました。高校選手権は2年次の1度の出場にとどまりましたが、インターハイは高2で準優勝、高3時は優勝を果たしました。また、世代別の日本代表にも都度選出され、2018年にはU-16アジア選手権決勝のタジキスタン戦では決勝点を決めて優勝。2019年10月の U-17ワールドカップでは1次リーグ第3戦のセネガル戦で決勝点を挙げ、決勝トーナメント進出に貢献しました。
■ケガに悩まされ、直面したプロの壁
鳴り物入りでプロの世界に飛び込んだ西川選手でしたが、その後の活躍は順風満帆というわけにはいきませんでした。
「セレッソ大阪のキャンプに参加して、柿谷(曜一朗)選手には大きな影響というか、刺激を受けました。プロの世界では、ボールタッチ、キック、シュート、トラップのそれぞれの質がすごくて、簡単なミスはまずしません。そして、それらの技術よりも大きな差を感じたのではフィジカル面でした。ケガもたくさんしましたし、周りの選手と比較してコンタクトでプロの強度に慣れていませんでした。今思えば、トレーニングもぜんぜん足りていなかったのだと思います」
そんな中、サッカーへの向き合い方を見つめ直すきっかけとなったのが、当時在籍していたセレッソ大阪の小菊昭雄監督からかけられた言葉だったといいます。
「『現実を直視して、常に自分に矢印を向けてやるしかない』と鼓舞してくれました。高校時代は1年生の時から試合に出させてもらうなど、自分がチームの中心だったのですが、それがプロに入って、あくまで自分は1つの駒となった。自分が中心ではない中でプレーすることとの意識の違い。ある意味、そこに勘違いしている部分があったのだと思います。『自分が成長しないといけない』という強い思いを持つきっかけになりました」
■この1年をここで過ごすことが何より重要
サガン鳥栖在籍2季目の2023年シーズンが終了した後のオフ、西川選手にはJ1チームも含め、獲得のオファーがいくつか届いていたそうです。試合への出場機会は必ずしも多くなかったものの、その年には2024年のパリ五輪を目指すU-22日本代表に選出。同年9月の杭州アジア大会でも背番号10を背負い、主力としてチームの準優勝に貢献した実績を考えれば、それもうなずけます。しかし、そこで選んだのはJ2のいわきFCでした。
「どうしても自分にはケガがちな部分があったのですが、いわきFCに移籍することでそこにアプローチすることができると思いました。また、チームが掲げる『90分間止まらない、倒れないサッカー』に共感したというところもあります。これまでと違った環境でサッカーをやることが成長につながるのでは、と考えました」
もちろん、活躍の場をJ1からJ2に移すことに躊躇がなかったわけではありません。しかし、この移籍には西川選手の強い覚悟がありました。
「パリ五輪代表に選ばれるためには、J1のクラブでプレーする方がいいことはわかっていました。もちろん、『いわきFCに移籍する=パリ五輪を諦める』とは考えていませんでしたし、目標の1つだった五輪代表に選ばれるため全力でプレーするつもりでした。ただ、仮に五輪代表を逃すことになったとしても、それよりもこの1年をいわきFCで過ごすことが今後のサッカー人生において重要になると思っていました」
実際に、いわきFC加入後の西川選手の成長には目覚ましいものがあります。「ケガがちだった」という西川選手ですが、強度の高いサッカーを志向するいわきFCにおいて、ここまで大きな負傷をせずにシーズンを通じて活躍し続けていること自体が、その最たる証拠。体重もこの10カ月ほどで4㎏近く増加したとのこと。
「シーズン前のキャンプからハードに走りこんできて、筋トレにもしっかり取り組むことでフィジカルの部分での成長が感じられます。最初は慣れない部分もあったのですが、トレーニングと試合のサイクルが馴染んできて、それに対応する力が付きました。特に直線の最高速度は今までで一番速くなっています。球際の競り合いの部分も踏ん張って前進することができています」
特に成長を実感したプレーとして挙げてもらったのが、8月の第25節・ブラウブリッツ秋田戦でのもの。自陣でボールを後ろ向きでキープし、背負っていた相手を振りほどきながら力強く前を向き、前線の加瀬選手へパスを送った、先制点につながる一連のプレーでした。
「グッとこらえるプレーができるようになってきたのが大きいと思います。いわきFCにきてすべてが変わりました。出場機会が増えて、試合に出ながらトレーニングにハードに取り組めて、強度高くサッカー漬けの生活が送れています。今まででのサッカー人生で一番サッカーに集中できているという実感があります」
■常にボールにかかわり、得点に絡むプレーを
確かな成長を見せてはいるものの、得点は今季3点(第34節終了時)にとどまっています。西川選手も得点に絡むプレーへの意識は高く持ち続けており、今季終盤戦に向けての強い気持ちを語ってくれました。
「この1年でフィジカル、メンタルの面で成長したとは思いますが、自分のよさはそこだけではない。今季のこれまでの経験を生かして、ゴール前でボールを受けられるシーンを増やしていければ、ラストパスを出すにしても、自分で決め切るにしても自信があります。いいプレーは増えてきていると思いますし、常にボールにかかわり、得点に貢献し続けていきたいですね」
J1昇格プレーオフ出場に向けて厳しい戦いが続く中、最後にいわきFCサポーターへのメッセージをいただきました。
「ここまでホームでなかなか勝てていないことが申し訳なく思っています。ホームも残り試合は少なくなりましたが、サポーターの皆さんに少しでも喜んでもらえるように頑張りたいと思います」
次回はチームを支える攻守の要・MF山口大輝選手の登場です。お楽しみに!